『水を縫う』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/06 『水を縫う』(寺地はるな), 作家別(た行), 寺地はるな, 書評(ま行)

『水を縫う』寺地 はるな 集英社文庫 2023年5月25日第1刷

そしたら僕、僕がドレスつくったるわ」 ”かわいいが苦手な姉のため、刺繍好きの弟は、ウェディングドレスを手作りしようと決心し - 。いま一番届けたい 世の中の普通を踏み越えていく、新たな家族小説が誕生!

手芸好きをからかわれ、周囲から浮いている高校一年生の清澄。一方、結婚を控えた姉の水青は、かわいいものや華やかな場が苦手だ。そんな彼女のために、清澄はウェディングドレスを手作りすると宣言するが、母・さつ子からは反対されて - 。「男なのに」 「女らしく」 「母親/父親だから」。そんな言葉に立ち止まったことのあるすべての人へ贈る、清々しい家族小説。第9回河合隼雄物語賞受賞作。(集英社文庫)

[目次]
第一章 みなも 語り:清澄 (きよすみ)/手芸好き、「男らしさ」 とは縁遠い
第二章 傘のしたで 語り:清澄の姉・水青 (みお)/極端な 「可愛さ」 嫌い
第三章 愛の泉 語り:母・さつ子/夫の全とは離婚、一人親として奮闘している
第四章 プールサイドの犬 語り:祖母・文枝/七十四歳 清澄の手芸の先生 
第五章 しずかな湖畔の 語り:黒田/縫製会社経営 全とは専門学校時代からの友人
第六章 流れる水は淀まない 語り:再び清澄

第四章 「プールサイドの犬」 より

〇幼い頃の文枝の、父の記憶

「お父さん、はいどうぞ」
葉っぱのお皿にのせたシロツメクサのごはんを渡すと、父は目を細めて、ぱくぱく食べる真似をした。
「おいしいおいしい。文枝は料理が上手やな。お裁縫も上手で、美人で、ええお嫁さんになるで」

お嫁さん、と繰り返すわたしの頭を、父がなでた。
「女は力では男にかなわへん。せやから同じ土俵で勝負しようと思ったらあかん。女は男よりきれいでかしこい。きれいでかしこいからこそ、そうでない男の立場をいつも思いやってやらなあかん。それがええお嫁さんってことやで」
急に陽が翳った。見上げる父の姿は、ただの黒いかたまりになる。頭をなでる父の手はあくまでもやさしいのに、なんだか喉に大きなかたまりがつかえたような、この感覚はなんだろう。

〇文枝の夫は、文枝が 「ばりばり」 働くことを嫌がった

スーパーマーケットで、建設現場の事務所で、市役所の臨時パートで、健康飲料の配達所で、わたしは働き続けた。どこの職場にも親切な男の人というのがいて 「女の人にそんなことをさせられませんよ」 と重い荷物を持ってくれたり、わたしの簡単な計算ミスを責めずに 「女の人は数字に弱いですからね」 と笑って許してくれたりした。

夫の機嫌を損ねないようにと気遣う必要はなかった。どこへ行っても、パートタイムのわたしの収入は、夫のそれには届かない。どんなにがんばっても。
もしも大学に行っていたらとか、りっぱな会社に入っていたら、なんてことは考えないようにしてきた。「何々だったら」、なんて言い出せばきりがない。

〇家族揃って市民プールに行った日

みっともない、という言葉を、わたしの夫は使った。
「そんな、若うもないのに女が水着を着るのはみっともないからやめときなさい」
きつい口調ではなかった。かすかに笑っているようだったし、冗談だったのかもしれない。だけど、わたしを怯ませるのにはじゅうぶんだった。なによそれ、と怒りながら、傷ついていた。はっきりと。
プールサイドで、ただ見ていた。夫が水青のちっちゃな浮き輪を引っぱっているのを。さつ子は水青に並んで水の中を歩きながら、にこにこしていた。子どもをひとり産んだとはいえ、まだ二十代のさつ子ははじけるように若く、まぶしかった。

時折、ぎゅっと目をつむった。おさない頃のように。涙はこぼれる前にとめなければならない。こぼれたらあとはもう、とめどなくあふれてきてしまうから。

「お前、そうしてると犬みたいやな」
プールから上がってきた夫が、そう言って歯を見せた。飼い主が岸に上がってくるのをじっと待っている、忠実な犬のようだと。

濡れた手で頭を触られそうになって、乱暴に振り払った。
「やめてよ」
あの痛みが、そっくりそのままよみがえる。
「なにを怒ってんねん。そうしてるとかわいいっていう意味やで」
きょとんとしていた夫の顔を思い出すと、ますます胸が痛くなる。もう二十年近く経っているのに。大きなかたまりを飲みこむ時は、いつだって苦しい。

※七十四歳になった文枝の、若かりし頃の心の声がとてもリアルで、強く印象に残りました。そして、文枝の清澄や水青やさつ子に向ける視線は、限りなく慈愛に満ちています。

この本を読んでみてください係数 80/100

◆寺地 はるな
1977年佐賀県唐津市生まれ。大阪府在住。
高校卒業後、就職、結婚。35歳から小説を書き始める。

作品 「ビオレタ」「夜が暗いとはかぎらない」「大人は泣かないと思っていた」「正しい愛と理想の息子」「わたしの良い子」「彼女が天使でなくなる日」他多数

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