『岸辺の旅』(湯本香樹実)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『岸辺の旅』(湯本香樹実), 作家別(や行), 書評(か行), 湯本香樹実

『岸辺の旅』湯本 香樹実 文春文庫 2012年8月10日第一刷

きみが三年の間どうしていたか、話してくれないか - 長い間失踪していた夫・優介がある夜ふいに帰ってくる。ただしその身は遠い水底で蟹に喰われたという。彼岸と此岸をたゆたいながら、瑞希は優介とともに死後の軌跡をさかのぼる旅に出る。永久に失われたものへの愛のつよさに心震える、魂の再生の物語。(文春文庫)

死んだ夫と旅をする - 。
それは言えなかったさようならを伝える旅路。愛する人との永遠の別れを描く、究極のラブストーリー

昨年 (2015年) の秋には映画になりました。主演は、深津絵里と浅野忠信。他に、蒼井優、首藤康之、柄本明等が出演。監督は、黒沢清。第68回カンヌ国際映画祭 「ある視点部門」 監督賞を受賞しています。

この小説が纏う不思議な空気をどう説明すればいいのでしょう。解説の平松洋子さんは - 『岸辺の旅』では、生と死がとても親しい  - と書いています。

死は忌むものでも怖ろしいものでもなく、まして対極にあるものでもなく、むしろ混じり合うことを希求するふうに扱われ、描かれる。生は死をなつかしく想い、死は生をなつかしむかのようだと。

けだしその通りで、死者の世界と生者のそれ (彼岸と此岸) との境界線はどこまでも曖昧で、今語られている風景がどちらの世界のことなのかが分からなくなるときがあります。

当事者である瑞希も同様に、目の前にいる優介は確かに一緒にいた頃の優介に違いないのですが、その一方で、彼は既に亡くなっており、もうこの世の人ではないことも十分に理解しています。

理解しつつ、瑞希は、別の世界の住人となってしまった優介を以前のままに受け入れて、気付けば2人して旅に出ようとしています。

3年もの間姿をくらまし、何としても行方の知れなかった夫の優介が突然帰宅し、これまで離ればなれになっていた夫婦が失われた時間を生き直すようにして旅に出る  -  その道行きで出合う人々との交流の中には、瑞希が知らない (知らずにいた) 優介がいます。

瑞希が知っているのは、たとえば医科大学の歯科の講師をしていた優介。(失踪前の) 最後の電話で、いきなり 「大学を辞めた」 「自分はもう限界だ」 と言い放った優介です。それが消えてしまった直前のこと。

しかしながら、本当のところは何がどうなって人ひとりが消えてしまうことになったのかは誰も分かりません。人並みに悩んでもいたのでしょうが、それだけで優介は3年もの間失踪し、その上死んで瑞希のもとに帰ってきたのでした。

これから2人が始めようとするのは、失踪期間中に優介が世話になっていた人々を訪ねる旅なのですが、それはまた、優介が家へ戻ってきた 「帰り道を遡る旅」 でもあります。

それが一体何を意味するのか?   死んだ者と生きている者とが手を携えて、死者が死者となるまでの道行きを遡る  -  それがなぜ必要なのか?   優介は何を伝えようとして瑞希の前に現れ、2人して旅に出ることを思い立ったのでしょう。

旅を通じてそれまで知らなかった夫の姿を知り、やがて深い愛を感じるようになる瑞希は、叶わないと知りながら尚も旅を続けようと優介に言い募ります。2人一緒ならこの先永遠に旅していたいと願うのですが、優介には 「留まっていられる」 限界というものがあります。

旅の道中で出合う人々と過ごすほんの短い幾日かに、言い知れぬ味わいがあります。最後はあまりに切なく、美しい。それよりほかに言葉がありません。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆湯本 香樹実
1959年東京都生まれ。
東京音楽大学音楽学部作曲学科卒業。

作品 「夏の庭 - The Friend」「西日の町」「くまとやまねこ」「ポプラの秋」「わたしのおじさん」「夜の木の下で」「春のオルガン」他

関連記事

『忌中』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文

『忌中』車谷 長吉 文芸春秋 2003年11月15日第一刷 5月17日、妻の父が86歳で息を

記事を読む

『カインの傲慢/刑事犬養隼人』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『カインの傲慢/刑事犬養隼人』中山 七里 角川文庫 2022年6月25日初版 命に

記事を読む

『ギッちょん』(山下澄人)_書評という名の読書感想文

『ギッちょん』山下 澄人 文春文庫 2017年4月10日第一刷 四十歳を過ぎた「わたし」の目の前を

記事を読む

『きみの友だち』(重松清)_書評という名の読書感想文

『きみの友だち』重松 清 新潮文庫 2008年7月1日発行 わたしは「みんな」を信

記事を読む

『君のいない町が白く染まる』(安倍雄太郎)_書評という名の読書感想文

『君のいない町が白く染まる』安倍 雄太郎 小学館文庫 2018年2月27日初版 3月23日、僕は高

記事を読む

『きりこについて』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『きりこについて』西 加奈子 角川書店 2011年10月25日初版 きりこという、それはそれ

記事を読む

『メガネと放蕩娘』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『メガネと放蕩娘』山内 マリコ 文春文庫 2020年6月10日第1刷 実家の書店に

記事を読む

『木洩れ日に泳ぐ魚』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『木洩れ日に泳ぐ魚』恩田 陸 文春文庫 2010年11月10日第一刷 舞台は、アパートの一室。別々

記事を読む

『カインは言わなかった』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『カインは言わなかった』芦沢 央 文春文庫 2022年8月10日第1刷 男の名は、

記事を読む

『タイニーストーリーズ』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

『タイニーストーリーズ』山田 詠美 文春文庫 2013年4月10日第一刷 当代随一の書き手がおくる

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『あいにくあんたのためじゃない』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『あいにくあんたのためじゃない』柚木 麻子 新潮社 2024年3月2

『執着者』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『執着者』櫛木 理宇 創元推理文庫 2024年1月12日 初版 

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑