『アレグリアとは仕事はできない』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『アレグリアとは仕事はできない』津村 記久子 ちくま文庫 2013年6月10日第一刷

万物には魂が宿る。ミノベの信仰にはそうある。万物に魂は宿る。母体の下の口から、あるいは殻を破り、あるいは分裂し、あるいは型を抜かれ、あるいは袋に詰められ、あるいはネジをとめられ、あるいはネジと一緒に梱包され、万物の命は生まれる。そこに魂は宿る。ミノベは信じる。だからミノベは舌打ちをし、目を眇め、衝動に震える足を踏み鳴らし、叫ぶのである。

「おまえなあ、いいかげんにしろよ! 」ミノベは、品番YDP2020商品名アレグリアの原稿テーブルを、平手で何度も叩きつけた。「何分休むんだよ! 後輩ならロッカーで殴ってるぞ、なんぴとも遭ったことのないような残酷なパワハラに晒して、辞めるまで苛め抜くぞしまいに! 追い込めるだけ追い込んで、通勤途中の電車に飛び込んで一族郎党に債務を抱えさせて、世の中のすべての人間がおまえが死んだことなんて哀しまないように仕向けるつもりだこら本気で! 死ね! 働かないやつは死ね! 」

- 少々長くなりましたが、物語はこんな文章から始まります。どうです? 津村記久子の小説をよく読む方ならわかっていただけると思うのですが、これぞ彼女の真骨頂! ともいうべき、まことに心躍る、そして思わず笑ってしまう傑作な書き出しではないですか。

これだけで、(私なんかは)もう、面白いという確信があります。ミノベというのはきっと小柄で勝気な、それでいて上司や先輩には何くれと気を遣い、自分の仕出かした小さな失敗をじくじくといつまでも気に病み、しかし心では、うら若きOLとはおよそ思えないほどの毒舌を吐く、他に滅多とない(私好みの)キャラクターであるのがわかります。

ミノベは、ある小さな地質調査会社に勤めています。中途採用で入社して約2年。彼女は調査結果やそれにまつわる推論をつらねたものを報告書として製本する仕事を担当しています。

ひたすらコピーしたり、紙を折ったり、ステープラーでまとめたり、きれいにテープを貼ったり、ネジをとめたりという仕事内容は、慣れればあまり神経の参らないものであり、ミノベ曰く〈画一性の持つ穏やかな安定〉があります。ところが -

ただひとつ、そんな平安な職場においてミノベの前に立ちはだかるものがあります。それが「アレグリア」と名付けられた複合機 - ミノベ最大の敵アレグリアは、A3からA1対応のプリンタ、スキャナ、コピーの3つの機能を持つ〈機械〉のことで、幸か不幸か(!?)人のことではありません。

ミノベに言わせると、アレグリアはどうしようもない性悪で、快調なスキャン機能でそれを主に使う男性社員の歓心を買い、そのじつ怠惰そのものの態度をミノベには示し、まるで媚を売る相手を選んでいるようにも思えます。

メンテナンスの人間がやってくると、ぐずっていたそれまでの様子を覆し、突然ちゃんと動き始めたりもします。「こいつは女が嫌いなんだと思います」と社内でただ一人ミノベと同じ仕事をしているトチノ先輩に話すと、決まって彼女は不思議な顔をします。

そこまでの憎悪をアレグリアに募らせているのはミノベ一人で、そのことがどうしようもなく孤独を誘います。ミノベとまったく同じ仕事をしているというのに、腹を立てないトチノ先輩がどうこうではなく、悪いのは、自分にここまで思わせるアレグリアである - ミノベは、一人激しく憤っているのです。
・・・・・・・・・
表立って語られているのはややコミカルな(ミノベにすればこの上なく真剣な)機械と人間のバトルなわけですが、話はそれで終わるわけではありません。あとには、切ない、あるいはもろに人間臭いドラマが用意されています。

アレグリアは機械であって機械に非ず - この小説はそれを取り巻く現代の「会社員小説」として、ぜひおススメしたい一冊なのであります。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆津村 記久子
1978年大阪府大阪市生まれ。
大谷大学文学部国際文化学科卒業。

作品 「まともな家の子供はいない」「君は永遠にそいつらより若い」「ポトスライムの舟」「ミュージック・ブレス・ユー!! 」「とにかくうちに帰ります」「浮幽霊ブラジル」他多数

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