『あのひと/傑作随想41編』(新潮文庫編集部)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『あのひと/傑作随想41編』(新潮文庫編集部), 書評(あ行)

『あのひと/傑作随想41編』新潮文庫編集部 新潮文庫 2015年1月1日発行

懐かしい名前がずらりと並んでいます。現役の作家あり、既に歴史上の人物となっている作家の名前ありで、幅の広い「名文集」になっています。丁寧な作りで、著者の略歴、それぞれの底本一覧も付いています。

私が読みたいと思ったのは、若い頃私なりに熱中して読んでいた作家の文章です。今では亡き人になり、紙面でみる機会がめっきり少なくなりましたが、ちょうど私が本を読み出した頃には現役バリバリで、私の青春に付き合ってくれた大事な、大事な人たちなのです。

例えば、【島尾敏雄】「幼い頃」 底本:「島尾敏雄全集」第14巻(晶文社)
島尾敏雄といえば『死の棘』。夫の情事を知った貞淑な妻が精神を病み、如何にしても修復できない凄絶な夫婦の関係が描かれている作品です。読んでいる間、まともに呼吸できない小説でした。私のなかでは、今でも強烈な印象がそのままに記憶に留まっています。

【田村隆一】「祖母と母」 底本:「田村隆一全集」第5巻(河出書房新社)
ダンディな詩人でした。この人の顔が大写しで表紙に載っているだけで、その雑誌が欲しくなるくらいカッコいいのです。酒好きで、これぞ詩人という風体に憧れていました。文章は短いものですが、詩人が書くとこうなのか、無駄な感想が一切ありません。

【吉行淳之介】「恩師岡田先生のこと」 底本:「吉行淳之介全集」第12巻(新潮社)
この人も田村隆一と同じくカッコいい大人でした。二人とも酒好きで、女好きのインテリで、インテリを鼻にかけずに適度に堕落している風情が良いのです。こんな大人になりたいと真剣に思いました。文章は簡潔、エッセイの名手として知られています。

【遠藤周作】「母と私」 底本:「遠藤周作文学全集」第12巻(新潮社)
当時「第三の新人」と言われていた作家の一人で、他には前述の吉行淳之介、安岡章太郎といった作家がいます。敬虔なクリスチャンで、キリスト教を題材にした真摯な小説を書く傍ら、「狐狸庵先生」の愛称でコミカルな作品も多く発表しています。ネスカフェ・ゴールドブレンドのテレビCM憶えてませんか?

この他、三島由紀夫、松本清張、星新一などの文章も読めます。
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中原中也と石川啄木、二人の夭折した詩人がいました。中原中也は30歳、石川啄木は26歳で亡くなっています。波乱の人生でした。不遜ですが、若くして死ぬことがとても美しく感じ、二人が死んだ歳を過ぎてしまう自分がとても醜い人間に思えた時期がありました。

中原中也「汚れっちまった悲しみに・・・」
汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる・・・

石川啄木「一握の砂」我を愛する歌
こころよく
人を褒めてみたくなりにけり
利己の心に倦めるさびしさ

【中原中也】「亡弟」 底本:「中原中也全集」第3巻(角川書店)
本人が亡くなる前に、弟が病死します。見舞いに訪れた様子、そのときの薄情な医者の態度に対する憤怒、出口が見当たらない自分の状況などが綴られています。非常に勝気な反面、すこぶる小心で人目を気にする中也の性格がよく分かる文章です。
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最後に、現役の作家を二人ご紹介します。
【小川洋子】「朝日高校の制服」 底本:「深き心の底より」(PHP文芸文庫)
これも短い文章です。若いと思っていた小川洋子さんも50歳を過ぎました。母の手作りの服やスカートが成長するに従って疎ましくなったという話ですが、制服の上着が古着でスカートは母親の手作りだったとは驚きです。疎ましく感じたことを、後々小川洋子さんは後悔するのですが、私も小学校のとき冬のジャンパーが母の手作りで、それが嫌でした。

【石原慎太郎】「虹」 底本:「わが人生の時の時」(新潮文庫)
言わずと知れた、あの石原慎太郎です。元東京都知事で、超が付く人気俳優だった故石原裕次郎のお兄さんです。石原慎太郎が大学在学中に小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞したことや、「西部警察」のずっと前、おそらく当時日本で一番の人気映画俳優だった石原裕次郎の兄であることを知る人は、年を追うごとに少なくなっているのでしょうね。

「虹」は、稀代のスター・石原裕次郎が亡くなる前後の話です。石原慎太郎の政治家としてのキャラが強いのでいささか抵抗のある方もおられるでしょうが、ここは黙って読んでみてください。ちょっと胸が詰まる、さすが芥川賞作家の文章です。
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たぶん若かった私は、多くの小説に書かれた内容を何ほどにも理解していなかったのだと思います。勝手に分かったつもりで、読み飛ばしていたのです。この歳になってみると、それがよく分かります。若さと勢いだけでは、多くのものを見逃してしまいます。

上滑りで、尤もらしいことを言いたいがために読んでいた阿呆であったのを、今になって恥じ入るのです。レベルは違えども、著名な作家たちも肉親やかつての恩師について、ある年齢に達してあるいは事が終えた後になって知る、人生の感慨を綴っています。

休みが続いてぽっかり空いた一日に、でなければ通勤電車に揺られながらでも、思いつくページを捲ってみてください。心地よい時間が手に入りますよ。

《追伸》
冒頭には、谷川俊太郎の詩「あのひとと呼ぶとき」が掲載されており、締めには同じく谷川氏が「あのひと考」と題して、短いメッセージと吉原幸子の詩「あのひと」を紹介しています。

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