『Yuming Tribute Stories』(桐野夏生、綿矢りさ他)_書評という名の読書感想文

『Yuming Tribute Stories』桐野夏生、綿矢りさ他 新潮文庫 2022年7月25日3刷

いまも胸にのこる後悔、運命と信じたはかない恋心、忘れえぬ異国の光景、取り戻したかったあの瞬間の空気。そう、願いがかなうものならば - 。メロディーを耳にしただけで、あの頃の切ない想いを鮮やかに蘇らせてくれる永遠の名曲たち。不出世の天才シンガーソングライター、ユーミンのタイトルが、6人の作家によって新たなストーリーへと生まれ変わる。唯一無二のトリビュート小説集。(新潮文庫)

本書は、松任谷由実 (ユーミン) デビュー50周年を記念して、六人の作家による書き下ろし中短篇を収録したオリジナル小説集です。軽い読み物ではと疑っているあなた、嘘だと思って読んでみてください。思う以上に “深く胸に迫る” 話が書いてあります。

目次 CONTENTS
あの日にかえりたい 小池真理子 from the single as same title (1975年)
DESTINY 桐野夏生 from the album 「悲しいほどお天気」 (1979年)
夕涼み 江國香織 from the album 「PEARL PIERCE」 (1982年)
青春のリグレット 綿矢りさ from the album 「DA・DI・DA」 (1985年)
冬の終わり 柚木麻子 from the album 「TEARS AND REASONS」 (1992年)
春よ、来い 川上弘美 from the single as same title (1994年)

DESTINY桐野夏生
悲しい内容だけれど明るくアップテンポなこの歌は、1979年にリリースされた 『悲しいほどお天気』 に収められた一曲。

この曲のもう一つの特徴は、微量のユーモア成分を含むところでしょう。自分をふった男性と偶然、そしてようやく再会した時、
「どうしてなの 今日にかぎって
安いサンダルを はいてた」
のが、歌の主人公。彼女はそのことによって、彼が自分にとって運命の人ではないことを悟るのです。

そして小説に漂うのもまた、軽快なリズムと、ちょっとしたユーモアなのでした。主人公である大学職員の男性は、破綻の少ない人生を淡々と送っています。が、ある日出会った 「運命の人」 が、彼の人生のリズムを揺さぶりました。
そんな彼に、自らの運命を悟らせた存在とは、何だったのか。運命という重大なものを決定するのは、決して同じくらい重大なものではないことがわかります。

春よ、来い川上弘美
冬が終わり、やがて春。本書の最後を飾るのは、1994年にシングルとして発表され、今やクラシック曲ともなった感のある 「春よ、来い」 です。

バブル期、ユーミンもバブル感が濃厚に漂う歌を歌っていました。一方でその時期、物質文化とは正反対の、聖なる存在や愛、永遠といった、抽象度の高いテーマについての歌も目立つようになります。時代の少し先を読む能力に長けているユーミンは、物質文明の只中で、次に求められるものを感じ取っていたのです。

バブル崩壊後の経済低迷期の曲である 「春よ、来い」 にしても、特定の男女の恋愛というより、さらに大きな愛を歌った一曲。
「愛をくれし君」
「夢をくれし君」
という歌詞の 「君」 に、聴く人によって様々な対象を当てはめることができるからこそ、この歌は今も歌い継がれているのではないか。

小説において我々が接することができるのは、「愛をくれし君」 の実像です。この小説に登場するのは、「あれ」、すなわち一度だけ願いをかなえる能力を持っている人々。一方にいるのは、学校でいじめられている女子中学生です。

縁もゆかりもない登場人物達はやがて、ユーミンの磁力に引き寄せられるかのように、苗場のライブ会場に集まってくるのでした。
そこで起こるのは、しかし奇跡ではありません。ただ、皆がライブを楽しむだけ。・・・・・・・なのだけれど、読後に漂ってくるのは、「春は、来る」 という濃厚な予感です。誰かのためになりたいという気持ちこそが春を呼ぶということを、「春よ、来い」 という歌と小説は、我々に教えてくれるのです。(二話共に解説より抜粋 by 酒井順子)

※あなたにもきっとあるはず、あったはずの事が書いてあります。その時流れていた曲が、もしも、たとえユーミンではなかったとしても - それはそれで一向に構いません。大事なのは、青春の (おそらくは) 悔恨とともに思い出す歌が今は生きるよすがとなっている、という点です。

この本を読んでみてください係数 85/100

関連記事

『虜囚の犬/元家裁調査官・白石洛』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『虜囚の犬/元家裁調査官・白石洛』櫛木 理宇 角川ホラー文庫 2023年3月25日初版発行

記事を読む

『水やりはいつも深夜だけど』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『水やりはいつも深夜だけど』窪 美澄 角川文庫 2017年5月25日初版 セレブマ

記事を読む

『疫病神』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『疫病神』黒川博行 新潮社 1997年3月15日発行 黒川博行の代表的な長編が並ぶ「疫病神シリー

記事を読む

『人間に向いてない』(黒澤いづみ)_書評という名の読書感想文

『人間に向いてない』黒澤 いづみ 講談社文庫 2020年5月15日第1刷 とある若

記事を読む

『中尉』(古処誠二)_書評という名の読書感想文

『中尉』古処 誠二 角川文庫 2017年7月25日初版発行 敗戦間近のビルマ戦線に

記事を読む

『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』(町田そのこ)_書評という名の読書感想文

『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』町田 そのこ 新潮文庫 2021年4月1日発行

記事を読む

『わたしの本の空白は』(近藤史恵)_書評という名の読書感想文

『わたしの本の空白は』近藤 史恵 ハルキ文庫 2021年7月18日第1刷 気づいた

記事を読む

『墓地を見おろす家』(小池真理子)_書評という名の読書感想文

『墓地を見おろす家』小池 真理子 角川ホラー文庫 2014年2月20日改訂38版 都心・新築しかも

記事を読む

『迅雷』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『迅雷』黒川 博行 双葉社 1995年5月25日第一刷 「極道は身代金とるには最高の獲物やで」

記事を読む

『指の骨』(高橋弘希)_書評という名の読書感想文

『指の骨』高橋 弘希 新潮文庫 2017年8月1日発行 太平洋戦争中、激戦地となった南洋の島で、野

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『メイド・イン京都』(藤岡陽子)_書評という名の読書感想文

『メイド・イン京都』藤岡 陽子 朝日文庫 2024年4月30日 第1

『あいにくあんたのためじゃない』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『あいにくあんたのためじゃない』柚木 麻子 新潮社 2024年3月2

『執着者』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『執着者』櫛木 理宇 創元推理文庫 2024年1月12日 初版 

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑