『いつも彼らはどこかに』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『いつも彼らはどこかに』小川 洋子 新潮文庫 2025年11月25日 2刷

博士の愛した数式の著者がおくる珠玉の短編小説集

喪失のさびしさにそっと寄りそう、静かであたたかな物語

たっぷりとたてがみをたたえ、じっとディープインパクトに寄り添う帯同馬のように。深い森の中、小さな歯で大木と格闘するビーバーのように。絶滅させられた今も、村のシンボルである兎のように。滑らかな背中を、いつまでも撫でさせてくれるブロンズ製の犬のように。- 動物も、そして人も、自分の役割を全うし生きている。気がつけば傍に在る彼らの温もりに満ちた、8つの物語。(新潮文庫)

(目次)
帯同馬
ビーバーの小枝
ハモニカ兎
目隠しされた小鷺
愛犬ベネディクト
チーター準備中
断食蝸牛
竜の子幼稚園

ある夏の朝彼女は、一頭の競走馬がフランスで行われるレースに出場するため空港を飛び立った、という新聞記事を目にする。ディープインパクトと名付けられたそのクラシック三冠馬は、権威ある凱旋門賞での優勝が期待されているらしい。
なぜそんな記事を心に留めたのか、彼女は自分でも説明がつかない。クラシック三冠の意味も、凱旋門賞の重みもぴんとこない。ディープインパクトの名を耳にしたことはあったかもしれないが、ただそれだけの話だった。
にもかかわらず彼女は記事を二度、三度と読み返し、付け足しのように添えられた最後の一行に視線を落とす。

慣れない土地への移動のストレスを緩和するため、ピカレスクコートが帯同馬としてともに出国した新聞にはコンテナに入れられた二頭の写真が載っている。彼らは伏し目がちに寄り添い合い、大人しく立っている。ディープインパクトの方が少し小柄に見える。悪漢、の名とは不釣合いに、ピカレスクコートは穏やかな目をしている。彼女はピカレスクコートの方ばかりをいつまでも見つめている。(第一話 「帯同馬」 より)

作品には、この物語のピカレスクコートに似た、ビーバーや兎や、置き物の犬などが登場します。かれらは間違っても主役ではありません。そして、「帯同馬」 でいうと、主役はディープインパクトでもありません。「主役」 は (およそそれらしくはないのですが) 別にいます。

とても静かな小説集だ。そして、一編ずつに、勇気あるいは動物という名前の、小さな光が灯っている。

スーパーのデモンストレーションガール、小説家、朝食専門店の店主、移動修理屋の老人と美術館職員、学校に行かなくなった妹 (とその兄と祖父)、動物園の売店で働く女、蝸牛を飼う風車守 (と、その男に会いに来る二人の女)、誰かの身代りになって旅をするのが仕事の女 - 。主人公たちはみんな地味だ。モノレール以外の電車に乗れなくなってしまったり、若い子たちに気圧されて、なかなかアイスクリームが買えなかったりする人たち。そして、彼らのそばには動物たちがいる。言葉を持たず、置かれた場所で、与えられた時間をただ全身で生きている動物たちが。

動物たちの存在は、どの小説のなかでもとてもひっそりしている。決して前面にでることなく、けれど圧倒的な強さと大きさで物語を支えている。おそらく、支える気などまるでなしに。(江國香織/解説より)

この本を読んでみてください係数 85/100

◆小川 洋子
1962年岡山県岡山市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。

作品 「揚羽蝶が壊れる時」「妊娠カレンダー」「博士の愛した数式」「沈黙博物館」「貴婦人Aの蘇生」「ことり」「ホテル・アイリス」「ブラフマンの埋葬」「ミーナの行進」他多数

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