『泳いで帰れ』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/11 『泳いで帰れ』(奥田英朗), 作家別(あ行), 奥田英朗, 書評(あ行)

『泳いで帰れ』奥田 英朗 光文社文庫 2008年7月20日第一刷

8月16日、月曜日。朝の品川駅はいつもどおりの通勤ラッシュであった。サラリーマンやOLたちが忙しそうに先を急いでいる。普段とちがうものといえば、なんとなく人々の表情が暗いことだ。

お盆休みが終わって、最初の月曜日だった。バカンス明けの朝が楽しいという人間は、よほどの会社人間か、家に居場所がないかのどちらかだ。これから、退屈な日常が始まる。電話をかけて、人と会って、議論して、電卓をたたく。

上司は思いつきでものを言うし、部下はその場しのぎでものを言う。もちろん充実した人生は仕事抜きに語れないが、それでも人間は、自由に遊んでいる方が楽しいに決まっている。仕事とは、いやなものだ。

駅の喧噪をよそに、8時49分発の成田エクスプレスに乗り込み、成田空港からアテネへ。108年振りに発祥の地に還ったオリンピック・ゲームへと、その人はまさに今旅立とうとしています。

かっかっか。通勤途中のみなさん、ごめんなさい。日本中の勤労者たちが動き出した日に、アテネだと。一般ピープルからすれば、小説家などという職業は遊び人に等しいだろう。誰にも頭を下げず、命令もされず、勝手気ままに生きている。しかも旅をして文章を書けば、原稿料というものが入ってくる。

再度ここで「かっかっか」と高笑い・・・・と思いきや、実のところは、奥田英朗は(バカンス明けのサラリーマンと同様に)ひどく冴えない顔をしています。浮き立つような気持ちがまるでありません。本心を言えば、海外になど行きたくはなかったのです。

みなに問いたい。どうしてそんなに海外に出かけるのか。言葉は通じないし、勝手はちがうし、不便なことだらけではないか。おまけに飛行機だって(たまに)落ちる。昨今はテロの不安もある。自分は大丈夫なんて、どうして言い切れる?

好奇心旺盛だったのはせいぜい30代の初めまでで、あとはひたすら億劫なだけだったといい、晴れて日本へ戻ったときのうれしさばかりを語ります。自分は生来の面倒臭がり屋で、ヴァイタリティなんてものは10年前に消失した。行動派ではないのだと言います。

じゃあどうしてわたしは旅に出るのかって? それはもう、行ったやつが威張るからに決まっているのである。

始まって8ページ余り、こんな〈うだうだ〉した話が続きます。

これは小説ではありません。出不精を自認する著者の滅多とない海外「旅行記」、ふとしたはずみで実現なったアテネ・オリンピックの「観戦記」です。

主たる目的は、野球観戦。期間は10日間。「長嶋ジャパンの戦いぶりを観てみたい」と言ったのが発端であれよあれよという間に、奥田英朗は思いもよらない〈旅〉をすることになります。

なぜタイトルが 『泳いで帰れ』 なのか? わかればきっと - 笑わずにいられなくなります。

この本を読んでみてください係数 80/100

◆奥田 英朗
1959年岐阜県岐阜市生まれ。
岐阜県立岐山高等学校卒業。プランナー、コピーライター、構成作家を経て小説家。

作品 「ウランバーナの森」「最悪」「邪魔」「空中ブランコ」「町長選挙」「沈黙の町で」「無理」「噂の女」「ナオミとカナコ」「向田理髪店」他多数

関連記事

『口笛の上手な白雪姫』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『口笛の上手な白雪姫』小川 洋子 幻冬舎文庫 2020年8月10日初版 「大事にし

記事を読む

『報われない人間は永遠に報われない』(李龍徳)_書評という名の読書感想文

『報われない人間は永遠に報われない』李 龍徳 河出書房新社 2016年6月30日初版 この凶暴な世

記事を読む

『いかれころ』(三国美千子)_書評という名の読書感想文

『いかれころ』三国 美千子 新潮社 2019年6月25日発行 「ほんま私は、いかれ

記事を読む

『イヤミス短篇集』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『イヤミス短篇集』真梨 幸子 講談社文庫 2016年11月15日第一刷 小学生の頃のクラスメイトか

記事を読む

『失はれる物語』(乙一)_書評という名の読書感想文

『失はれる物語』乙一 角川文庫 2006年6月25日初版 目覚めると、私は闇の中にいた。交通事故に

記事を読む

『夢に抱かれて見る闇は』(岡部えつ)_書評という名の読書感想文

『夢に抱かれて見る闇は』岡部 えつ 角川ホラー文庫 2018年5月25日初版 男を初めて部屋に上げ

記事を読む

『蟻の菜園/アントガーデン』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『蟻の菜園/アントガーデン』柚月 裕子 角川文庫 2019年6月25日初版 婚活サ

記事を読む

『シャイロックの子供たち』(池井戸潤)_書評という名の読書感想文

『シャイロックの子供たち』池井戸 潤 文春文庫 2008年11月10日第一刷 ある町の銀行の支店で

記事を読む

『文庫版 オジいサン』(京極夏彦)_なにも起きない老後。でも、それがいい。

『文庫版 オジいサン』京極 夏彦 角川文庫 2019年12月25日初版 72歳の益

記事を読む

『罪の余白』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『罪の余白』芦沢 央 角川文庫 2015年4月25日初版 どうしよう、お父さん、わたし、死んでしま

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ついでにジェントルメン』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『ついでにジェントルメン』柚木 麻子 文春文庫 2025年1月10日

『逃亡』(吉村昭)_書評という名の読書感想文

『逃亡』吉村 昭 文春文庫 2023年12月15日 新装版第3刷

『対馬の海に沈む』 (窪田新之助)_書評という名の読書感想文

『対馬の海に沈む』 窪田 新之助 集英社 2024年12月10日 第

『うたかたモザイク』(一穂ミチ)_書評という名の読書感想文

『うたかたモザイク』一穂 ミチ 講談社文庫 2024年11月15日

『友が、消えた』(金城一紀)_書評という名の読書感想文

『友が、消えた』金城 一紀 角川書店 2024年12月16日 初版発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑