『シンドローム』(佐藤哲也)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/09
『シンドローム』(佐藤哲也), 佐藤哲也, 作家別(さ行), 書評(さ行)
『シンドローム』佐藤 哲也 キノブックス文庫 2019年4月9日初版
「これは宇宙戦争なんだ」 謎の生命体が地球に侵略してきた。緊迫した状況の中、〈ぼく〉 が気になるのは久保田葉子のことばかり。精神的な 〈ぼく〉 が恋などという 〈迷妄〉 に踊らされることはない、はずだった。ライバル的存在の平岩、B級映画に詳しい倉石、四人は危機的状況を無事に脱することはできるのか? そして 〈ぼく〉 の 〈迷妄〉 の行方は? 青春SF小説の金字塔的作品。【解説:森見登美彦】(キノブックス文庫)
これを純粋なSF小説だと思って読むと、存外期待外れに終わる。そうではないのだ。SF小説の名を騙った、これはまごうことなき青春小説である。しかも、解説にある言葉を借りるなら、「凄まじくハイレベルなひとり相撲」 を描いた物語だ。しかと “玩味” して読んでもらいたい。〈ぼく〉 はあの頃の私であり、貴方なのだ。
青春とは 「ひとり相撲」 である。
たとえばひとりの黒髪の乙女に恋をしたとしよう。
その恋を成就させるためには乙女との距離を縮め、しかるべき地点で自分の思いを相手に伝えなければならない。恋愛成就の可能性を見きわめるべく、我々の精神は目まぐるしく活動する。乙女からのなんということもないメールを熟読玩味し、その一挙手一投足から膨大な仮説を組み立て、希望的観測と絶望的観測によって揉みくちゃにされる。しかし実地に検証する勇気のないかぎり、意中の乙女の胸の内は推測するしかなく、自分で作りだした幻影との駆け引きが続く。そこに 「恋のライバル」 が現れようものならもうメチャメチャである。我々は幻影をめぐって幻影と争う。
これをひとり相撲と言わずしてなんと言おう。主人公 「ぼく」 と久保田さんをめぐる物語は、その大枠だけを見るなら、びっくりするぐらい単純素朴なものである。
ちょっと気になる同級生の女の子がいて、そっけないメールの返事にヤキモキさせられたり、一緒にバスで下校してドギマギしたりしつつ、なんとか勇気を振り絞って二人きりのランチを取り、さらなる恋のステップとして映画に誘う - 恋愛の成就不成就はべつにして、多くの人に同じような嬉し恥ずかしの経験があるだろう。私にだって、あります。にもかかわらず、この初々しい青春の一コマがなんとも異様な迫力が帯びてくる原因は、ひとえに主人公が駆使する言葉にある。その言葉を通して我々が目撃するのは、凄まじくハイレベルなひとり相撲なのである。(解説より)
例えば、作中では主人公の 「ぼく」 のこんな一人語りが、くどいぐらいに繰り返される。
午前中の授業にはあまり集中できなかった。
気がつくと、気持ちがどこかで乱れていた。
気がつくと、執拗な胸の鼓動を聞いていた。
気になることがあるからだ、とぼくは思う。
少し心が乱れているようだ、とぼくは思う。
落ち着かなければならない、とぼくは思う。
それなのに心が乱れている、とぼくは思う。
教師の言葉が、意味不明の音に化けていく。
黒板の文字が、意味不明の線に化けていく。
気がつくと手がノートの上でとまっている。
気がつくと目が宙のどこかを見つめている。
ぼくに何が起きているのか、とぼくは思う。
落ち着かなければならない、とぼくは思う。
とめることができないのだ、とぼくは思う。
ぼくはどうかしているのだ、とぼくは思う。(本文 「四日目」 にある語りの一部)
まだまだ続く。まだまだ続き、ようやく 「ぼく」 はある決意に至る。
「久保田ってさ、お昼、いつもどこで食べてるの? 」- それが最初の、やっと言えた言葉だった。
街を襲う謎の生命体の正体は依然不明のままで、その分余計に不安を煽る。誰もが非常事態と知りながら、敢えてそこから目を背けようとするのは、知るとなおさら恐怖が募り、動揺してわけがわからなくなってしまうからだろう。これは - 彼女に向けた 〈ぼく〉 の 〈迷妄〉 と、まるでそっくりではないか?
この本を読んでみてください係数 85/100
◆佐藤 哲也
1960年静岡県浜松市生まれ。
成城大学法学部法律学科卒業。
作品 「イラハイ」「沢蟹まけると意志の力」「妻の帝国」「熱帯」「サラミス」「下りの船」他
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