『この世にたやすい仕事はない』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『この世にたやすい仕事はない』津村 記久子 新潮文庫 2018年12月1日発行

「一日コラーゲンの抽出を見守るような仕事はありますかね? 」 ストレスに耐えかね前職を去った私のふざけた質問に、職安の相談員は、ありますとメガネをキラリと光らせる。隠しカメラを使った小説家の監視、巡回バスのニッチなアナウンス原稿づくり、そして・・・・・。社会という宇宙で心震わすマニアックな仕事を巡りつつ自分の居場所を探す、共感と感動のお仕事小説。芸術選奨新人賞受賞。(新潮文庫)

私の場合は逆でした。今思うと、私も悪かった。50歳を目の前にして約25年勤めた会社を辞め、できればまるで違う仕事がしたい、と言ったのでした。初めて行ったハローワーク(職安) でのことです。

それなりに十分考えてのことだったのですが、たまたまなった私の窓口担当のオジサン - つつがなく公務員として定年を迎え、斡旋された第二の職場でつつがなく仕事をしているように見えたその人は、(やや怒ったように下を向き) 言下に否定したのでした。

あなたねえ・・・・・・・、それはないわ。

言いはしなかったものの、私に対し、本当はオジサンはこう言いたかったのでしょう。「これといった取り柄もない人間が、50を前にして今更何をほざくのか」 「身の程知らずも大概にしろ」 と。そんな台詞を。

私の、ほんとうの気持ちを伝えるべき言葉が足りなかったのです。私がしたいと望む仕事は比較的単純な仕事、人の顔色ばかりを気にせぬような、できれば自分一人で完結するような、そしてそれは前職とは真逆の - そんな仕事がしたいと考えていました。

賃金などは二の次で、今更正社員などとは考えてもいませんでした。考えたところでなれるはずもなく、あわよくばなれたとしても、二度と管理職になどなりたくはなかった。だから仕事を辞めたのに。それを正しく伝えることができなかったのです。

その点彼女は実に的を得ていた、といえます。理由はどうであれ、言わずに事は始まらないのですから。

家からできるだけ近いところで、一日スキンケア用品のコラーゲンの抽出を見守るような仕事はありますかね? と相談員さんに条件を出してみた。だめもとだった。前職は燃え尽き症候群のような状態になってやめ、心身を休めるために実家に帰っていた。

その後、失業保険が切れたので、消耗しきって仕事を辞したとはいえ、いつまでもぶらぶらしているわけにもいかないと思い、とりあえず職探しを始めたのだが、正直、働きたいのか働きたくないのかわからないような状態だったので、前述のようなふざけたことを言ってしまった。怒られるだろう、と思った。

しかし、初老の相談員の女性は、「あなたにぴったりな仕事があります」 と、その柔和な物腰にそぐわない感じで、キラリとメガネを光らせたのだった。それで紹介されたのがこの仕事だった。確かに、私の希望通りの仕事ではあったが、コラーゲン抽出を見張る人にも苦労はあるように、この仕事もそれなりにつらい。(第一話 「みはりのしごと」 より)

こうして彼女は、実家と道を挟んで向かいに建つビルで働くようになります。壁やパーティションで六畳ぐらいに仕切られた無数の小部屋の一室で、終日できる限りそこに居て、ノートパソコンのモニター越しに “対象者を監視する” という仕事に就きます。

私が担当している山本山江という人物は、小説を書くことを生業にしていて、知人からそれとは知らずに密輸品の 『何か』 を預かっているらしい。ブツはわりとやばいものなのだそうだが、私みたいな下っ端は教えてもらえない。

ブツの隠し場所は、山本山江が膨大に所持しているBDかDVDのケースの中のどこかだということはわかっているものの、あまりにも量が多いので、山本山江の外出時におこなった非公式なガサ入れの際に、ブツを見つけることができず、代わりにカメラを仕掛けて、知人が受け取りに来るのを見張っているとのことである。(後略/P14.15)

山本山江の家での生活は24時間録画され、それを彼女か細大漏らさずチェックします。全てをリアルタイムで見るのは不可能で、例えば昨日見られなかった分の録画を右のモニターに、今現在の映像を左のモニターに、二つ同時にチェックしたりします。

山本山江が明らかに寝ていると思われるとき、基本その時以外は早送りすることを禁じられています。監視するうち、いつしか彼女はとても “疲れる” ようになります。”山本山江” が乗り移り、頭痛がするようになります。

◆この本を読んでみてください係数 85/100

◆津村 記久子
1978年大阪府大阪市生まれ。
大谷大学文学部国際文化学科卒業。

作品 「まともな家の子供はいない」「君は永遠にそいつらより若い」「ポトスライムの舟」「ミュージック・ブレス・ユー!! 」「とにかくうちに帰ります」「浮幽霊ブラジル」「ディス・イズ・ザ・デイ」他多数

関連記事

『雪の練習生』(多和田葉子)_書評という名の読書感想文

『雪の練習生』多和田 葉子 新潮文庫 2023年10月5日 6刷 祝 National Bo

記事を読む

『小説 ドラマ恐怖新聞』(原作:つのだじろう 脚本:高山直也 シリーズ構成:乙一 ノベライズ:八坂圭)_書評という名の読書感想文

『小説 ドラマ恐怖新聞』原作:つのだじろう 脚本:高山直也 シリーズ構成:乙一 ノベライズ:八坂圭

記事を読む

『空中庭園』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『空中庭園』角田 光代 文春文庫 2005年7月10日第一刷 郊外のダンチで暮らす京橋家のモッ

記事を読む

『コロナと潜水服』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『コロナと潜水服』奥田 英朗 光文社文庫 2023年12月20日 初版1刷発行 ちょっぴり切

記事を読む

『小島』(小山田浩子)_書評という名の読書感想文

『小島』小山田 浩子 新潮文庫 2023年11月1日発行 私が観ると、絶対に負ける

記事を読む

『カナリアは眠れない』(近藤史恵)_書評という名の読書感想文

『カナリアは眠れない』近藤 史恵 祥伝社文庫 1999年7月20日初版 変わり者の整体師合田力は

記事を読む

『ただしくないひと、桜井さん』(滝田愛美)_書評という名の読書感想文

『ただしくないひと、桜井さん』滝田 愛美 新潮文庫 2020年5月1日発行 滝田さ

記事を読む

『学問』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

『学問』山田 詠美 新潮文庫 2014年3月1日発行 私はこの作家が書く未成年たちを無条件に信頼

記事を読む

『検事の信義』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『検事の信義』柚月 裕子 角川書店 2019年4月20日初版 累計40万部突破 「佐

記事を読む

『うさぎパン』(瀧羽麻子)_書評という名の読書感想文

『うさぎパン』瀧羽 麻子 幻冬舎文庫 2011年2月10日初版 まずは、ざっとしたあらすじを。

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」 23年間の記録』(清武英利)_書評という名の読書感想文

『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」 23年間の記録』清武 英利 

『メイド・イン京都』(藤岡陽子)_書評という名の読書感想文

『メイド・イン京都』藤岡 陽子 朝日文庫 2024年4月30日 第1

『あいにくあんたのためじゃない』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『あいにくあんたのためじゃない』柚木 麻子 新潮社 2024年3月2

『執着者』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『執着者』櫛木 理宇 創元推理文庫 2024年1月12日 初版 

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑