『八月六日上々天氣』(長野まゆみ)_書評という名の読書感想文

『八月六日上々天氣』長野 まゆみ 河出文庫 2011年7月10日初版


八月六日上々天氣 (河出文庫)

 

昭和20年8月6日、広島は雲ひとつない快晴だった - 東京の女学校に通う15歳の珠紀。戦争の影が濃くなるなか、友人たちは次々軍人に嫁いでゆき、珠紀は従弟の担任教師と結婚する。だが突然、夫は軍に志願したため、二人で過ごせる時はたった一週間しかなかった。珠紀は姑と暮らすため広島へ移り、やがてその地で運命の日を迎えることに・・・・。少女たちの目から原爆を描き話題となった名作。(河出文庫より)

広島原爆を材にした周防柳のデビュー作『八月の青い蝶』を読んだのは、つい先日のことです。親と子の数奇な運命と悲劇のヒロインを描いて涙したこの小説が甚く心に刺さり、これに似た広島の話をもう一冊、どうしても読みたくなりました。

それで見つけたのが、この『八月六日上々天氣』という本です。長野まゆみという人のことは何も知らずに買ったのですが、調べてみれば超が付くほどのベテラン作家。耽美的な作風に流麗な文章を特徴とするとありますが、読むとまさにその通りなのが分かります。

物語は昭和16年暮れの東京・小石川から始まり、17年から19年、20年冬へと移り、ようやくにして、最終章に至って昭和20年8月6日へと行き着きます。

そこに描かれているのは、女学校に通う主人公・珠紀と4つ違いの従弟・史郎との幼い日のやり取りを軸に、互いの成長の軌跡が記され、やがて珠紀は史郎の担任教師・市岡令海と縁あって結婚することになります。

ここまでは何事もが順風満帆、日に日に敗戦色が濃くなる戦時下にあって市岡は教職にある身として徴兵が猶予されており、史郎は史郎で、(珠紀から見れば)色白でひ弱な男子故たとえ望んだところで兵役には適わないだろうと思い切っています。

ところが、来春の卒業を待って結婚という段取りが決まってつかの間のこと、市岡は徴兵猶予を厭い、自ら教員を辞して志願を決意します。追うように令状が届き、珠紀の計画は急変を余儀なくされます。2人の婚礼は8ヶ月も早められることになります。

その後、珠紀は行くはずもなかった広島の地へ向かうことになります。そして更には、珠紀にとっては予想もしないこと(おそらくは継母に疎んじられて泣く泣くそうしたとしか思えなかったのですが)、史郎が望んで江田島にある兵学校に入ると聞かされます。

奇しくも珠紀と史郎が広島にある市岡の本家で迎えたかの日の朝、史郎は一足早く兵学校の試験を通った友人に出会うために出かけて来ると言います。時刻はまだ7時を過ぎたばかりの頃、そんな史郎を珠紀は駅まで送ると言います。

駅の待合室でのこと。史郎に向かって珠紀は「そのうちどこかでカメラを見つけて写真を撮りましょうね」と言うのですが、史郎は「ぼくは、持っていますよ。お姉さまの写真。御守り代わりに、ここへいつもしまってあるんです」と、国民服の胸ポケットに手をあててほほえみます。

「早くお帰りなさいね。白玉の泡蒸しをこしらえて待っているわ」と珠紀が言うと、史郎は彼女の手を握りかえし椅子から立ち上がります。その内に汽車が到着し、走り出す汽車の窓から手をふる史郎に、二、三歩追いかけては笑みを浮かべる珠紀 - 彼女は19歳で、史郎が15歳になった夏の日のことです。

2人が過ごした、これが最後の時間となります。それから少しばかりの後、「その時」の様子はごくわずかにしか語られません。むしろ語らぬことを善しとして、あるいは詳細に語るべき記憶と言葉がどうにも見当たらないとでも言いたげな終わり方をしています。

それでも、そうであるから尚のこと、かの日に起きたあり得べからざることの真実がことさら胸に迫って苦しくなります。
・・・・・・・・・・
広島に原子爆弾が投下されたのは、昭和20年8月6日。雲ひとつない夏日和のかの日、町は一瞬にして地獄絵の如くに姿を変えます。あらゆる物ものが焼け崩れ、夥しい数の死傷者が町中の到る所に溢れます。そして川にも・・・・。

夜になって、川面を流れてゆく灯をぼんやり眺めていたと言います。なんで灯籠流しなどしているのかと思ったら、実は水をもとめて川に飛び込んだ人々の亡骸が燃えて流れているのだと気付くに及んで・・・・

およそこの世のものとは思えない光景に、たとえそれまで見慣れた夏の夜の風物詩と見間違えたとしても、何ほどの咎めを受けることがあるでしょう。燃えたなりの亡骸はおそらくはそれほどに静々と、しめやかに、水に浮かんでゆらゆらと揺蕩っていたのだと思います。

 

この本を読んでみてください係数  80/100


八月六日上々天氣 (河出文庫)

 

◆長野 まゆみ
1959年東京都生まれ。
女子美術大学芸術学部産業デザイン科デザイン専攻卒業。

作品 「少年アリス」「天体議会」「新世界(全5巻)」「若葉のころ」「カルトローレ」「野川」「デカルコマニア」他多数

関連記事

『パレートの誤算』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『パレートの誤算』柚月 裕子 祥伝社文庫 2019年4月20日初版 パレートの誤算 (祥伝社

記事を読む

『ヒポクラテスの誓い』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『ヒポクラテスの誓い』中山 七里 祥伝社文庫 2016年6月20日初版第一刷 ヒポクラテスの誓

記事を読む

『 i (アイ)』(西加奈子)_西加奈子の新たなる代表作

『 i (アイ)』西 加奈子 ポプラ文庫 2019年11月5日第1刷 (2-1)i (ポプラ

記事を読む

『流浪の月』(凪良ゆう)_デジタルタトゥーという消えない烙印

『流浪の月』凪良 ゆう 東京創元社 2020年4月3日6版 【2020年本屋大賞 大賞受賞作

記事を読む

『星々の悲しみ』(宮本輝)_書評という名の読書感想文

『星々の悲しみ』宮本 輝 文春文庫 2008年8月10日新装版第一刷 星々の悲しみ (文春文庫

記事を読む

『ぴんぞろ』(戌井昭人)_書評という名の読書感想文

『ぴんぞろ』戌井 昭人 講談社文庫 2017年2月15日初版 ぴんぞろ (講談社文庫)

記事を読む

『 A 』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『 A 』中村 文則 河出文庫 2017年5月20日初版 A (河出文庫) 「一度の過ちもせ

記事を読む

『土の中の子供』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『土の中の子供』 中村 文則 新潮社 2005年7月30日発行 土の中の子供 (新潮文庫)

記事を読む

『左手首』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『左手首』黒川 博行 新潮社 2002年3月15日発行 左手首 (新潮文庫)  

記事を読む

『彼女がその名を知らない鳥たち』(沼田まほかる)_書評という名の読書感想文

『彼女がその名を知らない鳥たち』沼田 まほかる 幻冬舎文庫 2009年10月10日初版 彼女が

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『ゴースト』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『ゴースト』中島 京子 朝日文庫 2020年11月30日第1刷

『人間タワー』(朝比奈あすか)_書評という名の読書感想文

『人間タワー』朝比奈 あすか 文春文庫 2020年11月10日第1刷

『かか』(宇佐見りん)_書評という名の読書感想文

『かか』宇佐見 りん 河出書房新社 2019年11月30日初版

『希望病棟』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『希望病棟』垣谷 美雨 小学館文庫 2020年11月11日初版

『JR上野駅公園口』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『JR上野駅公園口』柳 美里 河出文庫 2017年2月20日初版

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑