『遮光』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『遮光』中村 文則 新潮文庫 2011年1月1日発行


遮光 (新潮文庫)

 

私は瓶に意識を向けた。近頃指がまた少し変色したような気がし、不安だった。美しく褐色に染まっていた指は、近頃、より色を濃くし、その色相の進行は段々と、美しいと表現することを難しくしていた。それは私がまだ若干の客観性をもっている証拠であるのかもしれないが、その客観性は、私にとって、もう邪魔なものでしかなかった。私には、この指が必要だった。見境もなく、狂うほどに愛したかった。(本文より)

「どうしようもない事柄、というものがある。いくら平和な国で生活しているとはいっても、乗り越えがたい苦しみは、確かに存在する」-小説の最後にある短い「あとがき」は、こんな文章で始まります。

中村文則という人は、どこまでも自分の中にある「どうしようもない事柄」に拘って、その言いようのない心持ちを、何とか言葉に換えようとします。その内容は大概が陰鬱な上に難解、ときには狂気と紙一重で、意識の際の際まで抉り出そうと足掻きます。

この小説は、死んでしまった恋人の小指を偏執的に愛する、一人の青年の物語です。著者の言葉を借りれば、「世界の成り立ちの不条理に対して、勝てる見込みのない抵抗を試みた、一人の虚言癖の青年の記録」ということになります。
・・・・・・・・・・
主人公の「私」は、恋人の遺体から小指を盗み出し、ホルマリン漬けにした挙句、その瓶を黒いビニール袋に入れて後生大事に持ち歩きます。これだけですでに狂気の沙汰ですが、
この小説の場合、その狂気を冷静に見つめる「もう一人の私」の存在こそが重要です。

「もう一人の私」は、「私」の心情やあらゆる行為に及ぶ際の意識の揺れなどといったものを冷徹に捉え、ときに詳細に分析さえしてみせます。そして、自分の心根とは裏腹に、平気で嘘をつきます。

乗りたくもないタクシーに手を挙げて、「子供が生まれそうなのです」と思いつきを言い、行きたくもない病院へ行けと指図します。他人の話をいつもうわの空で聞いては、相手が喜ぶのを見越して適当な返事を繰り返します。

セックスがしたいと相手の女性に迫りはするものの、実は勃起もしていません。青年(=「私」)の態度は、それを言うべくして言うのではなく、「そう言うことにした」から言ったまでのことで、投げやりで、おざなりな、まるで空虚な嘘の集合体です。

その最たるものが、美紀に関する嘘です。彼は恋人の美紀の事故死を周囲に隠しながら、彼女は今でも生きていると言い続けます。彼女が望んでいたアメリカ留学を果たしたことを誇らし気に、幸福そうに、まるで本当の話のように語ります。
・・・・・・・・・・
その一方で、青年は、ホルマリン液に漂う小指入りの瓶を手放すことができません。彼は、どこかで、自分が死というものに抵抗しているような、大袈裟に言えば、神のようなものに抵抗しているような、そんな錯覚さえ感じ、時折、「気分がよくなったり」します。

瓶に慣れてしまえば持っていることは容易くて、手放す気持ちも失せ、自分のしたことを後悔することもありません。その大きな理由の一つとして、彼は指に対して抱く自分の大きな感情に気付きます。

時折、小指を激しく求めたくなる瞬間が訪れ、指の中に美紀を感じ、美紀と一体になったような激しい感覚に包まれます。それはどうしようもないほどの陶酔であり、幸福です。彼は涙さえ流し、実際の生死など取るに足らないものであるような気持ちになります。
・・・・・・・・・・
「衝動を抑えられない自分」と、もう一人の「今まさに衝動的な行為に及んでいる自分を客観視している自分」-この構図は、中村文則が書く小説の基本的なパターンと言ってよいでしょう。

青年は、自らが抱える不条理を自らの手で解明しようとします。しかし、不条理故に手出しができず、けれども認めることが出来ない「どうしようもない事柄」を前にして、「恋人の小指」に固執する余り、それ以外の現実に関心を示そうとはしません。

それはまるで、自らの生き死にの境界をさ迷っているようにも、すでに何かを成し遂げたあとの諦念のようにも映ります。中村文則の小説にハッピーエンドはありません。青年はこのあと、さらなる「どうしようもない事態」へと、自らを追い込んでいくことになります。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


遮光 (新潮文庫)

◆中村 文則
1977年愛知県東海市生まれ。
福島大学行政社会学部応用社会学科卒業。

作品 「銃」「悪意の手記」「迷宮」「土の中の子供」「何もかも憂鬱な夜に」「掏摸〈スリ〉」「悪と仮面のルール」「最後の命」「去年の冬、きみと別れ」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『スリーピング・ブッダ』(早見和真)_書評という名の読書感想文

『スリーピング・ブッダ』早見 和真 角川文庫 2014年8月25日初版 スリーピング・ブッダ

記事を読む

『その先の道に消える』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『その先の道に消える』中村 文則 朝日新聞出版 2018年10月30日第一刷 その先の道に消え

記事を読む

『慈雨』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『慈雨』柚月 裕子 集英社文庫 2019年4月25日第1刷 慈雨 (集英社文庫) 警察

記事を読む

『そこへ行くな』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『そこへ行くな』井上 荒野 集英社文庫 2014年9月16日第2刷 そこへ行くな (集英社文

記事を読む

『彼女がその名を知らない鳥たち』(沼田まほかる)_書評という名の読書感想文

『彼女がその名を知らない鳥たち』沼田 まほかる 幻冬舎文庫 2009年10月10日初版 彼女が

記事を読む

『小説 学を喰らう虫』(北村守)_最近話題の一冊NO.2

『小説 学を喰らう虫』北村 守 現代書林 2019年11月20日初版 小説 学を喰らう虫

記事を読む

『ジェントルマン』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

『ジェントルマン』山田 詠美 講談社文庫 2014年7月15日第一刷 ジェントルマン (講談社

記事を読む

『宰相A』(田中慎弥)_書評という名の読書感想文

『宰相A』田中 慎弥 新潮文庫 2017年12月1日発行 宰相A (新潮文庫) 揃いの国民服

記事を読む

『ジャズをかける店がどうも信用できないのだが・・・・・・。』(姫野 カオルコ)_書評という名の読書感想文

『ジャズをかける店がどうも信用できないのだが・・・・・・。』姫野 カオルコ 徳間文庫 2016年3月

記事を読む

『シンドローム』(佐藤哲也)_書評という名の読書感想文

『シンドローム』佐藤 哲也 キノブックス文庫 2019年4月9日初版 シンドローム(キノブッ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『にぎやかな落日』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『にぎやかな落日』朝倉 かすみ 光文社文庫 2023年11月20日

『掲載禁止 撮影現場』 (長江俊和)_書評という名の読書感想文

『掲載禁止 撮影現場』 長江 俊和 新潮文庫 2023年11月1日

『汚れた手をそこで拭かない』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『汚れた手をそこで拭かない』芦沢 央 文春文庫 2023年11月10

『小島』(小山田浩子)_書評という名の読書感想文

『小島』小山田 浩子 新潮文庫 2023年11月1日発行

『あくてえ』(山下紘加)_書評という名の読書感想文

『あくてえ』山下 紘加 河出書房新社 2022年7月30日 初版発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑