『枯れ蔵』(永井するみ)_書評という名の読書感想文

『枯れ蔵』永井 するみ 新潮社 1997年1月20日発行


枯れ蔵 (新潮ミステリー倶楽部)

富山の有機米農家の水田に、T型トビイロウンカが異常発生。日本に存在しないはずの害虫がなぜ - 。有機米使用の商品を企画した食品メーカー社員・陶部映美は調査を開始するが、その矢先、友人であるツアーコンダクターの不可解な自殺を知る。その謎は次第に害虫騒動と不気味な関連をみせはじめた。「コメ」をテーマに据えた前人未到の農業ミステリーにして、第1回新潮ミステリー倶楽部賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

面白い。手元にあるのは新潮社から出ている初版単行本で、ずいぶん昔に読んだきり、内容はもとより買ったことさえとうに忘れていました。ひょんなことから読み返すことになったのですが、思いのほか面白いのです。

原稿用紙で850枚、単行本は上下二段組みの約300ページにもなる長編です。テーマは「米」。出穂前の稲株に群がる謎の病害虫・T型トビイロウンカの発生源を探る内、突然自死した友人に隠された、思いもかけない真相にも迫るというバイオテック・ミステリーです。

主人公は、港区三田に本社のある御堂食品商品企画部に籍を置く陶部(すえべ)映美、31歳。レトルト食品や冷凍食品の企画、それに伴うリサーチが主な仕事で、彼女は現在、最近発売なったインドネシア風ピラフ『ナシゴレン』の評判が何より気になっています。

それもそのはずで、この商品は映美が企画段階から手がけたもので、素材の選択、調味、価格設定、販路の決定、その他全てに絡んできたもので、彼女にとって初めてプロジェクトリーダーを任された、ことのほか責任重大な任務だったのです。

準備の段階で重要なポイントの一つになったのが、ナシゴレンにどういった米を使うか、ということでした。国産米にするか、外国産米にするか。産地はどこ、そして品種は? 米の種類を決定するファクターとなるのは、味、価格、流通の安全性などに加えて、

何より米そのものの持つイメージが肝要で、開発チーム内で有力候補となったのがタイ産のインディカ米の一種「香り米(かおりんまい)」、別名「ジャスミンライス」でした。さわさわした軽い食感と、食べた後にも胃にくどさが残らない爽快さがこの米の持ち味です。

そんな中、開発チームのリーダーであった映美は、最初から最後まで富山県産コシヒカリにこだわります。6年前、ときの開発チームの末席にいたとき、彼女は初めて富山県産有機米コシヒカリの存在を知ります。それは、米の卸売り業者、『ファーブルライス』の原田という男が是非食べてみてくれ、と強引に置いていったものでした。

試しに炊いて食べてみて、映美は大きなショックを受けます。あまりにおいしかったからです。米そのものが強く、しっかりとした個性を主張していて、今まで自分が食べていた米は何だったのかと思うほどの味だったのです。

映美が口にしたのは富山県砺波有機米組合で作られたものだったのですが、彼女はその時まだ「有機米」が何たるかを知りません。有機米とは、慣行農法で作られたものとは違い、無農薬、無化学肥料が売りの、手間暇のかかった米を指して言うのでした。
・・・・・・・・・
(ここまでが物語の前提となる部分で)映美の仕事ぶりやプライベートな部分で起こる不可解な出来事 - 海外旅行で知り合い、友人となった井上曜子という女性の突然の自殺にかかる様々な憶測や徐々に明らかになる事の真相など - もさることながら、

何より読み応えがあるのは、都会から遠く離れた北陸・富山の肥沃な農耕地で巻き起こる「米」と「ウンカ(という名の病害虫)」とを巡る一大騒動と、その端緒となる、人を人とも思わない、およそ非道な企業と、そこに関わる人どもの姿なのではないかと思います。

映美と共に事の真相に迫る五本木透は彼女のかつての恋人で、現在は富山県立農業試験場に勤めています。『ファーブルライス』の原田という男は、何だかあやしい。外資系薬品会社・ドーメックス化学の若牧和郎という男もいます。

小説の色となる人物は様々いるのですが、誰より際立っているのは、大下義一という男。義一は、砺波有機米組合の副組合長。「米名人」と呼ばれ、人から一目置かれる人物です。有機米栽培に絶対の自信を持ち、皆が冷害に苦しむ時にも見事な稲穂を実らせてみせます。

しかし、他人には決してその方法を教えず、良かれと思い人が言う親切も聞こうとはしません。トビイロウンカの異常発生については頑として農薬散布を拒み、それでは他の田圃が被害を受ける羽目になると言われても、一向に動じる気配がありません。

手前のことは手前で考えろと言わんばかりの態度です。その義一の田圃が、実は標的になっているのが段々と明らかになって行きます。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


枯れ蔵 (新潮ミステリー倶楽部)

 

◆永井 するみ
1961年東京生まれ。
東京芸術大学音楽学部中退、北海道大学農学部卒業。2010年9月3日、死去。

作品 「マリーゴールド」「隣人」「ミレニアム」「ダブル」「義弟」他多数

関連記事

『朽ちないサクラ』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『朽ちないサクラ』柚月 裕子 徳間文庫 2019年5月31日第7刷 朽ちないサクラ (徳間文

記事を読む

『家族じまい』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『家族じまい』桜木 紫乃 集英社 2020年11月11日第6刷 家族じまい (集英社文芸単行

記事を読む

『ヒポクラテスの誓い』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『ヒポクラテスの誓い』中山 七里 祥伝社文庫 2016年6月20日初版第一刷 ヒポクラテスの誓

記事を読む

『騒がしい楽園』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『騒がしい楽園』中山 七里 朝日文庫 2022年12月30日第1刷発行 舞台は世田谷

記事を読む

『回転木馬のデッド・ヒート』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

『回転木馬のデッド・ヒート』村上 春樹 講談社 1985年10月15日第一刷 回転木馬のデッド

記事を読む

『ギッちょん』(山下澄人)_書評という名の読書感想文

『ギッちょん』山下 澄人 文春文庫 2017年4月10日第一刷 ギッちょん (文春文庫) 四

記事を読む

『飼う人』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『飼う人』柳 美里 文春文庫 2021年1月10日第1刷 飼う人 (文春文庫) 結婚十

記事を読む

『虚談』(京極夏彦)_この現実はすべて虚構だ/書評という名の読書感想文

『虚談』京極 夏彦 角川文庫 2021年10月25日初版 虚談 「 」談 (角川文庫)

記事を読む

『長いお別れ』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『長いお別れ』中島 京子 文春文庫 2018年3月10日第一刷 長いお別れ (文春文庫)

記事を読む

『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治)_書評という名の読書感想文

『ケーキの切れない非行少年たち』宮口 幸治 新潮新書 2020年9月5日27刷 ケーキの切れ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『あくてえ』(山下紘加)_書評という名の読書感想文

『あくてえ』山下 紘加 河出書房新社 2022年7月30日 初版発行

『ママナラナイ』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『ママナラナイ』井上 荒野 祥伝社文庫 2023年10月20日 初版

『猫を処方いたします。』 (石田祥)_書評という名の読書感想文

『猫を処方いたします。』 石田 祥 PHP文芸文庫 2023年8月2

『スモールワールズ』(一穂ミチ)_書評という名の読書感想文

『スモールワールズ』一穂 ミチ 講談社文庫 2023年10月13日

『うどん陣営の受難』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『うどん陣営の受難』津村 記久子 U - NEXT 2023年8月2

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑