『形影相弔・歪んだ忌日』(西村賢太)_書評という名の読書感想文
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『形影相弔・歪んだ忌日』(西村賢太), 作家別(な行), 書評(か行), 西村賢太
『形影相弔・歪んだ忌日』西村 賢太 新潮文庫 2016年1月1日発行
僅かに虚名が上がり、アブク銭は得たものの内実が伴わぬ北町貫多は虚無の中にいた。折から、藤澤淸造の自筆原稿が古書の大市で出品された。百四十一枚の入札額を思案するうち、ある実感が天啓の如く湧き起こる。(「形影相弔」)。二十数年振りに届いた母親からの手紙に、貫多の想念は激しく乱されるが・・・(「感傷凌轢」)。孤独な魂の咆哮を映し出す、私小説の傑作六編。『歪んだ忌日』改題。(新潮文庫解説より)
西村賢太は異端である - これはもう誰もが認めるところだと思います。こんな人はそうそういるものではありません。
『苦役列車』を読んだときは、衝撃でした。(正直に言うと)読んだことを後悔し、できたら無かったことにしたい - そんな気持ちになりました。それくらい強烈に、(おそらくは)恥ずかしかったのだろうと思います。露悪に過ぎて、正視できなかったのです。
自分の出目や学歴に対する激しい劣等感、他人に向けられる嫉妬や度を超えた蔑みの言葉、性に対する欲望を剥き出しにして暮らす日々の生活 - それらから沸き立つ臭気にやり込められて、忘れようとしても忘れることができなかったのです。
その心持ちが嫌で、しばらくは読まずにいました。やっと、久方ぶりに手に取ったのがこの本です。少しは慣れただろうか - そんな気持ちで読み出しました。
・・・・・・・・・・
「青痣」
北町貫多が秋恵と共に生活を始めてから、早くも1ヶ月が経とうとしています。この同居は何より貫多が強く望んだもので、それは無論、相手の秋恵を愛しく思ってのことであり、いつも彼女の傍にいたいと願う、深い愛情故のことであったのは言うまでもありません。
しかし、「根が生まれついて計算高くできている」貫多には、もう一つ別の、(彼なりの)思惑があります。かと言ってそれは損得に関わるようなことではなく、「単に相思相愛の情を確認できたこの女を絶対に逃せぬ」というだけの、甚だ不粋で身勝手なものです。
ところが貫多にとってはこれがなかなかに切実なことで、今この女を確保し損なうことになったら、もう自分にはこの先異性を得るアテが無くなる、そんな何とも情けない焦燥があって、半ば強引に話を進めた結果実現した同居だったのです。
貫多がそう考えるのには、そう考えるだけの事情があります -(貫多には申し訳ないのですが、ここら辺りからは半ばコメディのようにも思えてきます) - 何しろ彼はこの10年、全くもって異性とのスイートな縁に見放されていたのです。
(確かに「スイート」に違いないのですが、ふつう言いますか「スイート」って? )実に貫多らしい言い方ですが、この10年、こと素人の女体に関しては、その口臭すらも間近に嗅ぐ機会にありつくことができなかったと言います。
口臭すら嗅ぐ機会がなかったとは・・・。しかし・・・、わからぬわけではありません。わかりますよね? 多少なりとも経験がある男性なら尚のこと、貫多が言うところの、生身の女性(の体温や匂い)を直に感じたいと願う気持ちはとてもよくわかります。
中学を出て以来の彼(貫多は中卒です)は、まともな仕事に就けず、不遇な毎日を送っています。生来の(好まざる)己の性格も、わかってはいるのですが直すことができません。
曰く、外見、学歴、職歴のみならず、そもそもの出目からして性犯罪者の子たる彼は、それなら内面だけでもせめて人並みのものを持てばいいのに、如何せん、先天的には短気で粗暴。後天的には下品で酒好き、さらには女陰好き。
邪推癖があり、猜疑心も強く、小心で人見知りで弱い者苛めを好み、ケチで不潔でつけ上がり体質と、何十拍子も負の要素が揃っており、男としてまるで取り柄がありません。(これらはすべて貫多自身が思っている自分の在り様です)
そんな彼の前に現れたのが秋恵という女性で、(何やかや、ややこしく書いてはあるのですが)互いが互いを憎からず思っているのがその内わかり、やがてつき合うようになり、結果2人は一緒に暮らすようになります。
夢が叶った貫多は、限りない感謝の思いを秋恵に捧げます。彼女を我がものしたことで、いっとき貫多は有頂天になります。ところが、いざ棲み始めて僅か1ヶ月だというのに、忽ちにして貫多は自らの地金をあらわすようになります。
些細なことで暴言を吐き、頭を平手ではたく位はまだしも、時に激昂し容赦のない暴力を振るうようになります。かと思えば行為の後はすぐに反省もし、漸うの思いで手に入れた素人の女体をここでみすみす逃がす愚は絶対に犯せぬなどと考えたりもしています。
なまじ深刻めいた書き方がしてあるのでどうかとも思うのですが、よく読めば、どこか滑稽なエンタメ小説にも思えてくるのは何としたことでしょう。北町貫多のエグさに、少しは私が慣れたということなのでしょうか。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆西村 賢太
1967年東京都生まれ。
中学卒。
作品「暗渠の宿」「苦役列車」「どうで死ぬ身の一踊り」「二度はゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」「廃疾をかかえて」「人もいない春」「一私小説書きの日乗」他多数
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