『樽とタタン』(中島京子)_書評という名の読書感想文
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『樽とタタン』(中島京子), 中島京子, 作家別(な行), 書評(た行)
『樽とタタン』中島 京子 新潮文庫 2020年9月1日発行
今から三十年以上前、小学校帰りに通った喫茶店。店の隅にはコーヒー豆の大樽があり、そこがわたしの特等席だった。常連客は、樽に座るわたしに 「タタン」 とあだ名を付けた老小説家、歌舞伎役者の卵、謎の生物学者に無口な学生とクセ者揃い。学校が苦手で友達もいなかった少女時代、大人に混ざって聞いた話には沢山の “本当” と “嘘” があって・・・・・・・懐かしさと温かな驚きに包まれる喫茶店物語。(新潮文庫)
連作小説集 『樽とタタン』 は、長じて小説家となった女性が記憶の海を泳ぎながら紡ぎだした九つの物語からなる。舞台は、三歳から十二歳まで九年間住んだ小さな町の、坂下にある小さな喫茶店。”たるとたたん” の響きは、もちろんあのすばらしきフランスの郷土菓子タルト・タタンを連想させて甘酸っぱい夢を誘うのだが、その細部には小説の企みがふんだんに仕掛けられている。そもそも 「タタン」 という愛称を少女に与えたのは白い髭をたくわえた常連客の老小説家だという時点で、現実と虚構の境界は滲み始めている。名付け親、つまりタタンの生みの親は言葉によって現実と虚構を自在にあつかう手練れの小説家なのだから (その意味において、『樽とタタン』 には都合三人の小説家の目が錯綜していることになる。三人目は、もちろん著者自身だ)。しかし、そんな緻密な企てなど感じさせず、著者である中島京子さんは喫茶店の扉の向こうへ読者をするりと、いとも楽しげに誘いこむ。一ページ、また一ページとめくるたび、当代きっての小説家が紡ぎ出す世界に身を委ねきる心地は掛け値なしにすばらしい。
『樽とタタン』 は、読むたびに深度が増してゆく物語だ。まず、赤い樽のなかに居場所を見つけた少女はいったい何を見聞きするのだろう、と息を詰めて事件の行方を追いかける。老小説家が戦後すぐカストリ雑誌に書いた小文 「羽咋直さんの一日」 の秘密 (「『はくい・なお』 さんの一日」) とか、赤い髪にサングラスをひっかけたラップワンピースの奇妙な女の正体 (「ずっと前からここにいる」) とか、歌舞伎役者の卵トミーの色恋沙汰 (「もう一度、愛してくれませんか」) とか、小さな喫茶店は劇場さながら。奇妙で不可思議な人間模様に引きこまれ、店の片隅に置かれた赤い樽の内側からおっかなびっくり外の世界を覗く少女と同じ目線になっている。そしていつのまにか、鼻の奥まったところにこの愛すべき喫茶店に流れるコーヒーの香りが棲むようになる。複雑で、人間味にあふれていて、孤独や寂しさを湛えた芳しい香り。(解説よりby平松洋子)
ところが、段々と話が進むにつれ、それが微妙に変化してゆきます。
第四話 「ぱっと消えてぴっと入る」 を境に、
第五話 「町内会の草野球チーム」
第六話 「バヤイの孤独」
第七話 「サンタ・クロースとしもやけ」
第八話 「カニと怪獣と青い目のボール」
最終話 「さもなきゃ死ぬかどっちか」
の六つは、なかなかどうして、小学生のタタンにとってはかなり荷が重い話が続きます。
孤独とは、生きるとは、であるとか、父を知らない少年が語る父の話、であるとか、ずいぶん込み入った内容の話になってゆきます。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆中島 京子
1964年東京都生まれ。
東京女子大学文理学部史学科卒業。
作品 「FUTON」「イトウの恋」「均ちゃんの失踪」「冠・婚・葬・祭」「小さいおうち」「眺望絶佳」「妻が椎茸だったころ」「長いお別れ」他多数
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