『呪文』(星野智幸)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/10
『呪文』(星野智幸), 作家別(は行), 星野智幸, 書評(さ行)
『呪文』星野 智幸 河出文庫 2018年9月20日初版
さびれゆく商店街の生き残りと再生を画策する男、図領。
彼が語る 「希望」 という名の毒は、静かに街を侵しはじめる。
「この本に書かれているのは、現代日本の悪夢である。」- 桐野夏生
さびれゆく松保商店街に現れた若きカリスマ図領。クレーマーの撃退を手始めに、彼は商店街の生き残りを賭けた改革に着手した。廃業店舗には若い働き手を斡旋し、独自の融資制度を立ち上げ、自警団 「未来系」 が組織される。人々は希望あふれる彼の言葉に熱狂したのだが、ある時 「未来系」 が暴走を始めて・・・・・・・。揺らぐ 「正義」 と、過激化する暴力。この街を支配しているのは誰なのか? いま、壮絶な闘いが幕を開ける! (河出書房新社)
ホームの目の前に建っている六階建ての商業ビルの右側面が、にわかに曇った。水滴にまみれたメガネを拭いて目を凝らすと、突風が吹き荒れて、雨が完全に真横から降ってビルの側面を打ち、しぶきとなっているのがわかった。
屋根のあるホームにいるはずの犬伏も、いきなり水に落ちたかのように下着まで濡れていた。ホームの屋根と床の間を、まさに雨の川が横向きに流れている。(後略)
とても立ってはいられず、電車を待つ客たちは階段に避難する。犬伏も突風に押されるようにして、階段まで移動し、地階へ降りた。これからバイトだったが、こんな中、電車に乗るのは危険だし、どうせ止まってしまうだろうし、行くのはやめにした。そんなことより大切な時に直面していた。
犬伏は興奮していた。雨の中を走り出す。(中略)十分もあちこちをでたらめに走るうち、本物の川のほとりに出た。道が川となって流れていた。そこは緑道であるから、いつもは暗渠になって隠れていた松保川が、出番だとばかりに姿を現わしたのだ。
緑道に沿ってさかのぼり、犬伏は松保神社にまでたどり着いた。あたりには水が広がって、薄い池のよう。東参道は水没して危険なので、表参道へまわって本門から神社に入る。樹齢を重ねた主のような木々が、鞭のようにしなって今にも折れそうだ。
水松様が折れるかもしれない、と犬伏は思った。そんな恐ろしいことが起きるなら、この目で見ておかなくては。犬伏の興奮は頂点に達する。しかし、最奥の鳥居をくぐり抜ける手前で、水は膝まで達しつつあり、それ以上先へ進むのは無理だった。人間が来てはいけないということなんだろう。
このまま人類は滅びればいい! 犬伏は声に出して叫んでいた。
災害や天変地異、巨大な事故やテロが起きると、犬伏は普段の無気力から一変して活性化するのだった。悲劇のにおいがすると元気になる。それほど、自分は人間が嫌いなのだと思っていた。自ら破滅する行動を取り続ける愚かな人間という種族を、軽蔑していた。戦争などという究極の破滅行動が起こったら、誰よりも忌み嫌いながら、同時に生き生きとするかもしれない。そしてそんな自分こそ、愚かな人類の代表だった。自分が滅びることは、象徴的に人類の滅亡を意味している。だから犬伏は自分が滅亡することを目指していた。(P137.138)
だが -
犬伏が松保神社で夢想する大洪水は起こらない。松保神社の古い神は力をふるわない。神社という場所も、そこに奉られている神も、機能していない。天変地異を起こさず、神風も吹かせない。
この物語のなかでは、信仰は 「美」 として信奉されず、信仰のためにすすんで死を捧げよ、という 「神」 を、星野さんは解決策にしていない。
では、いったい、誰が彼らを救うのか。(窪美澄/解説より)
最初彼女(窪美澄)は、 その人物を 「女性」 と思って読んだそうです。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆星野 智幸
1965年アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。
作品 「最後の吐息」「目覚めよと人魚は歌う」「ファンタジスタ」「俺俺」「夜は終わらない」他
関連記事
-
『作家的覚書』(高村薫)_書評という名の読書感想文
『作家的覚書』高村 薫 岩波新書 2017年4月20日第一刷 「図書」誌上での好評連載を中心に編む
-
『鈴木ごっこ』(木下半太)_書評という名の読書感想文
『鈴木ごっこ』木下 半太 幻冬舎文庫 2015年6月10日初版 世田谷区のある空き家にわけあり
-
『白い夏の墓標』(帚木蓬生)_書評という名の読書感想文
『白い夏の墓標』帚木 蓬生 新潮文庫 2023年7月10日25刷 (昭和58年1月25日発行)
-
『その愛の程度』(小野寺史宜)_書評という名の読書感想文
『その愛の程度』小野寺 史宜 講談社文庫 2019年9月13日第1刷 職場の親睦会
-
『十六夜荘ノート』(古内一絵)_書評という名の読書感想文
『十六夜荘ノート』古内 一絵 中公文庫 2017年9月25日初版 英国でこの世を去った大伯母・玉青
-
『御不浄バトル』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文
『御不浄バトル』羽田 圭介 集英社文庫 2015年10月25日第一刷 僕が入社したのは、悪徳ブ
-
『夏の騎士』(百田尚樹)_書評という名の読書感想文
『夏の騎士』百田 尚樹 新潮社 2019年7月20日発行 勇気 - それは人生を切
-
『成功者K』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文
『成功者K』羽田 圭介 河出文庫 2022年4月20日初版 『人は誰しも、成功者に
-
『作家刑事毒島』(中山七里)_書評という名の読書感想文
『作家刑事毒島』中山 七里 幻冬舎文庫 2018年10月10日初版 内容についての紹介文を、二つ
-
『カエルの楽園』(百田尚樹)_書評という名の読書感想文
『カエルの楽園』百田 尚樹 新潮文庫 2017年9月1日発行 平和な地を求め旅に出たアマガエルのソ