『やめるときも、すこやかなるときも』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『やめるときも、すこやかなるときも』窪 美澄 集英社文庫 2019年11月25日第1刷

大切な人の死を忘れられない男と、恋の仕方を知らない女。- 他者と共に生きることの温かみに触れる、傑作長編。

忘れられるはずなんてない。
僕が生まれて初めて結婚しようと思った相手のこと。

家具職人の壱晴は毎年十二月の数日間、声が出なくなる。過去のトラウマによるものだが、原因は隠して生きてきた。制作会社勤務の桜子は、困窮する実家を支えていて、恋とは縁遠い。欠けた心を抱えたふたりの出会いの行方とは --? (集英社)

正真正銘のラブストーリー。しかも、かなり純度の高い。

但し、二人はとても若いわけではありません。加えて、男性の壱晴は (ある事が原因で) 固く結婚しないと決めており、一方女性の桜子は (生来の不器用さゆえ) 恋とは縁遠い日々を送っています。成り行きとはいえ、二人の出会いはかなり “きわどい” ものでした。

目を開けて、まず視界に入ってきたのは白い背中と、右の肩甲骨の下にふたつ並んだ小さなほくろだった。
その背中には見覚えがない。毛布をめくると目の前にいる女の後ろ姿全体が明らかになる。裾にだけゆるくパーマをかけた髪の毛は顔のほうに流れ、その隙間から耳の縁が飛び出している。白いブラジャー、白いショーツ。その色とデザインから自分はひどく若い女とベッドの中にいるのではないか、と疑念が浮かぶ。
・・・・・・・

洗面所で口をゆすいで寝室を見た。女はまだ眠っている。
僕はもう一度近づき女の体を揺らしたが、女はただ規則的な呼吸音をくり返すだけで目を覚まさない。僕は一度深く息を吐いてリビングに向かい、ダイニングテーブルの上にあるメモ用紙とボールペンを手に取る。
鍵はポストの中に入れておいてください
そう書いたメモ用紙をちぎり寝室に入り、ベッドの下、女が着ていた薄紫の布のかたまりの上に合い鍵とともにそっと置いた。

実は、前日あった知人の結婚式で、既に二人は出会っています。声を掛けたのは、壱晴でした。

ところが。

背中を向けてベッドで眠る女 - それが本橋桜子だったとは、彼は思いもしませんでした。もちろん誘ったことの自覚はあったのですが、飲み過ぎて記憶が曖昧になり、おまけに目覚めてから部屋を出て行くまでの間、彼は一度も彼女の顔を見てはいません。見ようとしなかったのでした。

その日 -

本橋桜子は二重にショックを受けることになります。約束をした担当の営業先の 「家具職人」 が、あの日 “かりにもベッドを共にした” 須藤壱晴だったとは、思いもしないことでした。動揺する桜子を前にして、しかし須藤はそれが桜子だとは気付かないのでした。

壱晴の名刺を受け取りながら、桜子は泣き笑いのような顔になっています。須藤さんは私の顔すら覚えていない。私はどれだけ印象が薄い女なのか。彼女は、それならさっさと仕事を済ませてしまい、二度と会わずにおこうと思うのでした。

※最初、壱晴は桜子の 「白いブラジャーと白いショーツ」 を、とても特異なものに感じます。実は二人は32歳の同い年なのに、桜子をひどく若い女ではないかと疑ったのは、白い下着があまりに普通で、年頃の女性にしてはあまりにも “工夫がない” ものだったからでしょうか。なぜかそれがとても気になります。

この本を読んでみてください係数 80/100

◆窪 美澄
1965年東京都稲城市生まれ。
カリタス女子中学高等学校卒業。短大中退。

作品 「晴天の迷いクジラ」「クラウドクラスターを愛する方法」「アニバーサリー」「雨のなまえ」「ふがいない僕は空を見た」「さよなら、ニルヴァーナ」「アカガミ」他多数

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