『忌中』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文

『忌中』車谷 長吉 文芸春秋 2003年11月15日第一刷


忌中

 

5月17日、妻の父が86歳で息を引き取りました。義父の呼吸が止まったのが昼の12時30分頃、車谷長吉が亡くなったのはその4時間ほど前のことです。67歳でした。

むろん何程の共通点もない2人ですが、それ故に、私が今在ることへの少なからぬ影響などというものを思うとき、形は違えども、私は両者に対して確かに「憧れ」を抱いていた自分を感じています。そんな2人を、改めて思い返しています。

私は、私には遠く及ばない、彼らの「知性」に憧れていました。義父は頭脳明晰で、優秀な営業マンで、しかも長身の美男子でした。しかし、それらを人前でひけらかすようなことはなく、家ではただ穏やかで、慎み深く慈愛に溢れた人でした。

車谷長吉は内気で、間違いなく気弱な人です。露悪的なまでに身辺をさらけ出すのも、わざと身を持ち崩し自らを貶めるのも、全部その裏返し。そして、頭が良いだけの自分を信用していません。むしろ賢さを恥じらい、明晰さを隠蔽して、何かを掴もうと足掻きます。
・・・・・・・・・・
「忌中」
右半身不随で寝たきりの身となった妻の二三子は、「死にたい。それだけが私の願いです」「死なせて下さい」と、利き腕でない左手で執拗に書き綴ります。

夫の修治は、67歳。修治と二三子の間に子どもはなく、今となっては二三子だけが生きるよすがの修治ですが、その二三子が重い患いに苦しんで、「死なせてください」と言います。前途に何の光があるでもない中で、修治は介護に明け暮れています。ふと、わしもいっしょに死のうかな、と思ったりしています。

やがて、毎日のように2人して死のうと思うようになり、2月末の小雪の降る夕べ、修治が「今夜、いっしょに死のう」と紙に書くと、二三子は頷いて、「ながいあいだ、ありがとうございました」と書き返します。

修治は、二三子の髪を梳ってやります。唇に紅を差し、布団に横にならせて、電燈を消します。同時に、一気に二三子に襲いかかって、ぐっと頸を絞めます。二三子の吐く息が修治の手に掛かります。が、それも一ト呼吸だけのことでした。
・・・・・・・・・・
ここまでは、よくあると言えばよくある話です。しかし、車谷長吉の場合、この先が普通ではありません。

二三子が死んだ後、修治はすぐさま自分も頸を吊って死のうとしますが、死に切れません。
二三子の屍体を放置すること4日間、少し臭いがしはじめると、今度は彼女の和服が入った茶箱を空にして、屍体の腰と膝を折り曲げるようにして箱に入れ、押し入れの中へ押し込みます。

修治には、二三子を殺したという意識はありません。故に、警察に届ける気もなく、逃亡を企てる気もありません。二三子の場合、死は救いだったと信じています。一緒に死んでやれなかったことだけが、修治にとって鋭い咎となって残ります。
・・・・・・・・・・
二三子が死んだあと、修治は真っ直ぐに、自らの破滅に向かって暴走を始めます。

修治は、どうにかして二三子の後追い死をしようと思っています。それにはまず自分を、生きていけない状態(金が一銭もない状態)に追い込むことが必要だと考えます。そう考えた末に修治がとる行動は、もはや正気の沙汰ではありません。

正気の沙汰でないことが、もうひとつ。二三子の屍体に対する修治の執着は、この上なく異常です。修治は、二三子を忘れることができません。日毎、茶箱を開けては二三子の様子を眺めます。

蓋を開けると、まず強い腐臭が鼻と目を襲います。が、修治は二三子が恋しくて、暗赤褐色の死斑の出た顔をじっと見つめ、そして撫でます。そのあと、胸いっぱいに二三子の死臭を嗅いでから、静かに寝に就くのです。

※この本には、表題作の「忌中」の他に5つの短編、「古墳の話」「神の花嫁」「「鹽壺の匙」補遺」「三笠山」「飾磨」が収められています。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


忌中

◆車谷 長吉
1945年兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)生まれ。本名は、車谷嘉彦。
慶應義塾大学文学部独文科卒業。

作品 「鹽壺の匙」「赤目四十八瀧心中未遂」「漂流物」「白痴群」「文士の魂」「銭金について」「贋世捨て人」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『格闘する者に◯(まる)』三浦しをん_書評という名の読書感想文

『格闘する者に◯(まる)』 三浦 しをん 新潮文庫 2005年3月1日発行 格闘する者に○ (

記事を読む

『薄闇シルエット』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『薄闇シルエット』角田 光代 角川文庫 2009年6月25日初版 薄闇シルエット (角川文庫)

記事を読む

『風の歌を聴け』(村上春樹)_書評という名の読書感想文(書評その1)

『風の歌を聴け』(書評その1)村上 春樹 講談社 1979年7月25日第一刷 風の歌を聴け (講談

記事を読む

『屋根をかける人』(門井慶喜)_書評という名の読書感想文

『屋根をかける人』門井 慶喜 角川文庫 2019年3月25日初版 屋根をかける人 (角川文庫

記事を読む

『君は永遠にそいつらより若い』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『君は永遠にそいつらより若い』津村 記久子 筑摩書房 2005年11月10日初版 君は永遠にそ

記事を読む

『子供の領分』(吉行淳之介)_書評という名の読書感想文

『子供の領分』吉行 淳之介 番町書房 1975年12月1日初版 子供の領分 (集英社文庫) 吉行

記事を読む

『凶獣』(石原慎太郎)_書評という名の読書感想文

『凶獣』石原 慎太郎 幻冬舎 2017年9月20日第一刷 凶獣 神はなぜこのような人間を

記事を読む

『二人道成寺』(近藤史恵)_書評という名の読書感想文

『二人道成寺』近藤 史恵 角川文庫 2018年1月25日初版 二人道成寺 (角川文庫)

記事を読む

『菊葉荘の幽霊たち』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『菊葉荘の幽霊たち』角田 光代 角川春樹事務所 2003年5月18日第一刷 菊葉荘の幽霊たち

記事を読む

『去年の冬、きみと別れ』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『去年の冬、きみと別れ』中村 文則 幻冬舎文庫 2016年4月25日初版 去年の冬、きみと別れ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『地獄への近道』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『地獄への近道』逢坂 剛 集英社文庫 2021年5月25日第1刷

『ブルーもしくはブルー』(山本文緒)_書評という名の読書感想文

『ブルーもしくはブルー』山本 文緒 角川文庫 2021年5月25日改

『天国までの百マイル 新装版』(浅田次郎)_書評という名の読書感想文

『天国までの百マイル 新装版』浅田 次郎 朝日文庫 2021年4月3

『七怪忌』(最東対地)_書評という名の読書感想文

『七怪忌』最東 対地 角川ホラー文庫 2021年4月25日初版

『1リットルの涙/難病と闘い続ける少女亜也の日記』(木藤亜也)_書評という名の読書感想文

『1リットルの涙/難病と闘い続ける少女亜也の日記』木藤 亜也 幻冬舎

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑