『地先』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/06
『地先』(乙川優三郎), 乙川優三郎, 作家別(あ行), 書評(た行)
『地先』乙川 優三郎 徳間文庫 2022年12月15日初刷
通り過ぎた歳月。その重さ。思いがけない出来事に揺れる男女。
あまたの文学賞を総なめにした名手が贈る至高の短篇集。絵描きになる夢をあきらめ、平凡な主婦生活を送っていた幸代。娘の作品が美術展に入賞したので上野に連れ立って出かけた。そこで青春時代、芸術家としての才能を信じ、尽くしきった男が、街頭で絵を売っている姿をみる。動揺する幸代が帰宅して描くのは・・・・・・・。(「言葉さえ知っていたら」) 他、御宿を舞台にした 「海の縁」 「地先」 など、苦しみの果てにのぞく希望を繊麗な筆致で描く八篇! (徳間文庫)
作品を通して感じられるのは、たとえていうと海が凪いだような穏やかさ、幾多の起伏を越えて今ある人生の静寂、あるいは諦念、とでもいったものでしょうか。若かった日の取り返しのつかなさと、人はどう折り合いをつけて生きていくのでしょう。その先、再度希望は訪れるのでしょうか。そんなことを考えました。
燃えるような恋心でも刺すような欲望でもない。かすかに疼き、たとえ疼きのまま終わったとしても、羽ばたきのように過ぎて、なんの執着ものこさない。いつか記憶を揺らすことはあっても、激しい痛苦をともなうものではないだろう。
そんな恋愛小説を読みたいですか? 私は読みたい。刹那のうちに充足し、その充足が明日の糧になるわけでもないそんな恋愛を、よく知っているように思うからだ。(温水ゆかり/解説より)
[目次]
・海の縁
・まるで砂糖菓子
・ジョジョは二十九歳
・言葉さえ知っていたら
・そうね
・おりこうなお馬鹿さん
・すてきな要素
・地先
御 宿 (おんじゅく)
作品に登場する印象深い土地の名前。千葉県の南東、房総半島の東に位置する小さな町。海岸には約2キロに渡る真っ白な砂浜が広がり、童謡 「月の沙漠」 発祥の地として知られています。
ある日 失わずにすむもの 本作の一年前に発表された短編集。戦争という大きな物語に巻き込まれる前の小さな日常を、ボストン、バンクーバー、バルセロナ近郊の小村、マニラのスラム、パラオと、地球を横断するように点描したもの。(本作とはまるで関係ありません。ただ、中にこれに似た話があり、強く印象に残っています) それが -
ジョジョは二十九歳 実は本作八篇の中に一篇、やや趣きの異なる作品が混ざっています。それが第三話 「ジョジョは二十九歳」。フィリピン人ジョジョの儚い運命を描いたもので、戦争とはまるで関係ないのですが、先に記した 「ある日 失わずにすむもの」 の中の一篇のようで、ジョジョの人生の辛苦や叶わぬ希望を思うと、涙なしでは読めません。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆乙川 優三郎
1953年東京都生まれ。
千葉県立国府台高校卒業。
作品 「五年の梅」「生きる」「蔓の端々」「脊梁山脈」「ロゴスの市」「太陽は気を失う」「トワイライトシャッフル」「ある日 失わずにすむもの」他多数
関連記事
-
『百舌落とし』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文
『百舌落とし』逢坂 剛 集英社 2019年8月30日第1刷 後頭部を千枚通しで一突き
-
『樽とタタン』(中島京子)_書評という名の読書感想文
『樽とタタン』中島 京子 新潮文庫 2020年9月1日発行 今から三十年以上前、小
-
『ある日 失わずにすむもの』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文
『ある日 失わずにすむもの』乙川 優三郎 徳間文庫 2021年12月15日初刷 こ
-
『木洩れ日に泳ぐ魚』(恩田陸)_書評という名の読書感想文
『木洩れ日に泳ぐ魚』恩田 陸 文春文庫 2010年11月10日第一刷 舞台は、アパートの一室。別々
-
『世にも奇妙な君物語』(朝井リョウ)_書評という名の読書感想文
『世にも奇妙な君物語』朝井 リョウ 講談社文庫 2018年11月15日第一刷 彼は子
-
『あちらにいる鬼』(井上荒野)_書評という名の読書感想文
『あちらにいる鬼』井上 荒野 朝日新聞出版 2019年2月28日第1刷 小説家の父
-
『獅子吼』(浅田次郎)_書評という名の読書感想文
『獅子吼』浅田 次郎 文春文庫 2018年12月10日第一刷 けっして瞋(いか)る
-
『琥珀のまたたき』(小川洋子)_書評という名の読書感想文
『琥珀のまたたき』小川 洋子 講談社文庫 2018年12月14日第一刷 もう二度と
-
『テミスの剣』(中山七里)_テミスの剣。ネメシスの使者
『テミスの剣』中山 七里 文春文庫 2017年3月10日第1刷 昭和五十九年、台風
-
『砕かれた鍵』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文
『砕かれた鍵』逢坂 剛 集英社 1992年6月25日第一刷 『百舌の叫ぶ夜』『幻の翼』に続くシリ