『映画にまつわるXについて』(西川美和)_書評という名の読書感想文

『映画にまつわるXについて』西川 美和 実業之日本社文庫 2015年8月15日初版

西川美和が書いた初めてのエッセイ集です。一番最初に出てくる話と、一番最後の話を書こうと思います。

まずは -「朝青龍という力士が引退をした」という文章で始まる、「X = ヒーロー」と題した話。

偶然ですが、これを書こうとしていた矢先のこと。あの昭和の大横綱、北の湖が亡くなったというニュースが飛び込んできました。聞けば以前から体調が優れず、無理を押して公務を続けていたとのこと。62歳とはあまりに若く、只々冥福を祈るばかりです。

北の湖がかつてそうなら、朝青龍という力士もそうでした。2人に共通するのは圧倒的な強さと、そのふてぶてしい面構えです。北の湖は終始仏頂面で、滅多に笑いません。その点朝青龍には茶目っ気があり、(小馬鹿にしたようでもありましたが)時に笑顔で人を和ませたりします。

ただ「作法」という面では明らかに北の湖に分があり、朝青龍はと言えば、やんちゃな子どもがそのまま大人になったような無邪気さが仇となり、何より礼節を重んじる相撲の世界にあって、事あるごとにその無作法さが批判の的になりました。

多くの人が彼を「ヒール」と感じ、彼が引退したときには「ヒールが居なくてはつまらない」などと言ったりもしたのです。しかし、西川美和は朝青龍のことを「ヒール」と感じたことがなかったと言います。その際の喩えを、彼女はこう記しています。

野生の世界が物語などで描かれる時、ハイエナやジャッカルやシャチなどを当たり前のように悪役に回すことへの違和感と似ている。ジャッカルを生きたこともない私たちに、一体何がわかるだろう? とはいえ、獰猛な者よりも従順な者、襲う者よりも襲われる者に同情するのがまっとうな人情というものだ。テレビの中で追い詰められている黒目がちの小鹿を見れば、自分は茶の間で血の滴るようなビフテキをほおばりながらでも、逃げて、と叫ぶのが人間のおめでたさというものであり・・・(以下、略)

こんな風に観る側の心情を理解しつつも、すっかり極道扱いされてしまったジャッカルはもっと気の毒だ、と言うのです。
・・・・・・・・・・
ではもうひとつの、文庫の最後にある「装丁にまつわるXについて(解説にかえて)」の話をします。これは西川美和本人ではなく、グラフィックデザイナーの寄藤文平という人が書いた文章です。

寄藤氏は西川美和のお兄さんの美術大学時代の後輩で、この本が単行本にまとめられたときに装丁を担当した人です。装丁というとどうしても表紙のデザインに注目が集まりがちですが、一番気を使うのは本文設計だと氏は言います。

「本文設計」とは、紙面に対して、どの文字を、どの大きさで、どのように組むかということ - 重要なのは、文字を組んだときの「質感」だと言います。

それを肉質に見立て、例えば漢字ばかりの文章はギュッと締まった赤味肉で、平仮名ばかりの文章は白くてヌメッとした脂身みたいな質感になると言い、それに合わせて行間を広めにして柔らかくしたり、強めの書体でカチッと仕上げるのだと言います。

いただいた西川さんの原稿は、ほとんど霜降り肉のようだった。漢字と仮名が緻密に編みこまれて、しかも改行が少ない。組むと版面の四隅がビシッと出て、その中を美しい質感が充たしていく。こういう文章を組んでいると、松坂牛の最高級肉をまな板に載せて、ゆっくりと包丁を入れていく肉屋みたいな気分になる。透けた肉が皿に張り付くみたいな感じで、紙面に文字組がピタッと収まった。

そう書きながら、寄藤氏は「そうだよ。俺の西川さんはこういう感じだよ」と勝手に納得するのです。

さすがはプロの見立て。寄藤氏の正鵠を射た分析に私は深く納得し、その明晰さに感服するばかりです。この本に限らず、西川美和が書く文章には松坂牛の中でも最高を極める肉質程の質感があります。ことさら上品で、十分脂を含みながらも痞えることがありません。

※ この本には『ゆれる』という映画の原案や、映画に出演した香川照之やオダギリジョーらのことも書いてあります。小説を読んでいただくのが何よりなのですが、その後先にでも読んでみてください。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆西川 美和
1974年広島県広島市安佐南区生まれ。
早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業。映画監督、脚本家。

作品 「蛇イチゴ」「その日東京駅五時二十五分発」「ユメ十夜」「ディア・ドクター」「そして父になる」「きのうの神さま」「ゆれる」「永い言い訳」他

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