『朝が来るまでそばにいる』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文

『朝が来るまでそばにいる』彩瀬 まる 新潮文庫 2019年9月1日発行

朝が来るまでそばにいる (新潮文庫)

火葬したはずの妻が家にいた。「体がなくなったって、私はあなたの奥さんだから」。生前と同じように振る舞う彼女との、本当の別れが来る前に、俺は果たせなかった新婚旅行にに向かった (「ゆびのいと」)。屋上から落ちたのに、なぜ私は消えなかったのだろう。早く消えたい。女子トイレに潜む、あの子みたいになる前に (「かいぶつの名前」)。生も死も、夢も現も飛び越えて、こころを救う物語。(新潮文庫)

解説 - 夜の湿度  和久井直子

読み終えてみると、子どものころの、名前もないような気持ちや、説明のできないような瞬間や、今も自分の中にあるのに見ていないような気持ちを、少しずつ、でも鮮やかな形で差し出されたような、そんな気持ちになりました。
自分の中に芽生えた、まだ生死のあやふやな命。不確かな存在への不安を、誰とも共有できない主人公のもとへ、「おば」 と称する女となって現れた鳥。〈真夜中に、また目が覚めた。私はなにか、ひどく温かいものに埋もれている。しばらくしてそれが布団ではなく、伸ばした腕がずぶりと埋まるほどに深い、鳥の羽毛であることに気づいた。夜の色をした巨大な鳥が、卵を抱くのと同じ姿勢で私の上にのしかかっている。鳥の足もとは脳みそが茹だるくらいに熱く、柔らかく湿っていて、しっかりと重さがかかって動けないのがまた、だらだらと涙がこぼれるくらい気持ちよかった〉。

冒頭の 「君の心臓をいだくまで」 では、不安を隙間なく慈しむように鳥が現れ、甘える気持ちを餌にするように鳥は巨大化していくのですが、この鳥の湿気のすごさ。自分の中の不安も察知されて、液体のように入り込んできてしまうんじゃないかと、思わず夜の中に鳥の匂いを探してしまいそうになりました。すべての作品を通じて、この湿気とむせかえるような香り、重み、光を浴びさせてもらった気がします。
ゆびのいと」 では、鬼へと墜ちようとしていく妻から饗される食べにくい肉片、指の付け根に残る糸の痛み。「眼がひらくとき」 では、蝶を喰らうように、〈彼〉 を喰らう感触。鱗粉の残るような後味。「よるのふち」 では懐かしいハンドクリームの香りをさせてやってくる亡くなった母親。「明滅」 では暗闇が力を持って存在し、「かいぶつの名前」 では少女の青い不安と憎しみが、増幅されて、少女を変容させていく・・・・・・・。

どれもが亡くなった者の遺恨というわけではないのです。生まれる前の命、自ら捨ててしまった命、幼い息子たちを残して死んでしまったお母さんの命・・・・・・・。いろんな命や、命だったものが、それぞれの無念や愛情や強い願望を持ち、異形のものを呼び起こしたりする様は、少し怖さもあります。でも、残された命が思う淋しさや、不安とともに作り出されるそれは、最後のやさしさの形でもあるのだなあと感じられて、影の、冷たさだけではない、暖かさのようなものに気づかされました。どの作品も心の欠けた部分をいろいろな形で補ってくれるような、とてもやさしさを持ったものだと思います。苦しさの形にぴったり沿うように、愛情の形もできているのが見えるような・・・・・・・。(P249 ~ 251)

死んだはずの人間が、あたり前のように まだ生きている。死んでも死に切れず、死ぬには忍びない生に対する執着は、生きて残る者に対して、あるいは別に死んだ同類に対し、どんな思いを抱くのか? 畏れだけではない特異な感情は、どこから齎されるのだろうか?

〈「あなたの名前を呼べば、私は昨日のことや今日のこと、大事にされたことを思い出せる。どれだけ遠くても、暗くても、受け止めきれない乱暴に晒されて、多くの物事に裏切られた気分になっていても、悲しいだけじゃなくなるから。呼んで、唱えて、会えて嬉しかったなあって繰り返しながら、私という存在の認識が終わるまで、暗闇の底で光って遊ぶ。それを、この世のどんなものにも侵させない。」〉 - 「明滅」 より (同解説 P252 結び)

巨大な鳥や鬼とは会ったこともない。私には、会うに足る感性がない。誰も彼もが彩瀬まるではないのだから、それはそれで仕方がない。なので - 、”こころが救われる” かどうかはわからない。

ただ、ちょっと口惜しくはある。どうにもならない思いの丈を、彼女はどうにかして、人に伝えるすべを持っている。それは、少なからずうらめしい。

この本を読んでみてください係数 80/100

朝が来るまでそばにいる (新潮文庫)

◆彩瀬 まる
1986年千葉県千葉市生まれ。
上智大学文学部卒業。

作品 「花に眩む」「サマーノスタルジア」「傘下の花」「あのひとは蜘蛛を潰せない」「伊藤米店」「骨を彩る」「神さまのケーキを頬ばるまで」「やがて海へと届く」他

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