『罪の轍』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文
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『罪の轍』(奥田英朗), 作家別(あ行), 奥田英朗, 書評(た行)
『罪の轍』奥田 英朗 新潮社 2019年8月20日発行
奥田英朗の新刊 『罪の轍』 を読みました。物語は北海道の北西部、稚内に近い日本海に浮かぶ二つある島の一つ、礼文島から始まります。
島の北の中心・船泊の浜には、かつてニシン漁が盛んだった頃の番屋が数多く残っています。浜で一番古い番屋は、もう八年、補修していないせいで、外壁全体が腐りかけ、屋根は雨漏りしています。寛治がその番屋に一人で寝泊まりするようになって、やがて三月が過ぎようとしています。
明日から昆布漁が解禁になると思うと、宇野寛治は神経が高ぶってうまく眠ることが出来なかった、。床に就いたのは午後九時だが、睡魔は一向に訪れず、寝酒を少し飲んでみたのだが、逆に目がさえるばかりで、仕方がないので寝台を抜け出し、見張り台に上がって夜風に当った。北の空はかすかな白夜で、日本海の水平線に細い光を浮かべている。海は静かで、目を閉じると、頭の周りを潮騒がぐるぐる回った。礼文島の七月は、地球が丸いことを教えてくれる。(本文より/冒頭の文章)
寛治は頭が悪く、愚鈍な二十歳の青年で、盗癖があり、過去に少年刑務所に入ったことがあります。中学を卒業し、就職した工場の社宅で腕時計を盗んだのが最初で、それで会社を頸になったのですがその後も盗みを繰り返し、刑務所送りとなったのでした。
幼い頃に味わった、寛治にはある辛い記憶があります。ところが、それが何かというと、常に記憶は曖昧で、漠然とした印象でしかありません。具体的には何一つ思い出せないのですが、にもかかわらず、なぜか 「あった」 という確信があります。
寛治の母・良子は、島の南にあるもう一つの中心・香深で暮らしています。同じ島で暮らしながらも、母は寛治を息子と思わず、寛治もまた良子を母とは思っていません。二人は、別々に生きて行こうと思っています。いずれ寛治は島を出て、東京へ行くと決めています。
その矢先、寛治はまたもや窃盗事件を起こします。人知れず島から逃れ、命からがらようやくにして東京へたどり着きます。そこで寛治が巡り合ったのが、山谷にある安旅館の息子、町井明男でした。
明男は、やくざでした。明男が寛治と知り合ったのは、ふとしたことがきっかけで、六区でぶらぶらしていた寛治に、明男が声をかけたのでした。仕事は何をしているのかと明男が訊くと、寛治は何もしてないと言い、あげく、北海道の礼文島から逃げて来て空き巣をやってしのいでいると、いきなりそんな打ち明け話をするのでした。
「おめえ莫迦かって」 「夜になると事務所に来て、残り物で晩飯済ましてやがんだよね。図々しいって言うか、鈍いって言うか。どっか頭のネジが一本飛んでんだよな。やくざを怖がらねえし」 まんざら嫌でもなさそうに、明男は寛治をそんな風に言います。
この出会いが、このあと続く思いもしない展開の導火線となります。生きるためにはそれしかないので、寛治は空き巣をしています。小金狙いの単なる空き巣の寛治が、やがて強盗殺人事件の容疑者となり、小学生の男児を誘拐し、身代金を強奪した最重要参考人として手配されることになります。
当時、日本中が注目し、警察組織全体をも揺るがした、あの 「吉展ちゃん誘拐殺人事件」 を彷彿とさせる展開は、ページを追う毎に鬼気迫る様相を呈してゆきます。
果たして寛治は本当に人を殺したのか? 男児を誘拐し、まんまと身代金を持ち去ったのは - 本当にあの 「莫迦の寛治」 がした仕業なのだろうか?
寛治は、何があっても口を割ろうとしません。肝心な質問になると、黙秘を通します。さらに問い詰めると、目が虚ろになり、心ここにあらずのような状態になります。特に幼い頃の話になると、寛治は時に、気絶してしまうことがあります。
昭和三十八年。北海道礼文島で暮らす漁師手伝いの青年・宇野寛治は、窃盗事件の捜査から逃れるために身ひとつで東京に向かう。東京に行きさえすれば、明るい未来が待っていると信じていたのだ。一方、警視庁捜査一課強行班係に所属する刑事・落合昌夫は、南千住で起きた強盗殺人事件の捜査中に、子供たちから 「莫迦」 と呼ばれていた北国訛りの青年の噂を聞きつける - 。オリンピック開催に沸く世間に取り残された孤独な魂の彷徨を、緻密な心理描写と圧倒的なリアリティーで描く、これぞ、犯罪ミステリの最高峰。すべてのジャンルを超越する感動がここにある! (新潮社)
この本を読んでみてください係数 85/100
◆奥田 英朗
1959年岐阜県岐阜市生まれ。
岐阜県立岐山高等学校卒業。プランナー、コピーライター、構成作家を経て小説家。
作品 「ウランバーナの森」「最悪」「邪魔」「空中ブランコ」「町長選挙」「沈黙の町で」「無理」「噂の女」「ナオミとカナコ」「向田理髪店」他多数
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