『熟柿』(佐藤正午)_書評という名の読書感想文
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『熟柿』(佐藤正午), 佐藤正午, 作家別(さ行), 書評(さ行)
『熟柿』佐藤 正午 角川書店 2026年2月10日 9版発行
2026年本屋大賞ノミネート 第20回中央公論文芸賞受賞 本の雑誌が選ぶ2025年度上半期ベスト10 第1位

どうにかして我が子と再会したい。でも子供の将来を思うなら、わたしは、遠く離れていなければならない。
激しい雨の降る夜、眠る夫を乗せた車で老婆を撥ねたかおりは轢き逃げの罪に問われ、服役中に息子・拓を出産する。出所後息子に会いたいがあまり園児連れ去り事件を起こした彼女は、息子との接見を禁じられ、追われるように西へ西へと各地を流れてゆく。自らの罪を隠して生きる彼女にやがて、過去にまつわるある秘密が明かされる。『鳩の撃退法』 (山田風太郎賞受賞) 『月の満ち欠け』 (直木賞受賞) 著者による最新長編小説。(角川書店)
読んで一番に感じたことは、なんて 「丁寧」 な小説なんだろうと。微に入り細を穿つ丁寧さで描かれた登場人物それぞれの心情が、じわじわと、しかし確実に。なぜこんなにも心に響くのか。
元警察官だった夫と離婚したのは、それが生まれてきた子供にとって最善だと考えたからでした。子供を夫に託し、自分は死んだのだと。そう言い聞かせ、かおりは必死に働くのですが、時折無性に子供に会いたくなることがあります。一目だけでも姿を見ようとするのですが、そのたび予期せぬ騒動になり、結果子供との接見を禁じられてしまうのでした。
「母親が犯罪者の子供と、母親に死なれた子供と、どっちがより不幸か、考えてみろ」。元夫から言われた言葉が、ずっとかおりを苛む。
「起きたことは不注意の事故でも、重い罪に問われたのは、そのあとに取ったわたしの行動なのだ」 とかおりは述懐する。ひき逃げ犯としての刑期を終えてなお、「わたしは犯人なのだ」 という思いは、烙印のように彼女の内にある。
けれども、刑務所内で出産し、生後間も無く引き離されてしまった息子への想いはどうしても断ちがたく、息子が幼稚園児の時と、小学校の入学式当日と、かおりは2度、パトカーで連行される騒動を起こしてしまう。そこでようやく、かおりは覚悟を決める。自分は 「死んだ母親」 になるのだ、と。
物語は、ひき逃げ事件を起こしてからの彼女の17年を淡々と描いていく。かつかつの暮らしのなかから、息子を受取人にした生命保険料を払い込み続ける。日々を楽しむこともなく、むしろ楽しむことから遠ざかるようにして生きる。
なのに、追いかけてくる悪意がある。追われるように各地を転々とせざるを得ないかおりの姿に、罪と罰、を思う。彼女が背負わなければいけない十字架の、残酷なまでの重さを。
ただ、かおりに差し出される手も、本書ではちゃんと描かれている。幼稚園での “事件“ で知り合った、息子と同じ幼稚園に通うさきちゃんと母親の久住呂 (くじゅうろ) さん、かおりの親友である鶴子、いとこの慶太、とりわけ久住呂母娘は、かおりにとって救いの糸になる。
お願いだから、もうこれ以上かおりから何も奪わないで、と祈る気持ちで読んでいた切ない物語は、けれど、なんとも優しい読み心地へと着地する。罪は消えない。自責も続く。それでもなお、人生にさす一条の光はある。奇跡のようなその光に、躊躇いつつも手を伸ばすかおりの姿が、読後も胸に残る。(吉田伸子/「好書好日」 より全文)
※取り返しのつかないあの夜の過ちが、あったはずの平凡な人生を奪い去った - それは事故を起こしたかおりの、晴れることない心の澱でした。もしも事故を起こさなければ。起こった後の処理を滞りなくしていたらと、返す返すも思わざるを得ません。元夫にも、息子の拓にもそれが申し訳なく、合わす顔がありません。その思いを、かおりはずっと断ち切れずにいます。
この本を読んでみてください係数 85/100

◆佐藤 正午
1955年長崎県生まれ。
北海道大学文学部中退。
作品 「永遠の1/2」「Y」「リボルバー」「個人教授」「アンダーリポート/ブルー」「彼女について知ることのすべて」「身の上話」「鳩の撃退法」「月の満ち欠け」他多数
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