『妖談』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2025/07/11
『妖談』(車谷長吉), 作家別(か行), 書評(や行), 車谷長吉
『妖談』車谷 長吉 文春文庫 2013年7月10日第一刷
なぜこの人が書く小説が気になるのだろう。何が知りたくて、この人の本を手に取ってしまうのか。自分はいったい、この人の何に期待しているのだろうと、ずっと考えています。
「好きなんでしょ?」と言われるとそうではなくて、むしろ気持ち的には嫌いな方に近く、できれば目を背けていたいと思うのですが、読めば読んだで、決まって心がざわつくことがわかっているので、読まずに済ますわけにはいきません。
古めかしく時代がかった文章はまだいいのですが、落ち着かないのは、時に語り手や登場人物が吐露する 「本音」、あるいは他人には絶対知られたくないような 「恥部」 が、あまりに露骨に、あまりに躊躇なく語られる点です。
まず普通ならそこまでは言わない、そこまで自分を貶めることはなかろうにと思うような諸々が、執拗かつ克明に綴られています。そしてその一々が、(みごとなまでに) 的を射ています。そうは思いたくないことまでが、そうと認めざるを得ない「真実」として晒されています。
どうかすると、読み手のこちらがその赤裸々さ加減に耐えられなくなって、思わず見ないふりをしてしまいます。どうしようもない、人としての 「本性」 を真正面から暴かれて、大概の人は打ちのめされてしまうのでしょう。
うちの嫁はんも大便は一日一回か、二回である。が、この人には困った性癖がある。結婚以来、私が便所で大便をしていると覗きに来るのである。(中略)・・・・・・・うんうん唸っているのを聞くのが好きなのだそうだ。人には人それぞれ性癖というものがあって、人が大便をしている顔を見るのが好きなのだそうだ。
見られていると、私も励みになるのである。人間というものは、つくづく救いのないものだな、とよく思う。こんど生まれて来る時は絶対に人間だけには生まれて来たくない。(「お水」より)
などという文章があったり、作家という職業についての見解をこんな風に述べたりしています。
作家になることは、人の顰蹙を買うことだ、とは気がついていなかったのである。気づいた時は、もう遅かった。人の顰蹙を買わないように、という配慮をして原稿を書くと、かならず没原稿になる。
出版社の編輯者は、自分は人の顰蹙を買いたくはないが、書き手には人の顰蹙を買うような原稿を書くように要求して来る。そうじゃないと、本は売れないのである。本が売れなければ、会社は潰れ、自分は給料をもらえなくなるのである。
読者は人の顰蹙を買うような文章を、自宅でこっそり読みたいのである。つまり、人間世界に救いはないのである。(「まさか」より)
いきなり自分の奥さんの 「大便」 の話を書くとはいかがなものか、と普通は思います。ましてあんな書き方だと、まるで実際の話、つまり著者である車谷長吉さんの奥さんの話なんだと思ってしまうではないですか。
二つ目の話にしても、素晴らしく (!?) 皮肉が効いて、何と捻くれたものの見方なんだと思われないでょうか? 確かにはじめはそうだったのかも知れませんが、ここまで恨みがましく書かれてしまうと何だか笑えてきます。
この 『妖談』 は、あれやこれやで34もの掌編が収められて一冊の本になっています。車谷長吉という作家に少しでも興味のある方には、端緒を知る上でのまたとない読み物だと思います。何しろ、短いのがいい。いきなりの長編は、本当に疲れてしまいます。
さらに、この文庫を勧めるもう一つの理由があります。それは、三浦雅士氏が書いている解説です。ここで三浦氏は、「車谷長吉は、果たして私小説家か否か」 ということに言及しているのですが、これがなかなかに面白く頷ける話なのです。
結論だけを書いておきますと、三浦氏は 「車谷長吉は私小説家ではない」 と結論しています。私小説と言われるものがどのようなものであるかを正確に知っており、それを逆手に取っているのだ、と言うのです。
ま、これだけでは何のことかわからないでしょうが、少なくともこの解説を読んだ上で著者の小説を読むと、不要な勘違いをしなくて済むようになります。奥さんの大便を持ち出してくるかどうかは別問題ですが、車谷長吉が本当に言いたいことは他にあるのだということがはっきりわかるようになります。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆車谷 長吉
1945年兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)生まれ。本名は、車谷嘉彦。
慶應義塾大学文学部独文科卒業。
作品 「鹽壺の匙」「赤目四十八瀧心中未遂」「漂流物」「白痴群」「文士の魂」「銭金について」「贋世捨て人」他多数
関連記事
-
-
『小説 学を喰らう虫』(北村守)_最近話題の一冊NO.2
『小説 学を喰らう虫』北村 守 現代書林 2019年11月20日初版 『小説 学を
-
-
『道徳の時間』(呉勝浩)_書評という名の読書感想文
『道徳の時間』呉 勝浩 講談社文庫 2017年8月9日第一刷 道徳の時間を始めます。殺したのはだれ
-
-
『だれかのいとしいひと』(角田光代)_書評という名の読書感想文
『だれかのいとしいひと』角田 光代 文春文庫 2004年5月10日第一刷 角田光代のことは、好きに
-
-
『夜の側に立つ』(小野寺史宜)_書評という名の読書感想文
『夜の側に立つ』小野寺 史宜 新潮文庫 2021年6月1日発行 恋、喪失、秘密。高
-
-
『余命二億円』(周防柳)_書評という名の読書感想文
『余命二億円』周防 柳 角川文庫 2019年3月25日初版 工務店を営んでいた父親
-
-
『夜の公園』(川上弘美)_書評という名の読書感想文
『夜の公園』川上 弘美 中公文庫 2017年4月30日再版発行 「申し分のない」
-
-
『白砂』(鏑木蓮)_書評という名の読書感想文
『白砂』鏑木 蓮 双葉文庫 2013年6月16日第一刷 苦労して働きながら予備校に通う、二十歳の高
-
-
『真夜中のメンター/死を忘れるなかれ』(北川恵海)_書評という名の読書感想文
『真夜中のメンター/死を忘れるなかれ』北川 恵海 実業之日本社文庫 2021年10月15日初版第1
-
-
『村に火をつけ、白痴になれ/伊藤野枝伝』(栗原康)_書評という名の読書感想文
『村に火をつけ、白痴になれ/伊藤野枝伝』栗原 康 岩波現代文庫 2024年7月16日 第6刷発行
-
-
『自覚/隠蔽捜査5.5』(今野敏)_書評という名の読書感想文
『自覚/隠蔽捜査5.5』今野 敏 新潮文庫 2017年5月1日発行 以前ほどではないにせよ、時々

















