『介護者D』 (河﨑秋子)_書評という名の読書感想文

『介護者D』 河﨑 秋子 朝日文庫 2025年11月30日 第1刷発行

直木賞作家が巧みな筆致で描く、何もない日常に差すひと筋の光。

妹は昔からAランク 私はずっとDランクのまま 出来損ないの私が父の介護などできるだろうか

東京で派遣社員として働く30歳の琴美は、アイドルの 「ゆな」 を知り退屈な日々に一筋の光が訪れる。だが、北海道の父親が倒れ、介護のため実家へ戻ることに。閉鎖的な環境、明るい展望も見えない中、生き続けるためのよすがを求めて懸命にもがく姿を描き切る。解説・村井理子 (朝日文庫)

私には生涯の友と呼べる男性が三人います。二人は中学校の同級生、あと一人は私のかつての職場の後輩で、何がきっかけだったのか、気付くと四人で集まるようになっていました。先日、後輩がついに仕事を辞め、四人がともに (めでたく!?) 年金生活者となりました。

それはよいのですが、四人のうちの (私と同級生の一人以外の) 二人は独身で、二人共に九十歳を超えた母親の面倒をみる必要があり、実家で二人暮らしをしています。二人の母親はよく似た案配で、何とか動くことはできるのですが、家事全般は言うに及ばず、朝起きた時と夜寝る前にはおむつを交換し、風呂に入るとなれば何がしかの介助が必要で、会うたび、それらについての愚痴を聞いています。

私もかつて同様のことがありました。それは (結婚している) もう一人の同級生もそうで、いつ終わるともしれない介護の日々を、その間にあったやりきれないあれやこれやの問題を、何とか、忍の一字で乗り切りました。但し、我々は夫婦二人ででしたが、今介護中の彼らはそれを一人で担っています。自分も十分年を取ったなか、年老いた母と暮らす毎日を、何をよすがに過ごしているだろうと。そんなことを考えました。

認知症を発症した実家の飼い犬の姿に重なる、かつては誰からも先生と呼ばれていた人格者の父の老い、実家を離れ生活していた大人の女性が、あらためて親と同居することで目撃する、男性としての父の姿がリアルだ。肉体だけではなく、精神をも激しく疲弊させる介護の現実が、無駄のない、ストレートで骨太な筆致で描かれている。介護経験者である著者ならではの視点には、同じく介護経験者の私は感情を揺さぶられずにはいられなかった。

親の老いのスピードに直面した時の恐怖は、見てはいけないものを見てしまったという気持ちを抱かせ、一人で背負うには重すぎる責任に直面して感じる 「なぜ私だけがこんな思いを? 」 というやり場のない苛立ちは、じわじわと精神を蝕む。

「これだけは絶対にできない」 という介護の限界ラインは、主人公琴美の言葉を借りれば、「無理無理無理無理」。このセリフ以上に介護の厳しさを表現したものは見たことがない。思わず何度か復唱してしまった。こんな無理な状況に追い打ちをかけるコロナ禍の混乱の描写には、介護とコロナ禍の絶望的な相性の悪さを思い出した。圧倒的リアリティーを持って描かれる介護の現実は、胸に容赦なく突き刺さり、主人公に心を寄せずにはいられなかった。(後略)

特筆すべきは主人公が時折心のなかで漏らす父への愚痴と、ちょっとした意地の悪さだ。スラスラと琴美の頭のなかで流れる愚痴や悪態が痛快で、抜群にリズムがいい。(中略) 愚痴の快活さで言えば琴美は間違いなくAランクだ。

そしてこの琴美の芯の強さとそこはかとないユーモアは、推しがいる東京を離れ札幌の実家に戻り、実父の介護を (ついでに老犬の介護も) ひとりで背負うという絶望的な状況にあって、彼女の最大の魅力として読者の心に残るはずだ。笑いと愛とペーソスは、どんな日常にだって不可欠なのだと教えてくれる。(解説より)

※これまで読んだ著者の小説とはずいぶん雰囲気が違うのに最初ちょっと戸惑いました。こんなのも書くんだと。ただ、誰にとっても親の介護は切実な問題で - 今まさにその状況にあり、あるいは過去そんな経験をしたことがある - 当事者がもしも作家なら、これは書かずに済ますわけにはいかなかったのだろうと。

琴美の父親は元教師で、教師を辞めた後は塾を経営していました。倒れたのは七十歳の手前で、多少体に不自由は残ったものの、(当の本人は) 施設に世話になろうなどとは考えてもいません。寒い時期の除雪作業に、ほんのちょっと娘の手を借りようとしただけのことでした。

(娘でよかっですね、お父さん。息子 (男) ならこうはいきません。もっとあらけなく、味気ない毎日になっていたでしょう。男の私が言うのですからまちがいありません)

この本を読んでみてください係数  80/100

◆河﨑 秋子
1979年北海道別海町生まれ。
北海学園大学経済学部卒業。

作品 「颶風の王」「肉弾」「土に贖う」「絞め殺しの樹」「鯨の岬」「鳩護」「清浄島」「ともぐい」他

関連記事

『カンガルー日和』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

『カンガルー日和』村上 春樹 平凡社 1983年9月9日初版 村上春樹が好きである。 私が持っ

記事を読む

『後妻業』黒川博行_書評という名の読書感想文(その1)

『後妻業』(その1) 黒川 博行 文芸春秋 2014年8月30日第一刷 とうとう、本当にとう

記事を読む

『宇喜多の捨て嫁』(木下昌輝)_書評という名の読書感想文

『宇喜多の捨て嫁』木下 昌輝 文春文庫 2017年4月10日第一刷 第一話  表題作より 「碁

記事を読む

『家族の言い訳』(森浩美)_書評という名の読書感想文

『家族の言い訳』森 浩美 双葉文庫 2018年12月17日36刷 帯に大きく - 上

記事を読む

『ある行旅死亡人の物語』(共同通信大阪社会部 武田惇志 伊藤亜衣)_書評という名の読書感想文

『ある行旅死亡人の物語』共同通信大阪社会部 武田惇志 伊藤亜衣 毎日新聞出版 2024年1月15日

記事を読む

『顔に降りかかる雨/新装版』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『顔に降りかかる雨/新装版』桐野 夏生 講談社文庫 2017年6月15日第一刷 親友の耀子が、曰く

記事を読む

『小島』(小山田浩子)_書評という名の読書感想文

『小島』小山田 浩子 新潮文庫 2023年11月1日発行 私が観ると、絶対に負ける

記事を読む

『タイガー理髪店心中』(小暮夕紀子)_わたしの血は、よもや青くなってはないだろうな。

『タイガー理髪店心中』小暮 夕紀子 朝日新聞出版 2020年1月30日第1刷 穏や

記事を読む

『ジオラマ』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『ジオラマ』桐野 夏生 新潮エンタテインメント倶楽部 1998年11月20日発行 初めての短

記事を読む

『境界線』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『境界線』中山 七里 宝島社文庫 2024年8月19日 第1刷発行 『護られなかった者たちへ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『大好きな人、死んでくれてありがとう』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『大好きな人、死んでくれてありがとう』まさき としか 新潮文庫 20

『ブラック・ティー』(山本文緒)_書評という名の読書感想文

『ブラック・ティー』山本 文緒 角川文庫 2025年12月25日 改

『羆嵐』(吉村昭)_書評という名の読書感想文

『羆嵐』吉村 昭 新潮文庫 2026年12月20日 62刷発行

『妊娠カレンダー』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『妊娠カレンダー』小川 洋子 文春文庫 2020年12月20日 第2

『カフェーの帰り道』(嶋津輝)_書評という名の読書感想文

『カフェーの帰り道』嶋津 輝 東京創元社 2026年1月23日 4版

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑