『夢に抱かれて見る闇は』(岡部えつ)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/10
『夢に抱かれて見る闇は』(岡部えつ), 作家別(あ行), 岡部えつ, 書評(や行)
『夢に抱かれて見る闇は』岡部 えつ 角川ホラー文庫 2018年5月25日初版
男を初めて部屋に上げるときは、かなりの勇気がいる。もしこの男に、見えてしまったら。もうすぐ40歳の真千子の部屋には、かつての恋人の骸骨が立っている。暗闇の中、知り合ったばかりの男の愛撫に感じたのは・・・・・・・(「枯骨の恋」)。職場のパワハラで自殺した同僚。実家を訪れた千穂が知った、若い死者に対する奇妙な風習とは(「アブレバチ」)。第3回 『幽』 怪談文学賞受賞作 が待望の文庫化。女たちの怖くてエロティックで美しい物語。(角川ホラー文庫)
底なし沼のような闇を跨ぎ、裸の腰を落として腹の力を抜くと、じゅうじゅうと湿った音がして、黄金色の飛沫がきらきら輝きながら落ちていく。
きみょうちょうらいおさきさま
そのおんからだにくぎうてば
かみはいんてんつきやぶり
しもはならくのそこまでも
ひびきわたりておそろしや
わすることなきえんきれば
かぜふくごとくぬけるなり
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
縁切り厠ができたのには、訳がある。ずっと昔、まだここいらが村だった頃、この家に、お咲さんという人がお嫁に来た。気立ても器量もよくて、かわいい子供も三人丈夫に産んで、評判のお嫁さんだったんだが、かわいそうなことに夫が乱暴者で、お咲さんはずいぶんいじめられて、泣かない日はなかった。姑さんが心配して息子をたしなめても、話を聞くような男ではなかったから、みんなびくびく暮らしていたそうだ。
お咲さんは毎日泣いて泣いて泣き過ぎて、きっと頭が空っぽになってしまったんだね、かわいそうに、一番下の子供の乳が離れたとたん、あの厠で首をくくって、ぶら下がってしまった。
姑さんはえらく気を落として、自分も死のうとしたが、孫が不憫で堪えた。そして、孫たちの新しい母親を探してまわった。その甲斐あって新しいお嫁さんが来てくれたんだが、このお嫁さん、嫁入りからひと月もしないで姿が見えなくなった。息子もまだ乱暴なことなどしちゃいないのに、どうしたことかと村中で探したが、見つからない。とうとうあきらめて、また違うお嫁さんをもらった。するとそのお嫁さんも、ぷいっと姿を消してしまった。こりぁおかしい。神隠しかお咲の祟りかと、村は大騒ぎになった。
四番目のお嫁さんをもらうときには大変で、嫁がいなくなったらこれこれの賠償をすると、証文を書いてやっともらった。そこまでしてもらった嫁だ、今度はわたしが絶対に守ると言って、姑さんはお嫁さんの行くところはどこへでもついて回った。風呂も一緒に入った。
それでもただひとつ、ついていけない場所があった。分かるだろう、便所だよ。
ある日、お嫁さんが厠へ行くというので、いつものように姑さんもついて出て、厠の戸口で見張りをしていた。すると、中からお嫁さんの悲鳴が聞こえる。急いで戸を開けようとしたが、どうしたことか開かない。姑さんは慌てて裏に回り、壁をよじ登って窓を覗いた。すると、便所の穴からお嫁さんの白い手が、ひらひらと暴れながら飲み込まれていくのが見えたそうだ。
すぐに村の男衆が呼ばれて、便所の中を調べた。すると糞だめの中に、三人のお嫁さんが沈んでいたそうだ。姑さんはそれを見て、次の日に死んでしまった。よほどたまげて命を縮めたんだろう。
四人の女房と母親に死なれてしまった男はすっかり気が塞いで、それからはもうお嫁さんをもらわなかった。嘘のように気を入れ替えて、一生懸命畑仕事をして娘たちを育てあげたそうだ。三人娘は母親のお咲に似て、そりゃあきれいに育った。年頃になって、長女のところに婿が来ると、待ってましたとばかりに下の二人にもいい縁談が来て、とんとん拍子に片づいた。
しかしいいことばかりは続かないもので、娘たちの幸せを見届けたとたん、父親は病気にかかって死に、まもなく長女の婿が同じ病で死んだ。続いて次女が、嫁ぎ先から返されてきた。子ができなかったからだ。(本文より)
断っておきますが、この「縁切り厠」は、昔話ではありません。今ではもうほとんど見かけなくなった「外便所」が、普段は決して使われないままに、しかし時にある「目的」のもとに - 具体的には厠に一晩籠りある願いをかなえるために - 今も使われています。長い引用は、その由来を、祖母が幼い孫娘に言い伝えている場面を紹介しています。祖母はその厠のことを、「汚い心で汚い願いをかけるところ」なんだと言います。
※これは比較的スタンダードな方。安心してください。こんな話ばかりではありません。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆岡部 えつ
1964年大阪府豊中市生まれ。群馬県前橋市育ち。
作品 2008年、第3回『幽』怪談文学賞短編部門〈大賞〉を受賞、翌年、受賞作を表題とした短編集『枯骨の恋』でデビュー(文庫化にあたり本書『夢に抱かれて見る闇は』と改題)。他に「残花繚乱」「新宿遊女奇譚」「生き直し」など
関連記事
-
-
『捨ててこそ空也』(梓澤要)_書評という名の読書感想文
『捨ててこそ空也』梓澤 要 新潮文庫 2017年12月1日発行 平安時代半ば、醍醐天皇の皇子ながら
-
-
『あの子の殺人計画』(天祢涼)_書評という名の読書感想文
『あの子の殺人計画』天祢 涼 文春文庫 2023年9月10日 第1刷 社会派ミステリー・仲田
-
-
『夜明けの縁をさ迷う人々』(小川洋子)_書評という名の読書感想文
『夜明けの縁をさ迷う人々』小川 洋子 角川文庫 2010年6月25日初版 私にとっては、ちょっと
-
-
『名前も呼べない』(伊藤朱里)_書評という名の読書感想文
『名前も呼べない』伊藤 朱里 ちくま文庫 2022年9月10日第1刷 「アンタ本当
-
-
『泳いで帰れ』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文
『泳いで帰れ』奥田 英朗 光文社文庫 2008年7月20日第一刷 8月16日、月曜日。朝の品川駅
-
-
『夜の公園』(川上弘美)_書評という名の読書感想文
『夜の公園』川上 弘美 中公文庫 2017年4月30日再版発行 「申し分のない」
-
-
『生皮/あるセクシャルハラスメントの光景』(井上荒野)_書評という名の読書感想文
『生皮/あるセクシャルハラスメントの光景』井上 荒野 朝日新聞出版 2022年4月30日第1刷
-
-
『百舌落とし』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文
『百舌落とし』逢坂 剛 集英社 2019年8月30日第1刷 後頭部を千枚通しで一突き
-
-
『夏と花火と私の死体』(乙一)_書評という名の読書感想文
『夏と花火と私の死体』乙一 集英社文庫 2000年5月25日第一刷 九歳の夏休み、少女は殺され
-
-
『あなたの燃える左手で』(朝比奈秋)_書評という名の読書感想文
『あなたの燃える左手で』朝比奈 秋 河出書房新社 2023年12月10日 4刷発行 この手の

















