『エリザベスの友達』(村田喜代子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/07 『エリザベスの友達』(村田喜代子), 作家別(ま行), 書評(あ行), 村田喜代子

『エリザベスの友達』村田 喜代子 新潮文庫 2021年9月1日発行

あの頃、私たちは自由を謳歌していた。
九十七歳、認知症の初音さんはいま天津租界での夢のような日々を再び生きる。

戦後、命からがら娘と日本に引き揚げた初音さんは今年九十七歳になる。もう今では長女の顔もわからない。病が魂を次々と剥いでゆくとき、現れたのは天津租界でのまばゆい記憶だ。ドレスに宝石、ミンクを纏い、ある日はイギリス租界の競馬場へ、またある日はフランス租界のパーマネントに出かけ、女性たちは自由だった - 時空を行き来しながら人生の終焉を迎える人々を、あたたかく照らす物語。(新潮文庫)

戦中・戦後を生き抜いて、やがて歳を取り、認知症になった初音さんは、今は一人で施設で暮らしています。

結婚してすぐ天津に渡り、敗戦とともに苦労して引き揚げてきた九十七歳の初音さんは、今は九州の有料老人ホームで暮らしている。訪ねてくる娘たちを誰だこの女という目で見、名を問われれば エリザベスと答え、夕方になるとそれではお暇いたしますとどこかに帰ろうとする、まあ立派な認知症老人だ。

だがそれはあくまで彼女の外側の話。動かない表情の内側で、彼女は華やかなりし天津の日本租界の日々を生きている。戦争の足音が迫る内地をよそに、女たちは美しい洋装に身を包み、午後のお茶をたしなむ。

子供たちは国籍も肌の色も入り乱れて遊ぶ。女たちは自分で車を運転し、そして夫からお前などとけっして呼ばれない。豊かでお洒落で、何より女が自由だった、幸せな時代。物語の視点が娘たちから初音さんに切り替わるたび、白黒の画面が一気に極彩色になるようで、美しくも残酷なギャップにくらくらする。戦時中の内地の陰鬱と租界の絢爛の対比は、そのまま初音さんの外側と内側の落差を映すようだ。(解説より)

私事ですが、父がまだ元気な頃、繰り返し聞かされた話があります。太平洋戦争の末期、父は志願して陸軍に入隊し、愛知県渥美半島へ行くことになります。砲兵隊として日々訓練を受けるも実戦には至らず、約2年の兵役を経て終戦を迎えることになります。

当時、兵隊たちは何人かずつに分散し、近くの民家で風呂をもらっていたところ、父のいるグループが決まって行く民家には年頃の女性が一人いて、父はどうやら彼女に一目惚れをしたらしいのですが、あくまで父は 「特別扱いしたのは向こうの方だった」 と言って憚りません。戦争のことはさほど話さず、そのことばかりを話すのでした。

入隊後一年を経て上等兵になったこと。そしてこの風呂にまつわるエピソード。志願して行った戦争以外、さして大したことのなかった父の人生の、数少ないキラキラした過去の記憶。酒の飲めない父が、この時ばかりはまるで酔ってでもいるように、如何にも楽しげに話すのでした。

脳梗塞で二度倒れ、長い闘病の末父が亡くなったのは、もうずいぶん前のことになります。入院中、父はベッドの上で天井の片隅を見つめ、そこに大量のクワガタやカブトムシがいると、捕って孫に持って帰れと、見舞いに行くたび私を急かすのでした。

作中繰り返し投げかけられるのは、認知症とはいったい何なのだろう、という問いだ。時空を越え肉体を脱ぎ捨て、好きな年齢・好きな場所に戻って生きる老人たちは、ある意味最強の自由人だ。彼らが抜け殻のように見えるのは、もう いま・ここにいないからだ。

初音さんに年齢を問えばはたちと答える。同じ入居者の乙女さんは巨大な軍神となって家や畑や国までも守っている。牛枝さんは兄弟同然だった馬たちと毎日枕元で語り合うこの馬たちとのシーンは人前で読んではならない。いきなり涙が噴出する)。(解説の続き)

もう半ば意識もなくなり、話すこともかなわず、寝たきりのまま長い時間生きた父は、その時々に何を思っていたのでしょう。自分の人生の、どの場面を思い返していたのでしょう。今更ながらに言ってはみても、詮無いことではありますが。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆村田 喜代子
1945年福岡県北九州市八幡生まれ。
八幡市立花尾中学校卒業後、鉄工所に就職。1967年結婚し、二女を出産。

作品 「鍋の中」「白い山」「真夜中の自転車」「望潮」「ゆうじょこう」「飛族」他多数

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