『砂に埋もれる犬』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『砂に埋もれる犬』桐野 夏生 朝日新聞出版 2021年10月30日第1刷

砂に埋もれる犬

ジャンルを超えて文学界をリードする著者の新たな傑作
予定調和を打ち砕く圧倒的リアリズム
貧困と虐待の連鎖 - 母親という牢獄から脱け出した少年は、女たちへの憎悪を加速させた。

小学校にも通わせてもらえず、日々の食事もままならない生活を送る優真。母親の亜紀は刹那的な欲望しか満たそうとせず、同棲相手の男に媚びてばかりだ。そんな最悪な環境のなか、優真が虐待を受けているのではないかと手を差し伸べるコンビニ店主が現れる。ネグレクトによって家族からの愛を受けぬまま思春期を迎えた少年の魂は、どこへ向かうのか。その乾いた心の在りようを物語に昇華させた傑作長編小説。(朝日新聞出版)

二日も三日も、母は平気で家を留守にする。僅かばかりの食糧だけ置いて、母は男とどこへ行ったのか。訊くと叱られる。男に殴られる。母はそれを平気でやり過ごす - 。

子を子とも思わず育てられた少年は、それでも母しかいませんでした。母に代わる “誰か” が必要でした。

十二歳の少年・小森優真は、いったいどうなることを望んでいたのでしょう。今いる自分の状況がどう変化すれば事足りたのか。彼も、彼に関わる周りの人間も、その手立てがわかりません。

(これは、ある事をきっかけに、優真の里親になろうと決心したコンビニ店主・目加田からみた優真の様子)

思うに、優真は何かが欠落している。その何かが、ひとことで言えないくらい巨大すぎて、自分の手には余るように思うのだ。

そして、優真の心を蝕んで、巨大な虚 (うろ) を作ったものは何なのか。そのことについて考え始めると、空怖ろしくなるのだった。これまで目加田が生きて、信じてきたものとは大きく違うような気がする。(P366)

(以下は、児童相談所の憎からず思う女性担当者・淵上から連想し、心を寄せる同級生の花梨がする冷酷な横顔を思い出した時の優真本人の気持ち。淵上も目加田の妻・洋子も、誰も優真のそんな気持ちに気付きません)

突然、飢餓にも似た鋭い痛みを心に感じて、優真は思わず小さな声を上げた。だが、自分が何に飢えて、そんな声を上げたのか、わからなかった。目加田の家に引き取られて、食べ物には不自由していない。気儘に好き嫌いが言えるほどだ。

しかし、心の飢えだけは、どうにもおさまらないのだった。
いったい自分は何を欲して、何を得られなくて、苦しんでいるのだろうか。食べるものがなくて辛かった時期とはまた違う苦しみに、優真は内心、身悶えした。
(P419)

優真に対し、周りの誰もが願うのは - あたり前な日常を手に入れて、どうか生まれ変われますようにと。ネグレクトの果てに今は所在のわからぬ母と、いつかまた一緒に暮らせますようにと・・・・・・・。

ところが、その頃優真は、彼に対する周囲の気遣いを疎ましく感じるようになっています。思い通りに生きられず、優真はすでに自分にもあるはずの (将来に向けた) 小さな可能性すら諦めかけています。母はもはや母ではなくて、忌み嫌うだけの存在になっています。

その時、優真の心の中を覗いてみれば、それよりもっと切実な、自分自身でも制御できない絶望的な “欲望” と闘っています。その思いが、激しく彼を追い詰めています。

※正視に耐えない描写の連続は、しかし、おそらくはこれが現実なんだろうと。話は何も解決しないまま、誰ひとりも救われないままに幕を閉じようとしています。

この本を読んでみてください係数 85/100

砂に埋もれる犬

◆桐野 夏生
1951年石川県金沢市生まれ。
成蹊大学法学部卒業。

作品 「OUT」「グロテスク」「錆びる心」「東京島」「夜また夜の深い夜」「奴隷小説」「バラカ」「猿の見る夢」「夜の谷を行く」「路上のX」「デンジャラス」「日没」他多数

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