『よだかの片想い』(島本理生)_書評という名の読書感想文
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『よだかの片想い』(島本理生), 作家別(さ行), 島本理生, 書評(や行)
『よだかの片想い』島本 理生 集英社文庫 2021年12月28日第6刷
24歳、理系女子、初めての恋。
あなたに、私の左側にいてほしい。
顔に目立つ大きなアザがある大学院生のアイコ、二十四歳。恋や遊びからは距離を置いて生きていたが、「顔にアザや怪我を負った人」 をテーマにした本の取材を受け、表紙になってから、状況は一変。本が映画化されることになり、監督の飛坂逢太と出会ったアイコは彼に恋をする。だが女性に不自由しないタイプの飛坂の気持ちがわからず、暴走したり、妄想したり・・・・・・・。一途な彼女の初恋の行方は!? (集英社文庫)
もしも。もしもあなたが、自分の身体の一部について、言い知れぬ不安や屈折を抱えていたとしたらどうでしょう? それは生まれついての “運命” で、逃れられず、たえず大きな重荷となって、あなたを苦しめていたとしたらどうでしょう? ただ打ちひしがれて、生きることに絶望してはいないでしょうか。
私の顔には生まれつきのアザがある。
赤ん坊の頃にうっすらと青く浮き上がって、左目の下から頬にかけてだんだん濃く広がった。
母は、私のために運転免許を取って、診察まで二時間以上も待たされる大学病院に通った。だけど当時は今ほどレーザー治療も進んでいなかったし、ドライアイスを顔に押し当てるという恐ろしい治療法はとくに目立った効果を発揮せず、アザはそのまま居座った。
小学校三年生の社会の授業中、先生が教科書を捲りながら、日本一大きな湖は、という話をしたとき、男子がこちらを振り返った。
「前田のアザ、琵琶湖だっ」
「本当だ、琵琶湖そっくりだな」
「琵琶湖の形だ」
と口々に言い合った。その中には勉強ができて女子に人気の吉井君も交ざっていた。
吉井君は興味深そうに私を見つめた。私はとても恥ずかしくて、だけど内心ちょっと嬉しかった。
そのときだった。いつも優しい先生が、突然、教卓を拳で殴った。
「静かにしろ! なんてひどいことを言うんだ! 」
その瞬間、クラス中がはっとしたように静まり返った。
一番びっくりしたのは私自身だった。ひどいこと。ひどいこと。リフレインのように先生の言葉が響いた。
給食の時間になると、クラスメイトたちは遠巻きに私の横顔を見た。その目には今までになかった恐れと遠慮が滲んでいた。
私は揚げパンを齧りながら、左頬を隠すためにうつむいていた。揚げパンにまぶしてあるきなこが落ちて食べづらいからそうしている、というふうに見せかけながら。(本文より)
良かれと信じて先生が怒ったことが、結果、周りの生徒たちの差別意識を目覚めさせ、アイコを酷く困惑させることになります。これが彼女が味わう最初の “屈折” ですが、実は、アイコは思うほどには落ち込んでいません。クラスメイトから 「可哀想だ」 と言われ、泣きながらも彼女は、その言葉を全力で否定します。
私はなにも可哀想なんかじゃないのに。
生まれつきのものを可哀想だと言うのなら、私は一生否定されることになってしまう。私は口の中で何度も、死ね、死ね、と唱えて、無自覚に同情する他人の優越感を呪った。顔のアザが心の中まで広がっていくようで、そんな自分がとても悲しかった。
アイコは思うのでした。「まわりがおしゃれとか恋なんてくだらないことに時間を割いている間に、私はもっと大きな世界を動かす仕組みに時間を捧げているんだ」 と。それが彼女のつらかった心の癒しにも繋がり、のちにアイコは国立大学の理学部物理学科に見事合格します。
その後大学院へと進み、偶然が偶然を呼び、やがて彼女は若手映画監督の飛坂逢太と出会うことになります。そしてアイコは、ある意味 “易々と” 恋に落ちます。彼女が真に苦しむことになるのは、そのあとのことです。
※松井玲奈・中島歩主演 映画 「よだかの片想い」 は、2022.9.16 (金) 新宿武蔵野館ほか全国公開予定です!
この本を読んでみてください係数 85/100
◆島本 理生
1983年東京都板橋区生まれ。
立教大学文学部中退。
作品 「シルエット」「リトル・バイ・リトル」「生まれる森」「一千一秒の日々」「大きな熊が来る前に、おやすみ。」「ファーストラブ」「夏の裁断」「夜はおしまい」他多数
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