『錠剤F』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『錠剤F』井上 荒野 集英社 2024年1月15日 第1刷発行

ひとは、独りから逃れられない。短編の名手が、日常の隙間にひそむ孤独を描き出す - 著者史上最もグロテスクで怖い10の物語から成る、最高精度の小説集。

バイト先のコンビニに現れた女から、青年は 「ある頼みごと」 をされて -「ぴぴぴーズ」 男を溺れさせる、そんな自分の体にすがって生きるしかない女は -「みみず」 刺繍作家の女は、20年以上ともに暮らした夫の黒い過去を知ってしまい -「刺繍の本棚」 女たちは連れ立って、「ドクターF」 と名乗る男との待ち合わせに向かうが -「錠剤F」 ・・・・・・ ほか、あなたの孤独を掘り起こす短編10作を収録! (集英社)

この著者らしさ満開の一冊を読みました。どんな人生を歩めば、こんな発想が生まれるのでしょう。そこここにある 「孤独」 の正体を、こうも辛辣かつ的確に指し示すことができるのでしょう。端から容赦というものがありません。痛いところに、モロに刺さります。

「集英社文芸ステーション」 より 死的不穏さのリアル 吉村萬壱

新型コロナが五類になり、元の日常が戻ったような空気にはなってはいるものの、我々を取り巻く不穏さが一向に減少しない気がするのはなぜなのか? それは不穏さというものが我々の住む世界の本質だからだと、作者はそっと語りかけてくる。

外から家の中に入ってくる不穏さを排除しても、家族そのものの持つ不穏さが残る。家族の不穏さを拭い去っても、自分自身に巣食う不穏さが残る。即ちどこまで行っても不穏さは消滅することがない。全てが元通りの平穏さに復帰するという淡い期待は、作者の冷酷な筆によって悉く薙ぎ払われる。

このような恐ろしい現実から逃れるために、人は得体の知れない曖昧なものであっても、とにかく何かに縋りつこうとする。しかしそれが例えば一人の小説家の出身地を問うことであったりすると意味が分からず、ますます不穏さが増すのである。

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この短編集は、虚無の深遠に墜落しないようにと我々が縋りついて離さない不気味な命綱のようなものを、次々と暴いてみせる。

それは知らない女との架空のセックス経験であり、コミック本であり (「ぴぴぴーズ」)、「あたらしい日よけ」 であり、性器の中の一万匹のみみずであり (「みみず」)、夫の本棚であり (「刺繍の本棚」)、結婚生活であり (「ケータリング」)、良き夫である (フリップ猫」)。そしてこれら全てを象徴するものが 「飲めば何の苦しみもなく、眠ったまま死ぬことができるという錠剤F」 である。しかしこれらのものは、錠剤Fを含めて悉く崩れ去る。

予定調和的な方向に行きそうになっても絶対にそこに行かない作者の筆には、ありきたりな幸せを断固受けつけぬ独特の美学がある。

一番身近な家族や恋人の心さえ、気が遠くなるほど自分の理解の外にあることを作者は執拗に描いてみせる。(以下省略/部分的に割愛しています)

どうです? 書かれてあることの幾分かは想像できるでしょうか。常日頃ひどく孤独を感じている人も、たいして感じてはいないという人も、人は結局独りきりで、畢竟そこから逃れることはできません。そのとき、私は (あなたは)、何を頼りにするのでしょう。それは案外、取るに足らない “物や事“ かも知れません。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆井上 荒野
1961年東京都生まれ。
成蹊大学文学部英米文学科卒業。

作品 「虫娘」「ほろびぬ姫」「切羽へ」「つやのよる」「誰かの木琴」「ママがやった」「赤へ」「その話は今日はやめておきましょ

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