『絶叫委員会』(穂村弘)_書評という名の読書感想文

『絶叫委員会』穂村 弘 ちくま文庫 2013年6月10日第一刷


絶叫委員会 (ちくま文庫)

「名言集・1 」

「俺、砂糖入れたっけ? 」

大学一年生のとき、喫茶店で同級生のムロタが云った言葉である。
そのとき、ムロタの目の前には珈琲が置かれていた。それを飲もうとして、途中で自分が砂糖を入れたかどうか、わからなくなったらしい。ミルクなら白くなるが、砂糖は白くならないので痕跡が残らないのだ。

「自分でわかんないのかよ」と友人のひとりに云われて、ムロタはちょっと白目を剥くような顔をして考えていたが「忘れた」と応えた。

「阿呆か」と皆はあきれて云った。女の子たちはくすくす笑っている。
「飲めばわかるよ」「甘かったら入れたんだよ」「飲めよ」と口々に云われて、しかし、ムロタは「うう、ううう」と、ただ唸っているだけだった。
動物かよ、と思っておかしかった。
ムロタ、恰好いい奴。下の名前が思い出せない。

猫を飼っている友達がいて、その日、たまたま何枚もの猫写真を教室に持ってきていた。ムロタはにこにこしながらそれをみせて貰っていた。
あんまり嬉しそうなので、飼い主は「どれか一枚、好きなのあげるよ」と云った。
ムロタは真剣に写真たちを見比べていたが、その挙げ句にこう云った。

「選べない・・・・・・・」

あんなに長い間みてたのに、と思って、私の方が動揺してしまった。「一枚」がどうしても選べず、結局、彼は写真を貰えなかった。
ムロタ、美しい奴。猫が好きだった。

また別の或る日、友達の部屋に何人かが集まっていた。ちいちゃんという女の子が辺りをちょっと片づけようとしたとき、ムロタが声をかけた。

「あ、ちいちゃん気をつけて。その辺で俺、さっき靴下脱いだから」

自分の靴下を危険物のように云うのがおかしい。しかも、勝手に脱いだくせに。だが、ムロタは本心から「気をつけて」と云っているのだ。ちいちゃんが自分の汚い靴下に触ってしまわないように。

そこに心をうたれる。ちいちゃんも、くすっと笑って嬉しそうだ。
その「くすっ」は私には一度も向けられたことのない種類の笑顔だった。私も内心「ムロタ、恰好いい」と思ったが、平静を装った。そして、あとでこっそりファイロファックス手帳に彼の言葉をメモした。そんな自分が惨めだった。

二十数年後の今、私は依然として、天然の愛嬌やたくまざるユーモアや突き抜けた自由さと無縁のままだ。そして昔のメモを元に、こうして文章を書いてお金を貰っている。

今頃、ムロタはどうしているだろう。あの性格では、どこかで野垂れ死んでいるかもしれない。
ムロタ、眩しい奴。冥福を祈る。

例えば、『絶叫委員会』にはこんなことばかりが書いてあります。

(読書メーターにある)あやのさんの感想を借りると、

ちょっと「もやっ」と思ったことをこれだけ言語化できるのがすごいなあと思った。他人との感覚のずれとか、生きていてずっと知らなかったこととか(知らなくても大きな差はないこと)。現実との微妙なずれを指摘されて、でもそれを直すのではなく、ずれはずれとして認識してそのずれ方を楽しむとか。書いていてよくわからないぞ。穂村さんは周りにいたら楽しそうだけどつきあったらめんどくさそうだな、と勝手に思う。

みたいな感じ。わかります? わかりますよね。 わかってほしいなあ。

以上。

穂村弘。1962年北海道生まれ。歌人。1990年に歌集『シンジケート』(沖積舎)でデビュー。2008年、『楽しい一日』で第44回短歌研究賞、『短歌の友人』(河出書房新社)で第19回伊藤整文学賞(評論部門)を受賞。短歌のみならず、近年はエッセイなどの散文でも幅広い人気を集めている。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


絶叫委員会 (ちくま文庫)

◆穂村 弘
1962年北海道札幌市生まれ。
上智大学文学部英文科卒業。歌人。

作品 「シンジケート」「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」「ラインマーカーズ」「もうおうちへかえりましょう」「にょっ記」「整形前夜」など

関連記事

『死にぞこないの青』(乙一)_書評という名の読書感想文

『死にぞこないの青』乙一 幻冬舎文庫 2001年10月25日初版 死にぞこないの青 (幻冬舎文

記事を読む

『空飛ぶタイヤ』(池井戸潤)_書評という名の読書感想文

『空飛ぶタイヤ』 池井戸 潤 実業之日本社 2008年8月10日第一刷 @1,200 &n

記事を読む

『生存者ゼロ』(安生正)_書評という名の読書感想文

『生存者ゼロ』安生 正 宝島社文庫 2014年2月20日第一刷 生存者ゼロ (宝島社文庫 『こ

記事を読む

『御不浄バトル』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『御不浄バトル』羽田 圭介 集英社文庫 2015年10月25日第一刷 御不浄バトル (集英社文

記事を読む

『セイジ』(辻内智貴)_書評という名の読書感想文

『セイジ』 辻内 智貴  筑摩書房 2002年2月20日初版 @1,400  

記事を読む

『続・ヒーローズ(株)!!! 』(北川恵海)_書評という名の読書感想文

『続・ヒーローズ(株)!!! 』北川 恵海 メディアワークス文庫 2017年4月25日初版 続

記事を読む

『ブラックライダー』(東山彰良)_書評という名の読書感想文_その1

『ブラックライダー』(その1)東山 彰良 新潮文庫 2015年11月1日発行 ブラックライダー

記事を読む

『十六夜荘ノート』(古内一絵)_書評という名の読書感想文

『十六夜荘ノート』古内 一絵 中公文庫 2017年9月25日初版 十六夜荘ノート (中公文庫)

記事を読む

『遮光』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『遮光』中村 文則 新潮文庫 2011年1月1日発行 遮光 (新潮文庫)  

記事を読む

『新宿鮫』(大沢在昌)_書評という名の読書感想文(その1)

『新宿鮫』(その1)大沢 在昌 光文社(カッパ・ノベルス) 1990年9月25日初版 新宿鮫

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『老後の資金がありません』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『老後の資金がありません』垣谷 美雨 中公文庫 2018年3月25日初

『その可能性はすでに考えた』(井上真偽)_書評という名の読書感想文

『その可能性はすでに考えた』井上 真偽 講談社文庫 2018年2月15

『ラメルノエリキサ』(渡辺優)_書評という名の読書感想文

『ラメルノエリキサ』渡辺 優 集英社文庫 2018年2月25日第一刷

『銀河鉄道の父』(門井慶喜)_書評という名の読書感想文

『銀河鉄道の父』門井 慶喜 講談社 2017年9月12日第一刷

『虹』(周防柳)_書評という名の読書感想文

『虹』周防 柳 集英社文庫 2018年3月25日第一刷 虹 (集

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑