『億男』(川村元気)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/10 『億男』(川村元気), 作家別(か行), 川村元気, 書評(あ行)

『億男』川村 元気 文春文庫 2018年3月10日第一刷

宝くじで3億円を当てた図書館司書の一男。浮かれる間もなく不安に襲われた一男は、「お金と幸せの答え」を求めて大富豪となった親友・九十九のもとを15年ぶりに訪ねる。だがその直後、九十九が失踪した - 。ソクラテス、ドストエフスキー、アダム・スミス、チャップリン、福沢諭吉、ジョン・ロックフェラー、ドナルド・トランプ、ビル・ゲイツ・・・・・・・数々の偉人たちの “金言” をくぐり抜け、一男の30日間にわたるお金の冒険が始まる。人間にとってお金とは何か? 「億男」になった一男にとっての幸せとは何か? 九十九が抱える秘密と 「お金と幸せの答え」とは?(「BOOK」データベースより)

この小説は、突如億万長者となった図書館司書の、お金をめぐる30日間の大冒険を描いた物語です。中に出てくる「芝浜」という噺を聞いてください。これは大学入学後に一男が「落語研究会」で出会い、共に過ごした親友・九十九の最も得意とする演目です。
・・・・・・・・・
昔の魚屋てえのには、ずいぶんズボラな酒飲みってのがおりましてね。そうすると女房なんざに、もうアンタ、いい加減働いとくれなんてしつこく言われるわけです。商いに行かなきゃダメじゃない、もう貧乏はごめんだよ、早く魚河岸に行きなよ。やだよ。行きなよ。じゃ飲みたいだけ飲ませろ、飲ませたら行ってやらあ

腕はいいが酒好きな魚屋は、飲んでばかりで仕事をしない。おかげでずっと貧乏暮らし。業を煮やした女房に早朝から叩き起こされ、渋々魚市場に仕入れに向かう。しかし時間が早過ぎたのか、市場はまだ開いていない。

仕方なく浜辺で時間をつぶしていると、足元の海中に財布を見つける。拾ってみると、中には目を剥く大金。魚屋は、有頂天になって自宅に帰り、仲間を集めて飲めや歌えの大騒ぎ。揚げ句の果てに酔いつぶれて寝てしまう。

アンタ、起きて。なんだよ。なんだよじゃないよ、いつまで寝てるんだよ、飲み食いの勘定はどうするのさ? そんなもんあの拾った金で払えばいいだろ。拾った金? 何夢みたいなこと言ってるんだよ、アンタはずっと寝てたじゃないか

そんなことあるもんか俺は確かに・・・・・・・。はあ・・・・・・・そんな夢見たもんだから、寝起きであんな大騒ぎをしたんだね。夢だって? ああそうさ、ほんとアンタって人は情けない。いくら貧乏だからって金を拾う夢を見るなんて

金を拾った夢を見るなんて、我ながら情けない。ぜんぶ酒のせいだ。これからは酒をやめて、仕事に精を出そう - 生き方を考え直した魚屋は断酒を決意する。金なんて拾うもんじゃない。てめえで稼ぎ出すもんだ。俺はすっかり目が覚めたぜ - と死にもの狂いに働き始める。

拾った大金が夢だったと知った魚屋は、改心して懸命に働いた。もともと腕が良かった魚屋。店は繁盛し、三年後には立派な店を構えることができた。その年の大晦日の晩。魚屋の女房が家の奥から財布を持ってきて、告白を始める。この財布をずっと隠していたんだ、と。あの日、大金を見せられた妻は困惑した。このままだと夫が駄目になってしまうと思った。妻は魚屋の泥酔に乗じて「財布など最初から拾ってない。あれは夢だった」と言いくるめることにしたのだ。

事実を知った魚屋は、妻を責めることはなく、気の利いた嘘で自分を真人間へと立ち直らせてくれたことに感謝する。妻は涙ぐみ、懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい「久しぶりに酒でもどうか? 」と勧める。初めは拒んだ魚屋だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」といったんは口元に運ぶが、ふいに杯を置く。そして言うのだ。

よそう。また夢になるといけねえ。
・・・・・・・・・
もうひとつ。

チャーリー・チャップリン演じるコメディアンが『ライムライト』の劇中、自殺しようとまで考えていたバレリーナに投げかけた言葉があります。落ちぶれたコメディアンから言われたその言葉で、バレリーナはみごと再起を果たします。その言葉とは、

人生に必要なもの。それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金さ - というものです。「芝浜」の言わんとするところ、そしてチャップリン扮するコメディアンが投げかけたこの言葉が示唆するところをよ~く考えてみてください。

さて、この映画のシーンを思い出している時の大倉一男は、思いもかけず、偶然に偶然が重なり、3億もの大金を手にしています。彼にとってそれは途方もない、甚だしく現実味に欠けるくらいの大金でした。彼は動揺します。動揺し、思い余って15年の間行き来のないかつての親友、九十九に相談しようと思い立ちます。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆川村 元気
1979年横浜生まれ。
上智大学文学部新聞学科卒業。

2001年東宝入社。映画プロデューサー、絵本作家。映画「電車男」「告白」「悪人」「モテキ」「君の名は。」「怒り」等を制作。著作「世界から猫が消えたなら」「四月になれば彼女は」「仕事。」「理系に学ぶ。」絵本「ティニーふうせんいぬのものがたり」「ムーム」など

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