『霧/ウラル』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/10 『霧/ウラル』(桜木紫乃), 作家別(さ行), 書評(あ行), 桜木紫乃

『霧/ウラル』桜木 紫乃 小学館文庫 2018年11月11日初版

北海道最東端・根室は、国境の町である。戦前からこの町を動かしてきた河之辺水産の社長には、三人の娘がいた。長女智鶴は国政を目指す大旗運輸の御曹司に嫁ぎ、次女珠生は芸者を経て相羽組組長の妻となり、三女早苗は金貸しの杉原家の次男を養子にして実家を継ぐことになっている。

にわかに解散風が吹いた総選挙で、智鶴の夫・大旗善司は、北方領土の早期返還を公約に掲げ、初当選を果たした。選挙戦を支えたのは、珠生の夫・相羽重之が海峡でかき集めた汚れ金だった。三姉妹はそれぞれの愛を貫き、男の屍を越えて生きてゆく。(小学館文庫)

舞台は、昭和35年から41年にかけての根室。終戦の記憶がまだ、伝聞ではなく経験として残っていた時代だ。主人公の河之辺珠生は料亭 「喜楽楼」 の芸者で、20歳という年齢ながら、ひとりで座敷を任されている。彼女はここで、常連客の秘書を務める相羽重之という男に出会い、惹かれてゆく。

河之辺家は水産業の会社を営む名家であり、珠生は親に反対し、15で家を出ていた。珠生の上に長女智鶴が、下に三女早苗がいる。物語は珠生の視点で語られ、相羽との関係、智鶴や早苗との関係が、実家や他家の目論見を巻き込みながら変化していく。根室の街をめぐる金と権力を最終的に牛耳るのはどこの誰か。男たちの生臭い話と、女たちの情やプライドが交錯する。(解説より抜粋)

最初、必ずしもそうは思えないのですが、三姉妹の内、一等世知に長けているのが長女・智鶴ではないかと。彼女は本来家業の水産加工会社を継ぐべき立場にありながら、地元の運送業を束ねる大旗家の御曹司・善司のもとに嫁ぎます。

その頃すでに善司は、家業よりむしろ国政に進出すべく熱心に活動しています。北方領土の早期返還を公約に、ひいては根室を北の経済の拠点にすると息巻いています。智鶴はそれをよく承知し、善司を支えるうち、やがて善司以上の力を発揮するようになります。

二人の姉が家を出たあと、残る早苗に縁談の話が持ち上がります。地元信金の杉原家の次男を養子に迎え、実家の家業を継ぐという話に、彼女は素直に頷くことができません。残り籤を引かされたようで、幾分か早苗は卑屈になっていきます。

“自分の居場所は、自分で見つけるしかない” - 十五で珠生が芸者になったのは、偏に自分の意志を貫きたかったから。地元の有力者である河之辺家の娘であるという身分を棄て、芸者になり、やがて珠生はヤクザ連中を束ねる相羽組の組長の妻となります。

彼女が惚れたのは、育ての親への恩義から汚名を被って刑務所へいくと決めた男 - 相羽重之でした。

服役を終え出所した相羽は、表は土建屋、裏で地元の汚れ仕事の一切を請け負う組織 「相羽組」 を興します。相羽と夫婦になることで、珠生は思いもよらずヤクザ組織の組長の妻となり、やがては 「姐さん」 と呼ばれるようになります。

※ 河之辺水産は、戦後根室の復興に尽力してきた地元最大手の水産加工会社。社長は人格者として地元でよく知られた人物で、根室には、社長を頼り、「河之辺」 の名前を借りて資金を調達し、それで経営が成り立っている会社や組織が数多くあります。

それがため、いつしか河之辺水産自体の経営が危うくなりつつある頃のことです。根室において海上の雄・河之辺水産に対し、陸の雄が大旗運輸、そして地域の金融を一手に担っているのが杉原家 - という構図の中で、

根室と国後を分かつ国境の間に広がる海峡での揉め事の、全てを丸く治めることができるのは、相羽重之 - 彼以外にはないのでした。相羽はあくまで黒子に徹します。たとえ汚れ仕事であろうと、黙してそれをやり遂げます。彼にはそうするための、理由があるのでした。

親の思惑通りの相手に嫁いだ長女の智鶴。実家を継ぐかどうかで思い惑う三女の早苗。二人はこの先どうなっていくのか。そして、珠生は -

相羽の妻となり、姐さんと呼ばれるのが板についてきた頃、相羽にある事件が起こります。それを受け、相羽の意思を継ぐように、今度は珠生が 「海峡の鬼になる」 と心に決めます。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆桜木 紫乃
1965年北海道釧路市生まれ。
高校卒業後裁判所のタイピストとして勤務。

作品 「起終点駅/ターミナル」「凍原」「氷平線」「ラブレス」「ホテルローヤル」「硝子の葦」「誰もいない夜に咲く」「星々たち」「ブルース」他多数

関連記事

『泡沫日記』(酒井順子)_書評という名の読書感想文

『泡沫日記』酒井 順子 集英社文庫 2016年6月30日第一刷 初体験。それは若者だけのもので

記事を読む

『あなたが殺したのは誰』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『あなたが殺したのは誰』まさき としか 小学館文庫 2024年2月11日 初版第1刷発行 累

記事を読む

『生きるとか死ぬとか父親とか』(ジェーン・スー)_書評という名の読書感想文

『生きるとか死ぬとか父親とか』ジェーン・スー 新潮文庫 2021年3月1日発行 母

記事を読む

『オロロ畑でつかまえて』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『オロロ畑でつかまえて』 荻原 浩 集英社 1998年1月10日第一刷 萩原浩の代表作と言えば、

記事を読む

『しゃべれども しゃべれども』(佐藤多佳子)_書評という名の読書感想文

『しゃべれども しゃべれども』佐藤 多佳子 新潮文庫 2012年6月10日27刷 俺は今昔亭三つ葉

記事を読む

『インビジブル』(坂上泉)_書評という名の読書感想文

『インビジブル』坂上 泉 文春文庫 2023年7月10日第1刷 第23回大藪春彦賞

記事を読む

『兄の終い』(村井理子)_書評という名の読書感想文

『兄の終い』村井 理子 CCCメディアハウス 2020年6月11日初版第5刷 最近読

記事を読む

『いちご同盟』(三田誠広)_書評という名の読書感想文

『いちご同盟』三田 誠広 集英社文庫 1991年10月25日第一刷 もう三田誠広という名前を

記事を読む

『幸福な食卓』(瀬尾まいこ)_書評という名の読書感想文

『幸福な食卓』瀬尾 まいこ 講談社 2004年11月19日第一刷 買ってはみたものの、まった

記事を読む

『きみの町で』(重松清)_書評という名の読書感想文

『きみの町で』重松 清 新潮文庫 2019年7月1日発行 あの町と、この町、あの時

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑