『ウツボカズラの甘い息』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文
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『ウツボカズラの甘い息』(柚月裕子), 作家別(や行), 書評(あ行), 柚月裕子
『ウツボカズラの甘い息』柚月 裕子 幻冬舎文庫 2018年10月10日初版
容疑者は、ごく平凡な主婦 ・・・・・ のはずだった。
殺人と巨額詐欺。交錯する二つの事件は人の狂気を炙り出す。戦慄の犯罪小説。家事と育児に追われ、かつての美貌を失った高村文絵。彼女はある日、趣味の懸賞でディナーショーのチケットを手にした。参加した会場で、サングラスをかけた見覚えのない美女に声をかけられる。女は 『加奈子』 と名乗り、文絵と同じ中学で同級生だというのだ。そして、文絵に恩返しがしたいとある話を持ちかける。
一方、鎌倉に建つ豪邸で、殺人事件が発生。被害者男性は、頭部を強打され凄惨な姿で発見された。神奈川県警捜査一課の刑事・秦圭介は鎌倉署の美人刑事・中川菜月と捜査にあたっていた。聞き込みで、サングラスをかけた女が現場を頻繁に出入りしていたという情報が入る・・・・・・・。日常生活の危うさ、人間の心の脆さを圧倒的なリアリティーで描く、ミステリー長篇。(幻冬舎webサイトより)
実は、薄々彼女は勘付いていたのだろうと。そんなうまい話が、そうそうにあるわけはないのだということに。
そもそも、突然目の前に現れた女性がかつての同級生の 『加奈子』 であり、文絵に対し、加奈子がそうまでして恩返しがしたいと望んでいたとするなら、その偶然は如何にも出来過ぎた “偶然” で、よくよく考えれば、極めて不自然な出会いではあったのです。
ところが、(胡散臭くは感じながらも) 文絵がその話に乗ったのには訳があります。加奈子がした思いがけない提案は、時の文絵の射幸心を満たすにはこれ以上ない “おいしい” 話で、平凡な主婦として汲々と暮らす文絵は、ある意味墜ちるべくして 『加奈子』 の仕掛けた甘い罠に墜ちてしまうのでした。
文絵が 『加奈子』 の “分身” となり、働くことを決めたのは、提示された法外な報酬もさることながら、何より彼女にとって魅力だったのは 「自分のかつての “美貌” が取り戻せる」 ということでした。売るための高価な化粧品を自ら使い、彼女は日々ダイエットに励みます。
その頃の文絵の暮らしの実情は、家計は毎月火の車、お洒落どころか、自分の洋服一枚さえ買えません。気苦労と育児のストレスが溜まり、食べることだけが楽しみで、スナック菓子や子供の食べ残しを手当たり次第に口にした結果、体重は見る間に増え、1年で10キロを超えたのでした。
ぶくぶく太り、身なりは構わなくなります。化粧はせず、髪の手入れもしないので、まだ30代なのに10歳近くも上に見えます。おまけに彼女は 「解離性離人症」 という心の病を患っています。
・・・・・・・・・・・・・・
文絵は、かつて人が振り向くほどの美少女で、誰もが羨むほどの美貌の持ち主でした。結婚して子供が生まれ、それが今では見る影もありません。
そんな文絵を前にして、『加奈子』 は 「憧れの牟田さん(文絵の旧姓)に20年ぶりに会えるなんて、信じられない。芯からきれいな人は、体型や年齢が変わっても、やっぱり内から光るものがあるわよねえ・・・・・・・」 と見え透いたことを言います。
嘘だ。おべんちゃら決まっている。そう思い、加奈子の誘いを断ろうとするのですが、加奈子は尚も文絵の腕を取り、その手に力を込め、「私、牟田さんにお礼がしたいの」 と話しかけます。ついては鎌倉にある自分の別荘へ遊びに来いと、さらに言葉を重ねます。
文絵は何も知りません。文絵が - 加奈子が、実は 『加奈子』 ではなかった - と知るのは、ずっとあとのことです。
事はそれだけに止まらず、加奈子の指示で文絵がしていた仕事の傍らで、ある殺人事件が起こります。当初、まるで関係ないものに思われたその事件は、やがて、加奈子ばかりか文絵にとっても深く関わっていることがわかってきます。事の真相は -
誰かが死んだ女に成りすましている。死人の名前を騙り、その女に成り代わって悪事を働いている。甘い匂いでターゲットを誘き寄せ、養分をすべて吸い取り、次々に変容を遂げている。(本文より)
文絵が信じたものは全て騙られた虚構で、嘘に塗り籠められた世界の中で、文絵だけがそれに気付きません。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆柚月 裕子
1968年岩手県生まれ。
作品 「臨床真理」「検事の本懐」「最後の証人」「検事の死命」「蝶の菜園 - アントガーデン -」「パレードの誤算」「朽ちないサクラ」「孤狼の血」他多数
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