『愛と人生』(滝口悠生)_書評という名の読書感想文

『愛と人生』滝口 悠生 講談社文庫 2018年12月14日第一刷

愛と人生 (講談社文庫)

「男はつらいよ」 シリーズの子役、秀吉だった 「私」 は、寅次郎と一緒に行方不明になった母を探す旅に出る。映画の登場人物と、それを演じる俳優の人生が渾然一体となって語られ、斬新で独創的と絶賛された “寅さん小説” の表題作ほか、短編 「かまち」 とその続編 「泥棒」 の三作を収録。〈野間文芸新人賞受賞作〉(角川文庫)

表題作 「愛と人生」 を読みました。その冒頭の文章が、これです。

おいちゃーん
おいちゃーん
おーいーちゃーん

おいちゃんを呼んでいる男の声がしているのを聞いている自分は今夢の中にいた。呼んでいる男の姿は見えないが、どうもそれは自分の声のような気がした。おいちゃんというのは親父の弟で、だから叔父にあたるのだが、つまり自分は甥なのだが、甥である自分が、叔父を呼ぶ時に、おいちゃんとはこれいかに。「お」 から 「じ」 を経て 「ちゃ」 に至るとなれば、舌があっちこっち行って疲れるので、簡略化すると音声学上は叔父が甥に変化するのである。(P8.9)

おいちゃんといえば、すぐに連想するのが映画 「男はつらいよ」シリーズの主人公、車寅次郎のことです。寅次郎を演じる俳優・渥美清は、(多くの日本人にとって) もはや渥美清であって渥美清ではありません。二人は今や、渾然一体となって存在しています。

小説 「愛と人生」 は、映画 「男はつらいよ」 をベースに、その世界観を残しつつ、新たに誕生したまた別の物語 - とでも言えばいいのでしょうか。映画と同じ人物が登場し、しかし映画とは違う場面を演じます。よく似た役柄で、「本人」 が登場したりします。

たとえば作中にあるこんなやり取り。これは第36作 「柴又より愛をこめて」 に登場するシリーズ全48作中唯一のヌードシーン - 美保純演じるあけみが海ぎわの露天風呂で立ち上がり、背中向きに全裸をさらす場面 - がベースにあります。

美保純は缶ビールを持った右手の人差し指で、私を指さした。私ももう若者と言われるような年ではないのだが。しかし二十七年前は子どもだった。今こうして二十近くも年の離れた、それこそ親子ほどの年の差の美保純と、下田くんだりまで来て一緒に風呂に入り、浴衣を着て向かい合っているのも私がまだ若くて、守れもしないものを守ろうとしたり、いらないものを欲しがったりしているからなのか。

違うわよ、と美保純は言った。それはあんたが馬鹿だからよ。私が言ってる若さは、もっと必死な、熱いやつのこと。馬鹿も利口も関係ない。頭じゃどうにもならない時の話よ。あんたみたく、そんなお茶なんかすすってられないような・・・・・・・。

僕だって、と私は美保純の言葉を遮った。僕なりの必死さはあると思っています。
口ごたえするんじゃないわよ、と今度は美保純が私を遮った。そうやって理知的に会話を進めないの。もっと闇雲に、思いつきで、感情をそのまま言葉にしようとしてみなさいよ。どうせ馬鹿なんだから、考える前にしゃべんなさい。

そんなこと言われたら私は絶対黙ってしまう。どうしろと言うのか。そして実際黙りかけたのだが、しかたなく無理矢理口を開いたみたいに、そしてあなたは、と私は言った。プロポーズを断ったあなたは、夫のもとに戻ることを決めて、翌日島を離れたのだった。あの島を、と私は窓から見える島の連なりを指さした。私の指しているのが本当に式根島だかわからない。

そんなこといいの。そうじゃなくて、あんたは要するに私のお尻のことを考えてるんでしょ。お尻の話をすればいいのよ。

私が二十七年前に見た美保純の尻のことを今でも忘れずに、むしろ積極的に思い出して思い出して、それが何かであると思おうとしている。何か、というか、正直に言えば私はそれを愛情だと思いたがっている。

でもそうして思い出すことが愛だとしても、はたしてそれが美保純に何をもたらすのか。そもそもその対象は、美保純なのか、美保純のお尻なのか。思い出すことと伝えること。愛の、理論と実践。(P86.87)

ここにいるのは、はたしてタコ社長の娘・あけみか? それとも美保純本人なのか?・・・・・・・ いずれにせよ、(渥美清と寅次郎の場合とは違い) 私にとってそれはもう圧倒的に美保純本人で、彼女の “お尻” 以外考えられなくなっています。

深く考えてはいけません。実は、ここでは秀吉は秀吉なりに、美保純は美保純で、おのが人生の狭間で必死になって足掻いています。まるで映画のように。およそ現実みたいに。

この本を読んでみてください係数  85/100

愛と人生 (講談社文庫)

◆滝口 悠生
1982年東京都八丈町生まれ。埼玉県入間市出身。
早稲田大学第二文学部中退。

作品 「寝相」「愛と人生」「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」「死んでいない者」「茄子の輝き」「高架線」など

関連記事

『臣女(おみおんな)』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

『臣女(おみおんな)』吉村 萬壱 徳間文庫 2016年9月15日初版 臣女 (徳間文庫) 夫

記事を読む

『あのこは貴族』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『あのこは貴族』山内 マリコ 集英社文庫 2019年5月25日第1刷 あのこは貴族 (集英社

記事を読む

『雨に殺せば』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『雨に殺せば』黒川 博行 文芸春秋 1985年6月15日第一刷 雨に殺せば (創元推理文庫)

記事を読む

『一億円のさようなら』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『一億円のさようなら』白石 一文 徳間書店 2018年7月31日初刷 一億円のさようなら (文

記事を読む

『1R 1分34秒』(町屋良平)_書評という名の読書感想文

『1R 1分34秒』町屋 良平 新潮社 2019年1月30日発行 第160回芥川賞受賞 1R

記事を読む

『あの日のあなた』(遠田潤子)_書評という名の読書感想文

『あの日のあなた』遠田 潤子 角川事務所 2017年5月18日第一刷 あの日のあなた (ハルキ

記事を読む

『愛なんて嘘』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『愛なんて嘘』白石 一文 新潮文庫 2017年9月1日発行 愛なんて嘘 (新潮文庫) 結婚や

記事を読む

『エヴリシング・フロウズ』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『エヴリシング・フロウズ』津村 記久子 文春文庫 2017年5月10日第一刷 エヴリシング・フ

記事を読む

『空海』(高村薫)_書評という名の読書感想文

『空海』高村 薫 新潮社 2015年9月30日発行 空海   空海は二人いた

記事を読む

『ある一日』(いしいしんじ)_書評という名の読書感想文

『ある一日』いしい しんじ 新潮文庫 2014年8月1日発行 ある一日  

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『許されようとは思いません』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『許されようとは思いません』芦沢 央 新潮文庫 2019年6月1日発

『百花』(川村元気)_書評という名の読書感想文

『百花』川村 元気 文藝春秋 2019年5月15日第1刷 百花

『義弟 (おとうと)』(永井するみ)_書評という名の読書感想文

『義弟 (おとうと)』永井 するみ 集英社文庫 2019年5月25日

『夜に啼く鳥は』(千早茜)_書評という名の読書感想文

『夜に啼く鳥は』千早 茜 角川文庫 2019年5月25日初版

『17歳のうた』(坂井希久子)_書評という名の読書感想文

『17歳のうた』坂井 希久子 文春文庫 2019年5月10日第1刷

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑