『私の恋人』(上田岳弘)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2019/02/15 『私の恋人』(上田岳弘), 上田岳弘, 作家別(あ行), 書評(わ行)

『私の恋人』上田 岳弘 新潮文庫 2018年2月1日発行

私の恋人 (新潮文庫)

一人目は恐るべき正確さで世界の未来図を洞窟の壁に刻んだクロマニョン人。二人目は大戦中、収容所で絶命したユダヤ人。いずれも理想の女性を胸に抱きつつ34年で終えた生を引き継いで、平成日本を生きる三人目の私、井上由祐は35歳を過ぎた今、美貌のキャロライン・ホプキンスに出会う。この女が愛おしい私の恋人なのだろうか。10万年の時空を超えて動き出す空前の恋物語。三島賞受賞作。(新潮文庫)

タスマニアは、彼らの人間の肖像にもかかわらず、完全に50年の間に、ヨーロッパからの移民によって繰り広げ絶滅の戦争で消滅するので流された。- G・H・ウェルズ

彼女の呟きをGoogleが翻訳したものらしかったが、うまく訳せているとは思えない。『宇宙戦争』 の第一章に出てくる一節なのだ、とキャロライン・ホプキンスに教えられて合点がいった。ヨーロッパ諸国の侵略によって、亜人類であるところのタスマニア人は滅ぼされた。作者はこの件を引き合いに出し、地球外から圧倒的に高度な文明を持つ侵略者が入植すれば、今度はこちらが滅ぼされることもあり得る、という物語を書いたのだ。

ともあれ、キャロライン・ホプキンスがタスマニア人について詳しく語った本旨は、彼女が反捕鯨運動に携わる動機を井上由祐に伝えることにあった。キャロライン・ホプキンスの所属する団体においては、鯨を人類の仲間だとみなしている。

要は、キャロライン・ホプキンスは今も 「行き止まりの人類の旅」 の途上にあり、反捕鯨活動は 「ヨウヘイ」 の遺志に添った最新のムーブメントなのだということらしい。キャロライン・ホプキンスの話のことごとくに、高橋陽平が絡んでくる。彼女が高橋陽平の考えを自分のことのように語るのを聞く度に、井上由祐の胸には苦い痛みが走るのだ。

足かけ10万年間妄想し続けた私の恋人の心に、高橋陽平がどっかと居座っている。そこから退かせることはもうできないのではないか、と悲観的な気持ちにもなる。(P73 ~ 76)

東京で働く平凡なサラリーマン・井上由祐が、類い稀なる美貌と教養の持ち主である、オーストラリア人のキャロライン・ホプキンスに恋をした。

それはそれで違いないのですが、但し、そんじょそこらにざらにある恋愛とはまるで違う話が書いてあります。

井上由祐は、実は 三人目の 「私」 で、彼には前世と前前世、既に二人の 「私」 を生きた経験 (または記憶) があります。

一人は、旧石器時代を生きるクロマニョン人の 「私」 として。二人目が、ナチス時代の強制収容所で息絶えたユダヤ人、ハインリヒ・ケプラーとして。そして現代の東京で働く日本人の 「私」- その 「私」 こそが、井上由祐だというのです。

10万年の時を超えて転生し、記憶を共有しながら、全人類の歴史を乗り継いできた結果、三人目の 「私」 として今いるのが由祐で、彼は先の二人と比べ如何にも凡庸な人物ではありますが、二人が激しく憧憬しながらも叶えられなかったあることを成そうとしています。

それは、三人にとっての運命の女性、たまらなく可愛い 「私の恋人」 を得る、ということでした。

やがて井上由祐は、キャロライン・ホプキンスと巡り合うこととなります。彼女と話すうち、次第次第に、井上由祐は思うようになります。彼女の来し方を詳しく知ると、それは確信に近いものになり、足かけ10万年間妄想し続けた人物は、彼女ではないのかと。キャロライン・ホプキンスこそが、探し求めた 「私の恋人」 ではないのだろうかと -

※確かに彼女は金曜日になると決まって由祐の部屋にやって来ます。それはまぎれもなく彼女の意思で、ベッドを共にもするのですが、存外彼女は素っ気がありません。彼女の心には未だ高橋陽平が居座っており、由祐は、なかなかに彼に取って代われずにいます。

※※芥川賞受賞作を読む前に一冊と思い、書店で見つけて買いました。上田岳弘という人はこんな小説を書くんだと、その想像力と創造力に唖然となりました。ただ単に読むのではなく、何が書いてあるのかをじっくり考える必要があります。特に、キャロライン・ホプキンスとは何者なのか、誰を、何を想定して描かれているかを考えなければなりません。

この本を読んでみてください係数  80/100

私の恋人 (新潮文庫)

◆上田 岳弘
1979年兵庫県明石市生まれ。
早稲田大学法学部卒業。

作品 「太陽・惑星」「異郷の友人」「塔と重力」「ニムロッド」など

関連記事

『木洩れ日に泳ぐ魚』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『木洩れ日に泳ぐ魚』恩田 陸 文春文庫 2010年11月10日第一刷 木洩れ日に泳ぐ魚 (文春

記事を読む

『事件』(大岡昇平)_書評という名の読書感想文

『事件』大岡 昇平 創元推理文庫 2017年11月24日初版 事件 (創元推理文庫) 196

記事を読む

『どろにやいと』(戌井昭人)_書評という名の読書感想文

『どろにやいと』戌井 昭人 講談社 2014年8月25日第一刷 どろにやいと  

記事を読む

『殺戮にいたる病』(我孫子武丸)_書評という名の読書感想文

『殺戮にいたる病』我孫子 武丸 講談社文庫 2013年10月13日第一刷 新装版 殺戮にいたる

記事を読む

『きれいなほうと呼ばれたい』(大石圭)_書評という名の読書感想文

『きれいなほうと呼ばれたい』大石 圭 徳間文庫 2015年6月15日初刷 きれいなほうと呼ばれ

記事を読む

『夏目家順路』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『夏目家順路』朝倉 かすみ 文春文庫 2013年4月10日第一刷 夏目家順路  

記事を読む

『悪いものが、来ませんように』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『悪いものが、来ませんように』芦沢 央 角川文庫 2016年8月25日発行 悪いものが、来ませ

記事を読む

『ホテル・アイリス』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『ホテル・アイリス』小川 洋子 幻冬舎文庫 1998年8月25日初版 ホテル・アイリス (幻冬

記事を読む

『私の家では何も起こらない』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『私の家では何も起こらない』恩田 陸 角川文庫 2016年11月25日初版 私の家では何も起こ

記事を読む

『工場』(小山田浩子)_書評という名の読書感想文

『工場』小山田 浩子 新潮文庫 2018年9月1日発行 工場 (新潮文庫) (帯に) 芥

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『泣いたらアカンで通天閣』(坂井希久子)_書評という名の読書感想文

『泣いたらアカンで通天閣』坂井 希久子 祥伝社文庫 2015年7月3

『ゼツメツ少年』(重松清)_書評という名の読書感想文

『ゼツメツ少年』重松 清 新潮文庫 2016年7月1日発行 ゼ

『昨夜のカレー、明日のパン』(木皿泉)_書評という名の読書感想文

『昨夜のカレー、明日のパン』木皿 泉 河出文庫 2016年2月20日

『あちらにいる鬼』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『あちらにいる鬼』井上 荒野 朝日新聞出版 2019年2月28日第一

『はんぷくするもの』(日上秀之)_書評という名の読書感想文

『はんぷくするもの』日上 秀之 河出書房新社 2018年11月20日

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑