『余命二億円』(周防柳)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/09
『余命二億円』(周防柳), 作家別(さ行), 周防柳, 書評(や行)
『余命二億円』周防 柳 角川文庫 2019年3月25日初版
工務店を営んでいた父親が不慮の交通事故で植物状態になった。次男の次也は父の延命治療を望んだが、長男の一也はそれに異を唱えた。父が死ねば二億円の遺産が兄弟に相続されるのだ。開業資金を急ぎ必要とする兄の説得に、次也は葛藤する。一也の妻も次也にすり寄ってきて悩みを打ち明けてきた。腎臓病を患う息子の治療費が足りないという。そんななか、父の容体が急変、追い詰められた次也は、思いがけない決断を下すが・・・・・・・。(角川文庫)
私の父が死んだのは、夜中の12時ちょうどに電話が入り、慌てて妻と二人で病院に駆け付けてから丸一日程が経った翌日の夜の10時頃のことでした。数えで77歳。長患いの末でのことでした。私が43歳の頃のことです。
自転車を漕ぐ左足にどうも力が入らない、と父が言ったのは4年前のことで、いつもなら家族の誰よりも早く起き出すはずの父が起きて来ず、様子を見に行くと、ベッドの上で痙攣したように全身を震わせていたのはその数日後のことでした。
なす術がなく救急車を呼び、その時病院で聞かされた診断結果は、軽度の脳出血ということでした。症状は案外早くに改善したのですが、入院中の検査の中で前立腺癌が見つかり、その治療のために入院期間は3ヵ月になりました。
以後定期的に通院を繰り返していたのは、偏に前立腺癌の進行を抑えるためのもので、脳出血の治療自体は早々に終えていたのでした。前立腺の癌についてはおそらく (老齢のため) 進行は遅く、手術はせずにとりあえず様子を見ましょうと言われました。
退院してから1年半。父は再び発作を起こし、また救急車で病院へ行くと、今度は脳の奥の方で血管が詰まったと言われました。一度目よりは明らかに重篤な症状で、私も妻もこれが最後と覚悟を決めました。
ところが、それから父は約2年4ヵ月ほどの間、生きながらえることになります。その間、二つの病院と一つの施設にお世話になり、最後は施設から最初に救急搬送された病院に再び救急車で戻り、そこで息を引き取ったのでした。
二度目の入院以降は一度も家に戻れずに、最後の1年ほどは口も利けず、目も開けません。鼻からの流動食でかろうじて命を繋ぎ、ただ眠るようにして生きていました。
妻は3日にあげず仕事終わりに父のもとを訪れ、洗ったタオルや寝間着を補充し、汚れた衣類を回収し、紙オムツの残量を確認してから夜遅くに家に帰って来ます。私が病院へ行くのはせいぜい1週間に1、2度で、土日の休み以外は行きたくても行ける時間に仕事が終わりません。
入院にかかる費用や施設の利用料の支払いは1日と15日、月に二度の請求があります。入院中に肺炎などになると大部屋から個室に移され、完全に菌が無くなるまでもといた大部屋には戻してもらえません。当然ですが、その分 (個室にいた分) 経費が嵩みます。
何度かそんなことがあり、最も長かった1ヶ月の間父が個室にいた時の病院への支払いの合計は、当時の私の、ちょうどひと月分の給料と同じ金額でした。
この物語に登場する父親とは違い、私の父にはそもそも当てにするような “財産” はなく、借金がないのがせめてもの救いで、預貯金は無いに等しく、受け取る僅かばかりの年金は、早々に病院や施設への支払いに消えてしまいます。
お恥ずかしい話ですが、葬儀は、思い余って妻の妹から当座必要な分の現金を借り、それで何とか事なきを得ました。時の私の蓄えはそれ程に底をついていたのです。それまでの人生で、そこまで困窮したことは後にも先にもありません。
私よりも、もっともっと苦しい状況にある方が大勢おられるのはわかります。それでも、私と妻にとってあの2年4ヶ月という日々は、重い荷物を四六時中背負わされているような、 まるで先の見えない辛く長いものでした。
「父を殺すか、生かすか」 という問題は、実際に世話をする者、とりわけ肉親にとっては、死に逝く本人を前にして、時として身を切るよりもなお切実なこととして、その選択を迫られることになります。
物語に登場する二人の息子は、その答えをどう出したのでしょう。どんな理屈で、「父の死」 を結論付けたのか。顧みて、それをあなたはどう評価するのでしょう?
◆この本を読んでみてください係数 80/100
◆周防 柳
1964年東京都生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。
作品 「虹」「八月の青い蝶」「逢坂の六人」「虹」「蘇我の娘の古事記」等
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