『憤死』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『憤死』(綿矢りさ), 作家別(わ行), 書評(は行), 綿矢りさ

『憤死』綿矢 りさ 河出文庫 2015年3月20日初版

「憤死」
この短編は、文字通り「憤死」とは如何なるものかについて、具体的な事例を挙げながら懇切丁寧に解説してくれる、いわば「正しい憤死」の説明書です。
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佳穂が自殺未遂をして入院していると噂に聞いた私は、興味本位で見舞いに行くことにします。まず、この導入部が重要です。私が佳穂を見舞うのは、心配したからではなくて、あくまでも〈興味本位〉からなのです。ここを見過ごしてはいけません。

幼い頃から大人に至るまで、佳穂は私にとって貴重な研究材料のような存在でした。小学生の頃から彼女はすでに身の程知らずで、現実を見ない子供でした。その度合いはブルドーザーばりの破壊力で、内心では、私はそれを彼女の長所だと考えています。

小学生の頃、私は佳穂のことがむしろ嫌いで、一緒にいるのは彼女から得られる利益のみが目的でした。佳穂は金持ちの子で、自慢しいで、子供のくせに選民意識が強く、容姿は魅力に乏しく、女版の太ったスネ夫のようでした。

普段の教室では、彼女は育ちの良い、おっとりした子を演じていますが、家に帰ると決まって妙な独演会を始めます。私の役割はただひたすら観客で、彼女のやりたい放題です。

おやつにショートケーキが出たとき、佳穂はなんの迷いもなく、最初にいちごにフォークをぶすりと突き刺し、一口で食べてしまいます。そして生クリームを塗ったスポンジだけになったケーキを、わずか三口ほどで平らげる様子に、私は軽いショックを受けます。

佳穂はいつもうさぎ当番を、笑顔で、しかし頑なに拒否し続けています。彼女が「ペットの世話は、お手伝いさんがやるものなんだよ」と思っていることを、私は知っていました。

同級生に責められて、仕方なくうさぎ小屋へ行ったときのことです。鳥が威嚇するような鋭い叫び声をあげたかと思うと、彼女は花壇の土を踏み散らし、餌入りのバケツを小屋の金網に思いきりぶつけます。両手を振り、地団駄を踏んで、体全部で金網を揺すります。

髪をふり乱して金網を揺すり、奇声をあげながらバケツを蹴飛ばす佳穂の姿は、怒りというよりほとんど発作じみた行動です。それを私は遠目で見て、やるじゃないと思い、ほれぼれとします。みんなは笑うだけで、彼女の非凡な怒りの才能を見逃しています。
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2人が再会するのは大学時代、留学先から佳穂が一時帰国したときのことです。久しぶりに出会った佳穂は、すっかり〈出来上がって〉いました。外国暮らしの影響でか、以前のように高慢さを私の前だけで発散するのではなく、常に解き放つ女性になっていたのです。

二十歳になった佳穂はひたすら自身の自慢話をするのですが、それはかつての無邪気なものから威圧的なものへと変質しています。様々な分野の自慢話を流暢に数珠つなぎにして披露する彼女は、まるで自慢の露天商のようです。

唯一おもしろかったのが、父親の仕事関係のパーティーで出会ったという、19歳年上の彼氏の自慢でした。これは見舞いで訪れた病院で聞くことになるのですが、この佳穂の命を懸けた恋が失敗に終わったことが、自殺未遂のそもそもの原因でした。

どうにも叶わない恋に思い詰めた挙句、佳穂は自宅のバルコニーから飛び降ります。幸いにも足の骨折だけで済んだのですが、彼女が飛び降りたのは、別れが悲しすぎたせいでも生きているのが嫌になったからでもありません。本当は、腹を立てた挙句のことだったのです。

「飛び降りでもしなきゃ、おさまりがつかなかった」と、佳穂は言います。彼女は怒っていたのです。怒った末に、自分の命に八つ当たりしたのです。小学生の頃と同じように癇癪を爆発させて、怒りにまかせて、軽々と自分の命に八つ当たりしたのでした。

佳穂の飛び降りこそ、憤死だと私は思います。大した理由はなくてもいい、ただひたすら純度の高いわがままと、神々しいほどの激しい怒りが巻き起こす死こそが憤死だと言えるのです。死は、腹立ちのおまけにすぎません。

佳穂の死を恐れない、むしろ生きるか死ぬかなんてどうでもよいほどの豪勢な命の使いっぷりは、とても貧乏性の私には真似できません。私はもう、ほとんど本気で、佳穂を尊敬し始めています。
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綿矢りさが佳穂を観察する視線に、容赦はありません。佳穂の一挙手一投足に対して細心の注意を払い、延々と続く自慢話に耳を傾けるふりをしながら、じつは本人さえ気付いていない佳穂自身の本質を暴いてみせます。

その正体の暴き方が、じつに小気味いい。余計な注釈や事前の断りなど一切ないまま、スパッと言い切る姿勢が鮮やかで、何やら勇ましくも思えるのです。

『憤死』には表題作の他に、掌編の「おとな」と2つの短編「トイレの懺悔室」「人生ゲーム」が収められています。いずれも、ちょっとゾクッとする怖いお話です。特に「トイレの懺悔室」は怪談の一歩手前、ゾワゾワすること請負いです。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆綿矢 りさ
1984年京都府京都市左京区生まれ。
早稲田大学教育学部国語国文科卒業。

作品 「インストール」「蹴りたい背中」「勝手にふるえてろ」「夢を与える」「かわいそうだね?」「ひらいて」「しょうがの味は熱い」「大地のゲーム」など

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