『ヒポクラテスの誓い』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『ヒポクラテスの誓い』中山 七里 祥伝社文庫 2016年6月20日初版第一刷


ヒポクラテスの誓い (祥伝社文庫)

浦和医大・法医学教室に「試用期間」として入った研修医の栂野真琴。彼女を出迎えたのは偏屈者の法医学の権威、光崎藤次郎教授と〈死体好き〉の外国人准教授・キャシーだった。凍死や事故死など、一見、事件性のない遺体を強引に解剖する光崎。「既往症のある遺体が出たら教えろ」と実は刑事に指示していたがその真意とは? 死者の声なき声を聞く、迫真の法医学ミステリー! (祥伝社文庫)

舞台は埼玉県にある浦和医大の法医学教室。臨床医とは別に、ここでの医師とは既に亡くなったあとの人間、つまりは死体を専門に扱い、当人が命を落としたそもそもの原因、人体を切り裂いてこそ詳らかになる真の理由を見定めようとする解剖医を言います。

医師免許を取得したばかりの新米研修医・栂野真琴は、臨床研修制度による実習のため、一時期やむなく法医学教室に身を置くことになります。初めて真琴が教室を訪れた時、そこにはキャシー・ペンドルトンと名乗る、いかにも意志の強そうな外国人女性がいます。

彼女は法医学教室の准教授だと自己紹介します。紅毛碧眼でありながら日本語が至極流暢、お世辞にも美人とは言えない太い眉と鰓の張った頬の持ち主で、名前と指先の綺麗さだけが女性らしいと言えば言える彼女は、何よりはっきりとものを言います。

「あなた、死体はお好き? 」- 真琴はそう訊かれて返事に窮します。挨拶も交わさないうちの、キャシーの第一問がこれ。「死体が好きでもないのに法医学教室に来たのですか? あなた解剖医がどんな扱いを受けているか知っているのですか」

真琴は口に出さず思います。そんなことは言われなくても知っている。臨床医に比べ解剖医の収入は低い。民間と大学でも給料に結構な差が・・・、いや、そういうことではなく、真琴は上長の津久場教授に言われて単に単位取得のため仕方なく来ただけのことなのです。

彼女の志望は内科で、同じ医師であっても真琴とキャシーではまるで考え方や感じ方に隔たりがあります。最初真琴は医師として死体を対象にすることに異論を唱えます。死体よりも生体、つまりは患者の肉体に巣食う病気を根絶し、健康体に戻すことこそ医師の使命だと教えられたと主張します。

いくら医者が手を尽くしたところで死んだ患者が甦ることはない。学術的に不可欠なのは分かるが、それは医者でなくてはできない仕事なんでしょうかと詰め寄ります。

真琴の言い分は、医者の本分は患者を苦しみから解放してやることに尽きるのではないかということ。だから、生きている患者と死体を同列に扱うのには、いささかなりとも抵抗があると言いたいのです。

ここで真琴がキャシーに指し示されたのが、所謂〈ヒポクラテスの誓い〉と呼ばれる誓文だったのですが、この時真琴はまだ如何ほどにもこの誓いの意味を理解してはいません。熱の籠ったキャシーの口調に少し引いては、依然として納得できないでいます。

そこへ登場するのが浦和医大法医学教室の主と称される光崎藤次郎教授その人で、表向きは真琴こそがそうなのですが、実はこの光崎教授こそ真の主人公と呼ぶに相応しい人物で、まさに快刀乱麻を断つが如くにバッサバッサと事の真相を暴いてみせていきます。

光崎教授の隠密にしてキャシーや真琴と一緒になってせっせと目的の死体を持ち込んでは解剖の手助けをする埼玉県警捜査一課の古手川という刑事がいます。さて、これらの布陣をして取り組むことになる案件はというと、

(1) 浦和区皇山町の河川敷で発見された峰岸透の凍死死体。
(2) 大宮体育館付近で車に撥ねられて死亡した栗田益美の事故死体。
(3) ボートレース平和島でレース中に発生した真山選手の激突事故による死体。
(4) 浦和医大に緊急搬送され、マイコプラズマ感染による肺炎で死亡した柏木裕子の死体。
(5) 腹膜炎の再発により再入院を余儀なくされた10歳の少女、倉本紗雪の病死体。

当初どこからみても疑いのない、凍死、あるいは事故による死亡、または病死と、わざわざ解剖の対象にしてまで調べる必要の全くないような案件なのですが、どういう理由でか、光崎教授はどんな手を使ってでも解剖に回せと古手川らに命じます。

命じられる側の3人には、光崎教授の意図がまるで分かりません。しかし、彼が解剖した暁には従来の所見とは違う新たな事実が決まって判明するに及んで、次第に、あるいは改めて3人は解剖することの意義を思い知ることになります。

特に真琴の場合がそうで、最初腰掛け程度に考えていた法医学教室での研修であったはずの、あの真琴が、今しばらくは光崎教授の許に留まりたいなどと言い出すまでになっています。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


ヒポクラテスの誓い (祥伝社文庫)

 

◆中山 七里
1961年岐阜県生まれ。
花園大学文学部国文科卒業。

作品 「切り裂きジャックの告白」「贖罪の奏鳴曲」「追憶の夜想曲」「七色の毒」「さよならドビュッシー」「いつまでもショパン」「連続殺人鬼カエル男」他多数

関連記事

『ファーストラヴ』(島本理生)_彼女はなぜ、そうしなければならなかったのか。

『ファーストラヴ』島本 理生 文春文庫 2020年2月10日第1刷 ファーストラヴ (文春文

記事を読む

『盤上に散る』(塩田武士)_書評という名の読書感想文 

『盤上に散る』塩田 武士 講談社文庫 2019年1月16日第一刷 盤上に散る (講談社文庫)

記事を読む

『左手首』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『左手首』黒川 博行 新潮社 2002年3月15日発行 左手首 (新潮文庫)  

記事を読む

『逃亡刑事』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『逃亡刑事』中山 七里 PHP文芸文庫 2020年7月2日第1刷 逃亡刑事 単独で麻薬

記事を読む

『長いお別れ』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『長いお別れ』中島 京子 文春文庫 2018年3月10日第一刷 長いお別れ (文春文庫)

記事を読む

『永い言い訳』(西川美和)_書評という名の読書感想文

『永い言い訳』西川 美和 文芸春秋 2015年2月25日第一刷 永い言い訳  

記事を読む

『星の子』(今村夏子)_書評という名の読書感想文

『星の子』今村 夏子 朝日新聞出版 2017年6月30日第一刷 星の子 林ちひろは中学3年生

記事を読む

『火花』(又吉直樹)_書評という名の読書感想文

『火花』又吉 直樹 文芸春秋 2015年3月15日第一刷 火花   又吉

記事を読む

『去年の冬、きみと別れ』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『去年の冬、きみと別れ』中村 文則 幻冬舎文庫 2016年4月25日初版 去年の冬、きみと別れ

記事を読む

『ボラード病』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

『ボラード病』吉村 萬壱 文春文庫 2017年2月10日第一刷 ボラード病 (文春文庫) B

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『逃亡刑事』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『逃亡刑事』中山 七里 PHP文芸文庫 2020年7月2日第1刷

『太陽の塔』(森見登美彦)_書評という名の読書感想文

『太陽の塔』森見 登美彦 新潮文庫 2018年6月5日27刷

『ここは、おしまいの地』(こだま)_書評という名の読書感想文

『ここは、おしまいの地』こだま 講談社文庫 2020年6月11日第1

『カウントダウン』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『カウントダウン』真梨 幸子 宝島社文庫 2020年6月18日第1刷

『悪の血』(草凪優)_書評という名の読書感想文

『悪の血』草凪 優 祥伝社文庫 2020年4月20日初版 悪の

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑