『バラカ』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文
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『バラカ』(桐野夏生), 作家別(か行), 書評(は行), 桐野夏生
『バラカ』桐野 夏生 集英社 2016年2月29日第一刷
アラブ首長国連邦最大の都市・ドバイにある広大なショッピングモール。ゴールドスーク(市場)と呼ばれる一角では、日常的に人の子供が売り買いされており、そこにいるすべての子供は「バラカ」と呼ばれています。
バラカとは、アラビア語で「神の恩寵」という意味。木下沙羅が2万ドルで買った少女も当然のこと「バラカ」で、元をたどれば日本生まれの、日系ブラジル人同士の夫婦の子供です。父は佐藤隆司パウロ。母はロザ。バラカは、元の名前を「ミカ」と言います。
震災のため原発4基がすべて爆発した! 警戒区域で発見された一人の少女「バラカ」。ありえたかも知れない日本で、世界で蠢く男と女、その愛と憎悪。想像を遙かに超えるスケールで描かれるノンストップ・ダーク・ロマン! (「BOOK」データベースより)
プロローグとエピローグの間、物語は「大震災前」「大震災」「大震災八年後」と三部で構成されています。とりわけ強調されているのが、震災後の混乱と恐怖。汚染が続く東京はかつての繁栄が嘘のように荒み、首都は大阪へと移っています。
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豊田吾朗は、62歳。警戒区域での犬猫保護ボランティアに志願した中の一人。豊田がいるのは群馬県T市郊外。目当ての犬を追う内に、彼はとある農家の納屋の入り口にやって来ます。そこには4匹の犬がおり、奥の暗がりに、小さな子供がぽつんと座っています。
汚れているけれども、あどけない表情で豊田を見ています。花柄のチュニックを着ているところを見ると、女の子らしい。スパッツを穿いているが、お尻の辺りが膨れているのはおむつをしているのだろう。「ママはどうしたの。パパは? 」
豊田の問いかけに、子供は何も答えません。ペットボトルの水を与え、汗でべとつく髪を撫でると、子供がいきなり喋ります。
「ばらか」- 豊田は仰天した。
「今、何て言ったの。ばらかって言わなかった? 」
「ばらか」- 女の子はもう一度はっきり言った。(後略)
これが(プロローグで語られる)豊田とバラカの出会いのシーンです。警察は手一杯、避難所は幼児一人では預からない、児童養護施設はどこも満杯、結局女児は豊田が連れ帰ることになります。豊田の命名でバラカは「薔薇香」となり、2人の暮らしが始まります。
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木下沙羅、田島優子、川島雄祐は、大学時代の友人。沙羅は大手出版社、優子はテレビ局、川島は大手広告代理店と、それぞれに第一志望を叶えて就職を果たしています。3人の関係を言うとなるとこれがなかなかに複雑で、とにもかくにも彼らは42歳になっています。
パウロとロザ。日本人を祖先にして、日本人の顔と体を持ちながら、日系ブラジル人として日本で生きる2人の生きにくさは、どこにも自分の居場所が見付けられないことです。パウロは酒と暴力に溺れ、一人娘を置き去りに、ロザは教会へと通い詰めます。
ロザが通っているのは、「聖霊の声」教会。そこにいるヨシザキ牧師に入れ揚げています。彼は、信者に絶大な人気があります。ロザには「お前の中に悪魔がいるのが見える」と言い、パウロには「失敗のサイクルを絶て」と諭します。
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震災後に登場するのは、若杉健太と康太の兄弟、村上サクラとその弟など、実際に被災者となった面々です。すべてを失い、誰の助けも得られぬ「棄民」となった被災者たちは、「震災履歴」を語って自分を紹介します。
彼らの思いはそれぞれに異なり、バラカには敵か味方かの区別が付きません。そのときバラカは、(ただ安寧に生きたいと願う気持ちとは反対に)いつしか被災の悲劇の象徴となり、人々の希望を担う存在に祭り上げられています。
バラカをめぐる様々な勢力の思惑や陰謀が交錯し、バラカは次から次へと「人手に渡って」行きます。いっとき信用もするのですが結局最後は裏切られ、また深い絶望へと舞い戻ります。
(桐野夏生曰く)バラカという名は、スペインの詩人、ガルシア・ロルカの移動劇団「バラッカ」からとったもの。バラックと同じで、居場所がないという意味。バラッカに「神の恩寵」を意味するアラビア語を重ねて「バラカ」としたそうです。
母に捨てられ、市場に売られもした後、バラカは再び日本へ戻ってきます。彼女を買ったのは木下沙羅ですが、バラカは沙羅には懐きません。田島優子が預かったまではよかったのですが、川島雄祐に見つかったのがすべての災いの始まりです。川島はまるで昔の川島ではなく、人の仮面を被った悪魔に変身しています。
大勢の大人達の勝手がってな思惑と欲望になすすべもなく翻弄されるバラカではありますが、一方で、彼女の運命をわが事のように思い、命を賭してバラカを守ろうする人がいます。彼女は幼い頃甲状腺ガンを発病し、甲状腺と副甲状腺を全摘しています。それがために、首にはネックレス状の傷が鮮やかなまでに残っています。
この本を読んでみてください係数 90/100
◆桐野 夏生
1951年石川県金沢市生まれ。
成蹊大学法学部卒業。
作品 「顔に降りかかる雨」「OUT」「グロテスク」「錆びる心」「ジオラマ」「東京島」「IN」「ナニカアル」「だから荒野」「夜また夜の深い夜」「奴隷小説」他多数
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