『入らずの森』(宇佐美まこと)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/07
『入らずの森』(宇佐美まこと), 作家別(あ行), 宇佐美まこと, 書評(あ行)
『入らずの森』宇佐美 まこと 祥伝社文庫 2016年12月31日第6刷

陰惨な歴史が残る四国山中の集落・尾峨に赴任した中学教師・金沢には、競技中の事故で陸上を諦めた疵があった。彼の教え子になった金髪の転校生・杏奈には、田舎を嫌う根深い鬱屈が。一方、疎外感に苛まれるIターン就農者・松岡は、そんな杏奈を苦々しく見ていた。一見、無関係な三人。だが、彼らが平家の落人伝説も残る不入森で交錯した時、地の底で何かが蠢き始める・・・・・・・。(祥伝社文庫)
プロローグ (全文)
それは常闇から浮かび上がった。
茫洋たる海の中をたゆたうように空ろな仮眠はとぎれ、つながり、また続く。
小さな萌しがそれを揺り動かす。
まぼろしの世界の中のたったひとつの生々しいもの - 飢餓。
それは飢えていた。
森の底 - 土の中。
湿潤で寒々しいその場所で、それははっきりと覚醒する。
岸を打つ波のような原初のリズムにしばらく身をまかせた後、それは動きだす。
模糊とした形象のまま森の底を這い進む。
霧が屍衣のようにそれを覆っている。
やがて明るく開けた場所に到達する。
振動が伝わってきた。何かが近寄ってくる。生体が生み出す一定のリズムを感じ取って、それは頭をもたげた。
時がきたのだ。それは身を凝らせる。
何かがすぐそばにやって来た。
明るい林の中で少女は立ち止まった。金色に染めた髪の毛に木洩れ日が降り注ぐ。
何十本もの榾木がお互いに寄りかかるように組まれたその間。
何かが腐乱する直前の、甘く爛れた匂いが漂っている。
少女は時折腰をかがめては、そこに生えたシイタケを摘み取って、手元のカゴに入れている。ひそかに寄せた眉根、きっと固く結んだ口元が、彼女の不機嫌さを表している。それでも機械的に指がシイタケをもぎ取る。
乱暴にシイタケをもぎ取ったその反動で、少女の指が榾木の表面に貼り付いていた物体に触れた。固まった皮膚のような肌色をしたその破片は、ぱりんと砕けて下に落ちた。
記憶の波が押し寄せる。
甘く温かく腐乱した餌の匂い・・・・・・・それにまとわりついて離れることのない匂い。
体の内奥で、滞っていたものが煮えたぎり、流れ出す。
少女はふっと顔を上げた。
辺りの様子を窺っているようだ。鼻をひくつかせる。
「何、この匂い? 」
少女はますます不機嫌な表情になる。
それは再びひりつくような飢えを感じる。
「杏奈! 」
榾木の連なりの向こうで老婆が身を起こした。
「何をぐずぐずしとんじゃ! 」
少女はカゴを持ち直すと歩きだした。
甘いような酸いような、死体を思わせる腐臭がふわりと立ち昇る。
それきり森の中は静まり返った。
第一章 幻夢
第二章 不入森 (いらずのもり)
第三章 骸花 (むくろばな)
第四章 曼荼羅 (まんだら)
第五章 斉唱
エピローグ
新米教師の圭介。金髪の少女・杏奈。そしてIターン就農者の松岡。三人はそれぞれに縁があり、たまたま尾峨にやって来たのでした。それだけならよかったものの、三人はまたそれぞれに、心に深い傷を負っています。気付かぬうちに、人を強く怨んでいます。
そのことが、やがて 〈それ〉 を目覚めさせることになります。〈それ〉 は生きてはいますが、人ではありません。意思があるかないかもわかりません。
この本を読んでみてください係数 80/100

◆宇佐美 まこと
1957年愛媛県松山市生まれ。
松山商科大学人文学部卒業。
作品 「るんびにの子供」「愚者の毒」「虹色の童話」「角の生えた帽子」「死はすぐそこの影の中」「熟れた月」「ボニン浄土」他多数
関連記事
-
-
『Iの悲劇』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文
『Iの悲劇』米澤 穂信 文藝春秋 2019年9月25日第1刷 序章 Iの悲劇
-
-
『八月の銀の雪』(伊与原新)_書評という名の読書感想文
『八月の銀の雪』伊与原 新 新潮文庫 2023年6月1日発行 「お祈りメール」 ば
-
-
『骨を彩る』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文
『骨を彩る』彩瀬 まる 幻冬舎文庫 2017年2月10日初版 十年前に妻を失うも、最近心揺れる女性
-
-
『秋山善吉工務店』(中山七里)_書評という名の読書感想文
『秋山善吉工務店』中山 七里 光文社文庫 2019年8月20日初版 父・秋山史親を
-
-
『おめでとう』(川上弘美)_書評という名の読書感想文
『おめでとう』川上 弘美 新潮文庫 2003年7月1日発行 いつか別れる私たちのこの
-
-
『アンダーリポート/ブルー』(佐藤正午)_書評という名の読書感想文
『アンダーリポート/ブルー』佐藤 正午 小学館文庫 2015年9月13日初版 15年前、ある地方
-
-
『エンド・オブ・ライフ』(佐々涼子)_書評という名の読書感想文
『エンド・オブ・ライフ』佐々 涼子 集英社文庫 2024年4月25日 第1刷 「理想の死」
-
-
『ことり』(小川洋子)_書評という名の読書感想文
『ことり』小川 洋子 朝日文庫 2016年1月30日第一刷 人間の言葉は話せないけれど、小鳥の
-
-
『明るい夜に出かけて』(佐藤多佳子)_書評という名の読書感想文
『明るい夜に出かけて』佐藤 多佳子 新潮文庫 2019年5月1日発行 富山は、ある
-
-
『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(尾形真理子)_書評という名の読書感想文
『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』尾形 真理子 幻冬舎文庫 2014年2月10日初版 年
















