『イノセント・デイズ』(早見和真)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2018/03/17 『イノセント・デイズ』(早見和真), 作家別(は行), 早見和真, 書評(あ行)

『イノセント・デイズ』早見 和真 新潮文庫 2017年3月1日発行


イノセント・デイズ (新潮文庫)

田中幸乃、30歳。元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪で、彼女は死刑を宣告された。凶行の背景に何があったのか。産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人、刑務官ら彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がる世論の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。幼なじみの弁護士たちが再審を求めて奔走するが、彼女は・・・・筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長編ミステリー。(新潮文庫)

ねぇ、慎ちゃん。お願いだ。せめて手紙だけでも書いてほしい。

自分こそ彼女の正当な理解者だと誇るように、翔は深々と頭を下げた。その姿を慎一は妙に冷静に見下ろした。翔の言葉に感じることはほとんどない。むしろ先ほど抱いた寒々とした気持ちは膨らんでいく一方だ。

自分と翔とでは立っている場所がまったく違う。一緒に山頂を目指していると信じていた仲間が、実はまったく違う山にいた。そう知らされたかのように、慎一は孤独な気持ちを抱かずにはいられなかった。

翔の言葉が勇ましければ勇ましいほど、慎一はしらけた気持ちになります。死刑という前提を当然のように受け入れた人間に話せることは何もない、と慎一は思います。否、彼には、何があってもそれを口にできないある訳があります。

確たる理由はないのですが、慎一には幸乃がやったとはどうしても思えません。それよりも、何より彼には彼だけが知っている秘密があります。虫さえ殺せなかったかつての幸乃が、あんな凄惨な事件を起こすはずがない。彼女は、たぶんやってはいない、と慎一は思っています。(第七章「証拠の信頼性は極めて高く-」より)

幸乃は拘置所でも自分の人生を一切弁解しようとしません。無実を叫ぶこともなければ、錯乱して暴れることもありません。何よりも朝の見回り時、刑の執行を告げられないのを安堵する他の囚人とは違い、むしろ幸乃は、それに対して失望するかの表情を見せます。

静かに運命を受け入れ、自分と向き合いながら日々を過ごすというのとも違う。そうした者たちに共通して見られる罪に対する後悔や、被害者に向けての反省の言葉、宗教への傾倒といったものが幸乃にはない。

誰かを恨むことも、不運を嘆くこともなく、手紙を書くことも、弁護士と面会することも望まない。再審を請求せず、恩赦を求めようともしなかった。彼女はただ裁かれることを望み、その日が来るのをひたすら待ち続けているのだ。

田中幸乃の死刑執行命令が伝えられたのは、東京を十数年ぶりという巨大台風が襲った9月12日のことです。-「すまないが、君にも連行を頼みたい」その日、女性刑務官の佐渡山瞳は、直属の看守部長から思いもしない命令を受けます。

執行日。9月15日の木曜日。瞳は、あらぬことを考えています。幸乃に対して、瞳は、彼女を救う方法はないのだろうかと考えています。自分にしか救えない方法を私は知っているのではないだろうかと、そんなことを思わずにいられない気持ちになっています。

9時を少し回ったとき、瞳は2人の男性刑務官を伴い、女子の未決囚と幾人かの確定死刑囚がいる南舎房に足を踏み入れます。幸乃はなぜか右手に封筒を持ち、畳の上に正座しています。連行するときは取り乱す者がほとんどなのですが、彼女にそんな気配は微塵もありません。

幸乃はまっすぐ前を見つめています。しかし陽の差さない廊下を無言で歩き、目指す刑場の扉が正面に見えてきたときです。その呼吸がかすかに乱れ始めたことを、瞳は敏感に感じ取ります。

息苦しそうにもだえる幸乃の様子は、あきらかにただ事ではなく、近くにいた看守にすぐに医師を呼ぶように伝え、瞳は幸乃の名前を連呼します。幸乃は懸命に首を横に振り、なんとか口を開こうとするのですが、その内目をつぶり、寝息を立て始めます。

彼女は気を失っているのでした。その寝顔はあまりに無防備で、年端のいかない少女のようで、瞳は動揺するのも忘れ、幸乃のか細い身体を抱きしめます。瞳の腕の中で、幸乃は幸せそうに眠っています。

「もう大丈夫なの? 」医務室から戻った幸乃に、瞳が声をかけます。「はい。少し寝ていれば治ります。亡くなった母の遺伝なんです。(中略)根性がないから気を失うんだって、よく叱られてましたけど」照れくさそうに、幸乃はそんなことを言います。

このとき瞳の頭に、ある手紙の一文が浮かび上がります。そこには『必ず君をそこから出します』と書いてあります。あなた、本当はやってないの? - この期に及んで、瞳は今更言っても詮無いことを幸乃に向かって問い質そうとします。

※イノセント【innocent】には、純白な、純潔な、あるいは、無邪気な、という意味があります。そしてさらには、無実な、という意味があります。

 

この本を読んでみてください係数 80/100


イノセント・デイズ (新潮文庫)

◆早見 和真
1977年神奈川県横浜市生まれ。
國學院大學文学部中退。

作品 「ひゃくはち」「スリーピング・ブッダ」「東京ドーン」「6 シックス」「ぼくたちの家族」他

関連記事

『私が殺した少女』(原尞)_書評という名の読書感想文

『私が殺した少女』 原 尞 早川書房 1989年10月15日初版 私が殺した少女 (ハヤカワ文

記事を読む

『いちご同盟』(三田誠広)_書評という名の読書感想文

『いちご同盟』三田 誠広 集英社文庫 1991年10月25日第一刷 いちご同盟 (集英社文庫)

記事を読む

『一億円のさようなら』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『一億円のさようなら』白石 一文 徳間書店 2018年7月31日初刷 一億円のさようなら (文芸書

記事を読む

『おるすばん』(最東対地)_書評という名の読書感想文

『おるすばん』最東 対地 角川ホラー文庫 2019年9月25日初版 おるすばん (角川ホラー

記事を読む

『成功者K』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『成功者K』羽田 圭介 河出文庫 2022年4月20日初版 『人は誰しも、成功者にな

記事を読む

『朝が来るまでそばにいる』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文

『朝が来るまでそばにいる』彩瀬 まる 新潮文庫 2019年9月1日発行 朝が来るまでそばにい

記事を読む

『Iの悲劇』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文

『Iの悲劇』米澤 穂信 文藝春秋 2019年9月25日第1刷 Iの悲劇 序章 Iの悲劇

記事を読む

『ある日 失わずにすむもの』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文

『ある日 失わずにすむもの』乙川 優三郎 徳間文庫 2021年12月15日初刷 ある日 失わ

記事を読む

『インストール』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文

『インストール』綿矢 りさ 河出書房新社 2001年11月20日初版 インストール &n

記事を読む

『アカガミ』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『アカガミ』窪 美澄 河出文庫 2018年10月20日初版 アカガミ (河出文庫) 渋谷で出

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

『姑の遺品整理は、迷惑です』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『姑の遺品整理は、迷惑です』垣谷 美雨 双葉文庫 2022年4月17

『夕映え天使』(浅田次郎)_書評という名の読書感想文

『夕映え天使』浅田 次郎 新潮文庫 2021年12月25日20刷

『向日葵の咲かない夏』(道尾秀介)_書評という名の読書感想文

『向日葵の咲かない夏』道尾 秀介 新潮文庫 2019年4月30日59

『ミシンと金魚』(永井みみ)_書評という名の読書感想文

『ミシンと金魚』永井 みみ 集英社 2022年4月6日第4刷発行

『夏の陰』(岩井圭也)_書評という名の読書感想文

『夏の陰』岩井 圭也 角川文庫 2022年4月25日初版

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑