『ヘヴン』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2016/09/04 『ヘヴン』(川上未映子), 作家別(か行), 川上未映子, 書評(は行)

『ヘヴン』川上 未映子 講談社文庫 2012年5月15日第一刷


ヘヴン (講談社文庫)

 

「わたしたちは仲間です」- 十四歳のある日、同級生からの苛めに耐える「僕」は、差出人不明の手紙を受け取る。苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。(講談社文庫解説より)

平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞作品です。

発売前からえらく話題になった小説だったようですが、残念ながら、私は当時のことをほとんど知りません。それより何より川上未映子という人をよく知りません。何となく名前だけは知っていたくらいで、初めてしっかり読みました。

いわゆる「いじめ」を題材にした小説なら私もそれなりに読んでいますが、これはちょっと別格です。読んだらすぐに分かります。いじめの実態を描きながら、実はいじめを語っているのではないのです。

たまたま朝日新聞のインタビュー記事を見つけました。そこで川上未映子はこんなことを言っています。

「いじめがテーマというより、ある出来事を通じて価値観を検証したかった。犯罪だと客観的に悪とされるが、いじめなら善悪の根源を問いかけられるのではないか、と。毎日、価値判断を下している倫理に働きかけるテーマを選んだんです」

いじめなら善悪の根源を問いかけられる - とは具体的にどういったことなのでしょうか。

この小説には2人の「いじめられる」人物が登場します。一人は、主人公の「僕」です。「僕」は14歳で中学2年生。斜視で、学校ではそれはそれはひどいいじめに遭っています。

いじめる側の中心は二ノ宮。彼はクラスの中心的存在で、スポーツ万能、成績優秀、端正な顔つきで女子にも人気があり、教師でさえ一目置いているような存在です。「僕」と二ノ宮は同じ小学校の出身ですが、いつの間にかいじめる側といじめられる側になっています。

いじめに遭っているもう一人の人物が、同じクラスの「コジマ」。ある日、「僕」は〈わたしたちは仲間です〉という手紙をもらいます。その送り主が「コジマ」で、2人は教室での密やかな文通を通して少しずつ心を通わせていきます。

「コジマ」は、汚い身なりで、貧乏だと思われているせいでいじめられています。しかし、彼女が汚い身なりをしているのは、母親と離婚して今も苦しい生活をしている父親のことを忘れないでいるための「しるし」だったのです。

「コジマ」は、〈明確な意思〉を持った上でいじめを受け入れています。いじめを受け入れることには意味があり、耐えた先には、耐えなければたどり着けないような場所やできごとが待っている。そう信じて、甘んじていじめを受け入れているのです。

「コジマ」は、「僕」にその道理を伝えます。彼女は「僕」に対して「わたしは、君の目がとてもすき」だと言います。斜視こそが「僕」の大事な「しるし」であり、「君そのものなんだ」と囁きます。その揺るぎのない、信仰にも似た「コジマ」の囁きに、「僕」はただ圧倒されるばかりです。

この「コジマ」の心情に対して、全く違う考え方を示すのが百瀬というクラスメイトです。百瀬は二ノ宮の取り巻きではないのですが、「僕」がいじめに遭う場面には必ず居合わせて、やや遠巻きに事態を静観しているような人物です。

「僕」が百瀬に詰め寄る場面があります。「僕」は、なぜ何もしていない人間をいじめるのかと百瀬に問うわけですが、そもそも彼は自分が加担しているいじめには何の意味も感じてはいないのです。「僕」には、百瀬の言うことがまるで理解できません。

「すべてはたまたまでしかないのだ」と言い、「弱いやつらは本当のことには耐えられない、苦しみとか悲しみとかに、それこそ人生なんてものにそもそも意味がないなんてそんなあたりまえのことにも耐えられないのだ」と言います。

「権利があるから、人ってなにかをするわけじゃないだろ。したいからするんだよ」という言葉に続けて、「僕」が最も気にしている斜視について、それがいじめを受けている決定的な要因ではないと言います。たまたま「僕」がそこにいて、たまたまいじめる側のムードと一致しただけのことで、斜視であるかないかなどは何程のことでもないと言うのです。

「コジマ」の揺るぎない信念と希望、百瀬の冷徹極まりない論理 - そのどちらにも共感できないでいる「僕」。違和感の正体こそ分からないものの、おそらく、与えられるだけの倫理や観念といったものだけではどうにもならないということを「僕」は薄々感じ始めています。
・・・・・・・・・・
何より見事に感じたのは、著者である川上未映子と物語の当事者たちとの距離感です。誰に与することなく、等しい間隔で、あくまで平衡であろうとする姿勢が全編を貫いています。

その上に立って、読み手である私たちに向かって「何が善で、何が悪なのか。誰が本当に強くて、誰が弱い人間なのか」という、実に難解な問いかけがなされるのですが、そこにはもはや幼い中学生の姿はありません。彼らはおしなべて、思弁豊かに倫理を語る、若き哲学者へと姿を変えています。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


ヘヴン (講談社文庫)

◆川上 未映子
1976年大阪府大阪市生まれ。
日本大学通信教育部文理学部哲学科在学中。

作品 「わたくし率 イン 歯-、または世界」「乳と卵」「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」「すべて真夜中の恋人たち」他

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