『我らが少女A (上下)』 (高村薫)_書評という名の読書感想文

『我らが少女A (上下)』高村 薫 毎日文庫 2025年5月10日 発行

12年前Xmasに起きた野川の老女殺し〉 記憶の迷宮に消えた、一人の少女がいた

27歳、風俗店アルバイトの上田朱美が殺害された。彼女は12年前、クリスマスの朝に起きた殺人事件に関わっていたという。潤んだ昏い目。大人でも子どもでもない異形の生物当時の捜査責任者・合田雄一郎の脳裏に、うつくしい少女Aの姿が甦る。自分たちは一体何を見落としたのか。合田、悔恨の未解決事件が再び動き出す! (朝日文庫)

およそ6年を経ての文庫化です。実は私は6年前の単行本刊行時に一度読んではいるのですが (2019年8月14日にブログで紹介しています)、先日書店で文庫が出たのを知ると、今一度読んでみたいと思う気持ちに抗いがたく、ついつい手に取ってしまいました。

ファンの方は百も承知でしょうが、著者が書く小説の緻密さ・克明さは他を圧しています。人物はもとより、例えば事件現場に残された、いずれ重要な物証になるやもしれぬ “がらくた“ 一つひとつの描写においても一切手を抜きません。何ひとつ見逃すまいとするその圧倒的な筆力に只々脱帽するしかありません。

私が好きな高村薫の小説ベスト3は 『レディ・ジョーカー』 『照柿』、そして 『冷血』 です。何より好きなのは、いずれの小説にも登場する刑事、合田雄一郎のキャラクターに他なりません。物語の主軸となって活躍する刑事は数多いますが、合田以上に “含み“ を持った刑事を未だ私は知りません。

合田雄一郎は現在、57歳。今は現場を離れ、警察大学校の教授としての日々を送っています。そんな合田に、ある日思わぬ情報が舞い込みます。12年前、彼が指揮を執り今も未解決のままの事件が、ひょんなことから再び動き出したのでした。

発刊当時の単行本の帯には、こんな惹句が載っています。

一人の少女がいた -  動き出す時間が世界の姿を変えていく 人びとの記憶の片々が織りなす物語の結晶 シリーズ7年ぶりの最新作。合田雄一郎、痛恨の未解決事件

あらためて 「あらすじ」 を紹介しましょう。

 2017年3月10日、上池袋のアパートで、一人の女が同棲中の男に殴殺された。
 女の名は、上田朱美、27歳。女優を目指していたものの芽が出ず、キャバクラ勤めなどで生活をつないでいた。
 犯人の山本晴也は、朱美のヒモ同然に暮らしていた 「一言で言えば、クズ」 のような男だが、取り調べで山本が、「以前朱美から、野川で起こった殺人事件の現場で拾ったという絵の具のチューブを見せられたことがある」 と洩らしたことが、捜査関係者に思わぬ波紋を呼ぶ。
 その殺人事件 (通称 「野川事件」) とは、約12年前の2005年12月25日の早朝に、野川公園で元美術教師の栂野節子が何者かによって撲殺された事件だが、未解決のまま迷宮入り (コールドケース) になっていた。

 栂野節子は小金井市立東中学校の元美術教師で、当時、小金井市東町4丁目に住んでいた上田朱美は、東中で節子の教え子だっただけでなく、退職後に節子が府中市多磨町2丁目の自宅で開いた水彩画教室に通い、節子の孫で同学年の栂野真弓とも親しくしていた。
 殺害現場は、節子がいつも早朝に写生をしていた野川公園・柳橋のたもとだったが、なぜ、朱美は現場にあった絵の具のチューブを持ち去ったのか。何か事件に関わりがあるのか。
 「野川事件」 の捜査責任者は合田雄一郎だったが、現在57歳の合田は、捜査の現場を離れ、折しも西武多摩川線の多磨駅にほど近い警察大学校の教授をしている。しかし、上田朱美と 「野川事件」 のかかわりを知らされた合田は、当時の捜査資料を見返しつつ、当時の捜査に何か見落としがなかったか、野川公園周辺を自らたどり直し始める・・・・・・・(”我らが少女A” を歩く 開催レポート内/あらすじと人物相関図より引用)

この小説は 「合田雄一郎シリーズ」 の中の一冊ではありますが、合田に限らず (むしろ合田以外の) 登場人物それぞれに焦点を充て、等しくその人生を語ろうとしています。詳細かつリアルに、その者自身になり切って、つかの間顔を出す狂気さえをも抉り出そうとしています。

大抵の場合、人はそんな他人に気付きもしません。気付かないままに時が逝き、気付くと12年が経っています。

合田は今、こんなことを思っています。

 警大で取り上げることではないが、世のなかには、目撃者がいるか、もしくはホシが自首するかしなければ誰も真相を知りようがない事件というのがある。はっきりした動機はなく、突発的に起こり、愉快犯でもなく、後にも先にもその一回きりで終わる。目撃者はなく、有力な遺留品もなく、ゲソ痕や凶器などはあっても犯人の絞り込みにはつながらず、DNA鑑定にかけられる微物や指紋なども採取できない。もちろん、どんなに悪条件が重なろうと、どこかに犯人がいる以上、それを追わないという選択肢は警察にはないが、どんなに細大漏らさず捜査を尽くしても、神でもAIでもない警察の捜査はときに限界に突き当たることはある。良いも悪いもない、世界はそんなふうに出来ているということなのだ。そしてさらに言えば、迷宮入りの原因は個々の捜査の未熟やミスにあるにしても、それもまた人間が携わる警察捜査ののり代であり、そののり代で、刑事は人間の犯罪を理解するのではないだろうか - 。
 そんなことを初めて考えたその夜の合田は、ちょっと孤独だ
。(本文より)

孤独といえば “少女A” をはじめとするこの物語に登場する主要な人物それぞれは、何かしら内に秘めたものがあります。口には出せない何かを抱えています。但し、それは特に珍しいことでも何でもありません。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆高村 薫

1953年大阪市東住吉区生まれ。同志社高等学校から国際基督教大学(ICU)へ進学、専攻はフランス文学。

93年 『リヴィエラを撃て』 で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞。同年 『マークスの山』 で直木賞、98年 『レディ・ジョーカー』 で毎日出版文化賞、2006年 『新リア王』 で親鸞賞、10年 『太陽を曳く馬』 で読売文学賞。17、18年 『土の記』 で野間文芸賞、大佛次郎賞、毎日芸術賞を受賞。他に 『照柿』 『晴子情歌』 『冷血』 『空海』 などがある。

 

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