『透明な迷宮』(平野啓一郎)_書評という名の読書感想文
公開日:
:
最終更新日:2024/01/11
『透明な迷宮』(平野啓一郎), 作家別(は行), 平野啓一郎, 書評(た行)
『透明な迷宮』平野 啓一郎 新潮文庫 2017年1月1日発行
深夜のブタペストで監禁された初対面の男女。見世物として「愛し合う」ことを強いられた彼らは、その後、悲劇の記憶を「真の愛」で上書きしようと懸命に互いを求め合う。その意外な顛末は・・・・。表題作「透明な迷宮」のほか、事故で恋人を失い、九死に一生を得た劇作家の奇妙な時間体験を描いた「Re:依田氏からの依頼」など、孤独な現代人の悲喜劇を官能的な筆致で結晶化した傑作短編集。(新潮文庫)
「透明な迷宮」
その天井の高い、黒一色の部屋で、彼らは全員、全裸で蹲っていた。男女六人ずつ計十二人がいて、日本人は岡田とミサだけだった。(後略)
年齢は二十代から四十代くらいまでで、皆ハンガリー人ではなく、岡田たちと同様、欺されたり、拉致されたりして連れて来られた観光客だった。
ブタペストのペスト側にある、十九世紀末に建てられた古い七階建ての建物だった。(中略)そこで、立食形式のパーティーが催され、岡田とミサは一時間ほどを寛いで過ごした。その後、七階に案内されて、奥の部屋に足を踏み入れたところで、突然数人の男たちに押さえつけられ、衣服を奪われて、更に奥にある一室に監禁されてしまったのだった。
岡田は東京の小さな貿易会社に勤務しています。ブタペストには、プロポリスの輸入契約のために一人で来ています。商用を終え、何気に町を散策し、カフェで一休みしている時、隣のテーブルの四人の中にいた一人の日本人、ミサという名の女性と出合います。
岡田に対し、ミサは同じテーブルにいる大学生風の女を指し、今はイタリア人の金持ちの娘だというフィデリカのアパートに居候しているのだと説明します。
ミサは28歳。岡田よりも8歳年下の女性です。東京のIT企業でウェブデザイナーをしていたのですが、震災後1年が過ぎた頃に会社を辞め、以来、ヨーロッパ各地を転々としているのだといいます。
話す内、二人はどこかしら惹かれ合うものを感じ始めます。ミサが半年もの間「放浪の旅」をしていると聞き、「自分が今、どこにいるのか、ちゃんとわかってますか? 」と岡田が訊くと、ミサは真顔になり、「日本に連れて帰ってくれます、わたしを? 」と返します。
「明日、ヘルシンキ経由で帰ります。もしそのつもりがあるなら、同じ飛行機で。」岡田がそう言うとミサは無言で一度だけ小さく頷き、時間を確認すると、二人でどこかに食事に行きたいと岡田を誘います。
その時、フィデリカだけがテーブルに来て、岡田に挨拶をします。これから知人の家でパーティーがあるから、ミサと一緒に来てほしいと誘います。最初ミサは首を横に振るのですが、フィデリカの怒ったような声に仕方ない様子で、岡田に向かい、予定がないならつきあってほしいと言います。
・・・・・・・・・
監禁された者たちが、彼(館の主人で、そこにいる見物人の中で唯一仮面をつけずに素顔でいる人物)に命じられているのは、たった一つのことだった。- ここで、見物人たちの目の前で、愛し合え、と。
二人を除く全員が、あらゆる恥辱に耐えた後、ようやく岡田とミサに声がかかります。館の主人が直々に下した命令は、二人だけで、「日本的に」愛し合うようにというものでした。
恋人同士と見なされていた彼らに課されたその行為は、不公平なほど容易で、ほとんど試練とさえ言えないほどのものでした。それは、ちょっとした、デザートのような甘い見せ物で、終いには、見物人の誰かから「早くしろ! 」と罵声まで飛びます。
ミサは、岡田の手を引いて濃紺の絨毯まで歩くと、見物人たちを見返してから、そっと彼にキスをします。が - まるで無反応な岡田の体に、
ミサは、彼を優しく宥めるように、胸や頬に手で触れ、微笑みかけます。岡田は、ただ彼女だけに集中しようとします。最初に見かけた姿を思い浮かべ、一緒に帰国する約束を交わした時のことを思い出します。
これはただ、その先にあったはずの行為ではないのか。上になって覆い被さった。胸に頭を掻き抱かれて、深くその匂いを嗅いだ。やがて先端が触れ、ゆっくりと包み込まれていった。
・・・・・・・・・
平野啓一郎は、帯に「幾人かの、愛を求めて孤独に彷徨う人々の姿が、私の心を捕らえた。そして、私たちが図らずも出会い、心ならずも別れることとなる、この「透明な迷宮」を想像した」というコメントを載せています。
岡田とミサが「図らずも出会う」場面の一端を紹介しました。このあと、二人は「心ならずも別れること」となります。その「心ならずも」の原因は何なのか? 読むと、えらくエロい話にも感じられます。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆平野 啓一郎
1975年愛知県生まれ。
京都大学法学部卒業。
作品 「日蝕」「葬送」「滴り落ちる時計たちの波紋」「決裂」「ドーン」「空白を満たしなさい」「マチネの終わりに」他多数
関連記事
-
『誰かが見ている』(宮西真冬)_書評という名の読書感想文
『誰かが見ている』宮西 真冬 講談社文庫 2021年2月16日第1刷 問題児の夏紀
-
『トワイライトシャッフル』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文
『トワイライトシャッフル』乙川 優三郎 新潮文庫 2017年1月1日発行 房総半島の海辺にある小さ
-
『逃亡刑事』(中山七里)_書評という名の読書感想文
『逃亡刑事』中山 七里 PHP文芸文庫 2020年7月2日第1刷 単独で麻薬密売ル
-
『断片的なものの社会学』(岸政彦)_書評という名の読書感想文
『断片的なものの社会学』岸 政彦 朝日出版社 2015年6月10日初版 「この本は何も教えてくれな
-
『D R Y』(原田ひ香)_書評という名の読書感想文
『D R Y』原田 ひ香 光文社文庫 2022年12月20日初版第1刷発行 お金が
-
『彼女は頭が悪いから』(姫野カオルコ)_書評という名の読書感想文
『彼女は頭が悪いから』姫野 カオルコ 文藝春秋 2018年7月20日第一刷 (読んだ私が言うのも
-
『悪口と幸せ』(姫野カオルコ)_書評という名の読書感想文
『悪口と幸せ』姫野 カオルコ 光文社 2023年3月30日第1刷発行 美貌も 知名
-
『トリツカレ男』(いしいしんじ)_書評という名の読書感想文
『トリツカレ男』いしい しんじ 新潮文庫 2006年4月1日発行 ジュゼッペのあだ名は「トリツ
-
『妻が椎茸だったころ』(中島京子)_書評という名の読書感想文
『妻が椎茸だったころ』中島 京子 講談社文庫 2016年12月15日第一刷 オレゴンの片田舎で出会
-
『つけびの村』(高橋ユキ)_最近話題の一冊NO.1
『つけびの村』高橋 ユキ 晶文社 2019年10月30日4刷 つけびして 煙り喜ぶ