『影裏』(沼田真佑)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/11 『影裏』(沼田真佑), 作家別(な行), 書評(あ行), 沼田真佑

『影裏』沼田 真佑 文藝春秋 2017年7月30日第一刷

北緯39度。会社の出向で移り住んだ岩手の地で、ただひとり心を許したのが、同僚の日浅だった。ともに釣りをした日々に募る追憶と寂しさ。いつしか疎遠になった男のもう一つの顔に「あの日」以後、触れることになるのだが・・・・・・・。 樹々と川の彩りの中に、崩壊の予兆と人知れぬ思いを繊細に描き出す。(文藝春秋)

第157回芥川賞受賞作を読みました。帯に「大きな崩壊を前に、目に映るものは何か。交差する追憶と現実」とあります。

連休明け初日の帰り際、「わたし」はパート社員の西山さんから声をかけられ、少し話がしたいと誘いを受けます。店に入った後、彼女はいかにも言い難そうに、日浅は既に死んでいるかもしれないと言い出します。

そのころ日浅とは疎遠でいた「わたし」は、彼女の言う話をにわかに信じることができません。日浅は度々彼女を訪れ、(自分の仕事である)互助会への勧誘を繰り返し、それを彼女が断ると、今度は金を貸してほしいと言って来たのだそうです。

貸した金を返してもらおうと彼の勤める会社へ電話を入れると、十代みたいなたどたどしい感じの娘が出て、いきなりに「日浅なら行方不明です」と言われ、思いあぐねた西山さんは「わたし」を待ち伏せて、洗いざらいを聞いてもらおうと考えたのでした。

日浅の所在を確かめようと、「わたし」は方々を訪ねて回ります。しかし、どこへ行っても目ぼしい情報が得られません。6月になり、「わたし」は、滝沢村にある日浅の実家を訪ねます。

「あの日」から既に3ヶ月。訊くと、日浅の父親は未だに捜索願を出していないと言います。それどころか「わたし」に向かって、「あれを捜すなど無益だ。おやめなさい」と言います。

※ はじめて日浅が行方不明だと聞かされた日、「わたし」は、あの日、日浅はきっとこんなふうだったんだろうと想像します。

あの日早朝から家を出て、午前中は契約を求めて釜石市内の住宅地を回り、けれど振るわず、あるいは首尾よく契約をもらって安堵した日浅が、さてここからは自由時間だと海岸沿いに車を走らせる。やがて渚から湾へと突き出た格好の堤防を見つけて意気揚々と竿を振る。ありそうなことだ。

十四時四十六分。ソイやアイナメ、マコガレイなどではち切れそうなクーラーボックスに腰をおろして日浅は海を見ている。ふと凄まじい揺れを、足もとから全身に感じて立ち上がり、思わずいったん、顔を空に向ける。(中略) ひょっとしたらこのとき遠くから逃げろと叫んでいた人も、ことによるといたのかもしれない。

だが日浅の目は茫然として、はるか沖の一点に向けられている。- 日浅の足は動かない。却ってその場に釘づけになる。

- そしてその瞬間、ついに顎の先が、迫り来る巨大な水の壁に触れる、いつも睡眠不足でくたびれたような、そのくせどこか昂然としたあの童顔が包み込まれる、その最後の瞬間まで、日浅は目を逸らすことなどできないだろう。

無類の釣り好きで、「わたし」にとって日浅は元同僚の、岩手で唯一友人と呼べる人物です。「わたし」と違い、出世の望めない倉庫係をしていました。会社を辞め、すぐに転職し、ノルマ故頼むから一口加入してくれと、一度で言えず二度目でやっと言えた、あの日浅。

「わたし」の知る日浅はそんな日浅で、そんな日浅しか「わたし」は知りません。

弱いダウンライトの光の中で目が覚めた。昨夜はどうしても照明を落とす気になれずそうして寝たのだ。(後略)

何でもいい。人生に対し肯定的になりたい気分で、漠然と西山さんの姿を思い浮かべた。五十手前、あるいはまだ四十代なかばくらいの実直そうな横顔を。(中略) とりわけ日浅との関係を問われて言下に自分を恋人だと言ってのけた、あの感じを。

独身の三十男だから、下手に母親だなどと偽るよりはまだしも近いと判断したのか。たしかに恋人が必要だ、それも早急に。自分にもそして日浅にも。田畑と宅地とを隔てる小川の土手の方角から、草刈り機の鋭い刃の音が響いた。

それにしても、人生というのは寂しいもんだと、まだ明け切らないベランダで手摺りに腹を押しつけながらもっともらしく呟いてみた。

※意見は様々あると思います。が、私はこの人が書く文章がとても好きです。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆沼田 真佑
1978年北海道小樽市生まれ。
西南学院大学卒業。

作品 本作で第122回文學界新人賞を受賞しデビュー。

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