『どこから行っても遠い町』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『どこから行っても遠い町』川上 弘美 新潮文庫 2013年9月1日発行

久しぶりに川上弘美の本を読みました。元々たくさん読んでいるとは言えないのですが、良い小説を書く人だという印象はずっと持っていました。

改めてプロフィールをみると、この人えらく才媛でしかも理系女子なんですね。作家になる前の一時期、高校の生物科の先生やってたらしい。
失礼ですが、もっと若い人だと思っていました。(作家紹介の写真なんか二十歳代でも十分通用しそうに若くて可愛い!)
ところが、私とそんなに年齢変わらない...だからどうだ、ということもないのですが。

閑話休題。

この小説の舞台は都心近くの、マンションやアパート、一戸建ての住宅がごちゃごちゃと混ざった中にある商店街です。
その商店街に住んでいる人々が、入れ替わりで物語の主人公になります。彼らの生活や人生の一部を切り取って繋ぐ連作短編小説です。

川上弘美の小説が、他とは違う独自の「空気感」を持っていると評されていることは知っていました。
この小説もその通りで、強い断定を避けて市井の暮らしぶりをありのままに描いては、余韻を残しながら次の物語へと移って行きます。
言葉遣いが丁寧で、細やかに生活の風景が書き取られていきます。読み易いので、その分話の核心を見逃さないように注意しなければなりません。
11の小編にはそれぞれに、作者からの確かなメッセージが含まれています。その「空気感」を手にする必要があります。

少し特別に感じたのは、表題になっている「どこから行っても遠い町」のラストに近い部分です。
主人公の高之が、不倫相手の女性・純子から夫と離婚すると聞かされる場面です。純子は離婚はするものの、高之と一緒になろうとするわけではありません。
高之には「何も心配しなくていいよ」と言い、息子と暮らすことだけを望んでいます。
純子:「高之のこととは、関係ない」
高之:「おれに、何も望まないのか」
純子:「だって高之が苦しいと、あたしもいやだから」

この直後に、高之はある事実に突然気が付きます。
自分と関係するすべての人間に謝ろうとしても謝りきれないこと。罰されようとしても、罰されきれないこと。
なぜなら、自分はかかわり、ふれ、心を動かしてしまったから。
生きてきたというそのことだけで、つねに事を決めてきたのは他ならぬ自分だったということ。
自分が決め、他の人々すべてが決めて、この地球をとりまく幾千万もの因果が決めた結果として、今自分はここにいること、を知覚するのです。

珍しく直接的な言葉が連続しています。しかも、すごく力が籠められています。

川上弘美がこの小説で伝えたかったものは、すでにこの部分を読む前から十分読者に届いています。それこそ独自の「空気感」の成せる業として。
にも関わらず念押しするかのように言葉を重ねたのは、川上弘美らしくないと言えばらしくなく、あるいはそれでも書かずにおれないほどの迫る思いがあったからなのでしょうか。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆川上 弘美

1958年東京都生まれ。本名は山田弘美。

お茶の水女子大学理学部卒業。高校の生物科教員などを経て作家デビュー。俳人でもある。

作品 「蛇を踏む」「溺レル」「センセイの鞄」「真鶴」「風花」「これでよろしくて?」「パスタマシーンの幽霊」他多数

◇ブログランキング

応援クリックしていただけると励みになります。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『陽だまりの彼女』(越谷オサム)_書評という名の読書感想文

『陽だまりの彼女』越谷 オサム 新潮文庫 2011年6月1日発行 幼馴染みと十年ぶりに再会した僕。

記事を読む

『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『ディス・イズ・ザ・デイ』津村 記久子 朝日新聞出版 2018年6月30日第一刷 なんでそんな吐瀉

記事を読む

『逃亡作法 TURD ON THE RUN(上・下)』(東山彰良)_書評という名の読書感想文

『逃亡作法 TURD ON THE RUN』(上・下)東山 彰良 宝島社文庫 2009年9月19日第

記事を読む

『森に眠る魚』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『森に眠る魚』角田 光代 双葉文庫 2011年11月13日第一刷 東京の文教地区の町で出会った5人

記事を読む

『夫の墓には入りません』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『夫の墓には入りません』垣谷 美雨 中公文庫 2019年1月25日初版 どうして悲し

記事を読む

『さよなら、ニルヴァーナ』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『さよなら、ニルヴァーナ』窪 美澄 文春文庫 2018年5月10日第一刷 14歳の時に女児を殺害し

記事を読む

『奴隷小説』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『奴隷小説』桐野 夏生 文芸春秋 2015年1月30日第一刷 過激です。 桐野夏生の新刊『

記事を読む

『東京奇譚集』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

『東京奇譚集』村上 春樹 新潮社 2005年9月18日発行 「日々移動する腎臓のかたちをした

記事を読む

『正しい愛と理想の息子』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文

『正しい愛と理想の息子』寺地 はるな 光文社文庫 2021年11月20日初版1刷 物

記事を読む

『妻が椎茸だったころ』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『妻が椎茸だったころ』中島 京子 講談社文庫 2016年12月15日第一刷 オレゴンの片田舎で出会

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『メイド・イン京都』(藤岡陽子)_書評という名の読書感想文

『メイド・イン京都』藤岡 陽子 朝日文庫 2024年4月30日 第1

『あいにくあんたのためじゃない』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『あいにくあんたのためじゃない』柚木 麻子 新潮社 2024年3月2

『執着者』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『執着者』櫛木 理宇 創元推理文庫 2024年1月12日 初版 

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑