『水やりはいつも深夜だけど』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/10 『水やりはいつも深夜だけど』(窪美澄), 作家別(か行), 書評(ま行), 窪美澄

『水やりはいつも深夜だけど』窪 美澄 角川文庫 2017年5月25日初版

セレブママとしてブログを更新しながら周囲の評価に怯える主婦。仕事で子育てになかなか参加できず、妻や義理の両親から責められる夫。出産を経て変貌した妻にさびしさを覚え、若い女に傾いてしまう男。父の再婚により突然やってきた義母を受け入れきれない女子高生・・・・・・・。
思い通りにならない毎日。募る不満。言葉にできない本音。それでも前を向いて懸命に生きようとする人たちの姿を鮮烈に描いた、胸につき刺さる6つの物語。(角川文庫)

どの短篇にも植物が絡んでくる。人々の花や緑に対する扱い方が、その時の彼らの心情を表していたりもする。タイトルはそれを直截的に表していると同時に、子育てという “水やり” についての彼らの不器用さをも表現していると分かる。

ただ、水が必要なのは子供だけではない。大人である主人公たちだって水は必要なのに、彼らは自分にも相手にも水を与えることが下手なのだ。それでもなんとか、わずかながらでも心の渇きを満たしていく姿が描かれているからこそ、読み手の心にもすーっと潤いが広がっていく。その感覚がとても心地よい。絵空事ではない幸せの形が、きちんと描かれている家族小説集。これを、窪さんが一歩踏み出して、描き切ってくれたということが、また嬉しいのだった。(「本の旅人」 2014年12月号に掲載された瀧井朝世氏の書評より抜粋)

登場する主人公たちは、実はわかっているのです。今在る生活が、本当は地に足などついてはいないのだと。家族であるのを他人事のようにみて、あるべき妻や夫を演じているだけなんだと。

中で、第一話 「ちらめくポーチュラカ」 に登場する主婦、 “杉崎さん” は、殊更それを象徴しているように思えます。彼女は、幼い頃のある出来事で、(自分に向けた) 他人の目をひどく気にするようになっています。

彼女は自分をセレブに似せたいばかりに、ブログで日々 “嘘” を付いています。洒落た写真を貼り付け、褒められはするものの、その度そんなことをしている自分に嫌気が差しています。

私が生まれた村は、今住んでいる町とはまったく違う。
電車も通っていない深い山のなか。近くに、コンビニもスーパーもない。集落の入り口に自動販売機がぽつんと一台あるようなそんな村。

そこで起きた、とある出来事を私はくり返し夢に見る。
夢のなか、生まれた村の中学校に私はいる。
小学校も中学校も山をひとつ越えて通った。

子どもの数は少なかったから、近隣の村から集まった同じメンバーで九年間を過ごした。私を含めて全部で十五人。女子が七人。男子は八人。幼い頃は、子犬のようにころころと笑い転げて毎日が過ぎていった。変化があったのは小学六年に上がる頃だ。

男子の一人が私を好きらしい。そんな噂が子どもたちの間に広がった。自分を好きになったのは、その男子だけでなく、八人中、五人の男子だった。告白されたわけでも、ラブレターをもらったわけでもない。けれど、男子たちが私の前で赤くなったりするたびに、女子たちは刺すような目で私をにらんだ。

そんな私をいつも助けてくれたのは、Mだった。(P13.14)

このMこそが問題で、今もなお彼女の心に居座り、消えることがありません。杉崎さんは、事あるごとに、Mを思い出すことになります。かつていじめの渦中にあって、常に彼女のことを気遣い、唯一彼女の味方だったはずのMは、ある日を境に、その態度を一変させたのでした。

「いっしょに帰ろ。ね」
そう言った瞬間、Mがカーディガンの上から私の右腕を噛んだ。甘噛みではなく、肉を引き千切るような強い力で。「やめて! 」 何度、叫んでもMは私の腕をはなさない。痛みから伝わってくるのは憎しみだった。強い、強い憎しみ。なんで、なんで。そう思いながら、私はMの頭を手のひらで押し返そうとするが、Mは噛むことをやめない。(P16)

Mは、そして何も言わずに立ち去ったのでした・・・・・・・、あれは何だったのか? 彼女は中学生の頃に戻って、Mにその理由を聞いてみたいと思っています。

収録作品
・ちらめくポーチュラカ
・サボテンの咆哮
・ゲンノショウコ
・砂のないテラリウム
・かそけきサンカヨウ
・ノーチェ・ブエナのポインセチア (ノーチェ・ブエナ:クリスマス・イブの意)

この本を読んでみてください係数 80/100

◆窪 美澄
1965年東京都稲城市生まれ。
カリタス女子中学高等学校卒業。短大中退。

作品 「晴天の迷いクジラ」「クラウドクラスターを愛する方法」「アニバーサリー」「雨のなまえ」「ふがいない僕は空を見た」「さよなら、ニルヴァーナ」「アカガミ」他多数

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