『名短篇、ここにあり』(北村薫/宮部みゆき編)_書評という名の読書感想文

『名短篇、ここにあり』北村薫/宮部みゆき編 ちくま文庫 2008年1月10日第一刷

「少女架刑」吉村 昭

迎えの自動車が来たのだ。六畳一間きりの空間を私の仰臥した体が占めているので、母が内職に彩色している白けたお面の山は、乱雑に部屋の隅にうず高く積み上げられた。ほかに空いた場所がないのである。

「ご参考までに申し上げて置きますが、病院では丁重にお嬢さんのお体を調べさせていただいてから、火葬し、きちんと骨壺に納めてお宅の方へお返しいたします。(後略)」男の声は、何度もいい慣れているらしく殊更荘重さをこめた淀みのないものだった。

私の体は、二人の手で持ち上げられ棺の中にそのまま納められた。鉋をかけていない粗い板なので、私のシュミーズからむき出しになった肩のあたりにかなり大きな木の節目が当たっていた。しかし新しい板らしく、棺の中はむせるような木の香で満ちていた。

家の前に停車している自動車は、黒塗りの大型車で、雨にボディが洗われ、雑然と軒をさし交している家並が、緻密に映って美しく光っていた。後部の扉が左右に開けられ、私の棺は、男の手でその中に押し込まれた。

不思議なことに、私の眼は、四囲が棺にさえぎられ更にその上自動車の車体にさえぎられているのに、雨に濡れたその細い露地の光景が、妙に明澄に、丁度水を入れかえたばかりのガラス張りの魚槽の中を透かし見るように水々しくすきとおって見えるだ。

自動車が、静かに動き出した。家の戸口で見送っている面長な母の顔、臆病そうに半分だけガラス戸から顔をのぞかせている父。その二人の姿が雨の中を次第に後ずさりはじめた。さよなら、私は、小さくつぶやいた。

露地は狭く、自動車は、緩い動きでわずかずつ進んだ。女や子供たちが軒の下に立って、近々と過ぎる自動車のガラス窓を伸び上がるようにしてのぞいたり、濡れ光った車体に指をふれさせ筋をつけたりしていた。
・・・・・・・・・
露地奥の貧民窟にある一軒家。水瀬美恵子(16歳)の亡骸は、「献体」の名のもとに今しも運び出されようとしています。

美恵子は自分を殊更不幸だとも、惨めだとも思っていません。むしろ、育ちのいやしい父と結ばれ父の子を生んだことに強い自己嫌悪を感じている母に対し、どこか申し訳のない気持ちを抱いています。

美恵子の肌は白く、顔立ちも面長で、鏡をのぞくと母との濃厚な類似が見て取れます。美恵子は、母に似ていることに実はひどく当惑をおぼえていたのでした。些かでも似ているなどということが、僭越な分に過ぎたことのように思えてならなかったのです。

美恵子は、母が貧しい生活の中に身を浸していることを不穏当な罪悪のようにすら感じていました。中学を出てから働きに出、給与のよい職場を転々と移り歩き、結果ヌードチームに入ったのも、母に対する美恵子の奴婢的な感情がそうさせたので、幾らかでも多くの金を母に捧げたい自発的な行為だったのです。
・・・・・・・・・
このあと大学病院で行われる事の詳細は、ぜひ本編にてお読みいただければと思います。単に「解剖」と呼ぶにはあまりに生々しく・・・・、一々に解剖されている美恵子自身の「感触」や「感情」が入り交ざるに及んで、何か違う場面を見ているようにも思えます。

グロテスクでありながら、グロくない。エロティックなのですが、いうほどではない。それよりむしろ、母の娘に対する薄情、望まれぬまま生まれそして死んだ美恵子に胸が痛んでなりません。死んだ後まで報いのない人生に、語る言葉を失くします。

最後は焼かれて骨になり、その骨の引き取りを母に拒絶され、挙句名もなき幾千の骨壺が並ぶ納骨堂の棚に納まって尚、彼女は恨み言のひとつも言いません。静寂の中、美恵子は漸くにして安らぎの中に身を置いている自分を感じます。

と、これで終わりかと思いきや - おそらくは、ここから後にある結末こそを書きたいがために著者の吉村昭はこの作品を書こうとしたのではないかと思えます。それほどの寂寥、それほどに身震いする最後の光景を、ぜひ味わっていただければと思います。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆北村 薫
1949年埼玉県北葛飾郡杉戸町生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。
作品 「空飛ぶ馬」「夜の蝉」「時と人の三部作」「鷺と雪」「スキップ」「盤上の敵」他多数
◆宮部 みゆき
1960年東京都江東区生まれ。
東京都立墨田川高等学校卒業。
作品 「我らが隣人の犯罪」「火車」「蒲生邸事件」「理由」「模倣犯」「名もなき毒」他多数

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