『夫の墓には入りません』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/10 『夫の墓には入りません』(垣谷美雨), 作家別(か行), 垣谷美雨, 書評(あ行)

『夫の墓には入りません』垣谷 美雨 中公文庫 2019年1月25日初版

どうして悲しくないんだろう。
夫が死んだというのに、何の感情も湧いてこない。
それどころか、祭壇に飾られた遺影を見つめるうち、まるで知らない人のように思えてくる。

結婚して十五年も経つのに、いったい何回夕食をともにしただろう。疑心暗鬼の苦しい毎日が続いて、ひとり泣いた夜もあったっけ。だけどそのうち、夫に期待するのはやめようと思うようになっていった。つらくなったら別のことを考えればいい。そうやって心の訓練をしたこともある。だけどやっぱり、いつまで経っても諦めの境地に達することなんてできなかった。それでも、なんとか波風立てずに、うまくやってきたつもりだ。(P7.8/冒頭の文章・省略あり)

この物語に登場する二人ほどではないにせよ、所詮、夫婦のことは夫婦にしかわかりません。その上、たとえ夫婦であったとしても (あるいは夫婦であるがゆえに) 知られたくない、隠しておきたいと思うことの一つや二つはきっとあるはずです。

すると決めて結婚した相手ではあるものの、次第次第に互いのことに無関心になるのは、何も夫が、妻が、嫌いになったわけではありません。

突然の夫の死に際し、妻の夏葉子が悲しむわけでもなく、何の感情も湧いてこないのは、(当然ながら) それ相応の訳があります。堅太郎の場合、夏葉子が思うあれやこれやにあまりに無関心が過ぎ、もはや彼女は自分が堅太郎の妻だとは思えなくなっています。

結婚して15年。46歳という若さで脳溢血で急死した夫の遺影を前にして、その時夏葉子は - 実は、言い知れぬほどの解放感を味わっています。

仕事一辺倒で留守ばかりだった夫・堅太郎に対し、妻として、ただ言われるがまま従ってきた自分から - 、地元では旧家で名高い夫の実家に暮らす舅姑に対し、嫁として、ひたすら仲睦まじくと心がけてきた自分から、今まさに解き放たれたのだと。

ある晩、夫が急死。これで嫁を卒業できると思いきや、舅姑や謎の女が思惑を抱えて次々押し寄せる。”愛人” への送金、墓問題、介護の重圧・・・・・・・がんじがらめな夏葉子の日々を変えたのは、意外な人物と姻族関係終了届!? 婚姻の枷に苦しむすべての人に贈る、人生逆転小説。『嫁をやめる日』 を改題。(中公文庫)

今まさに解き放たれたのだと - そう思う夏葉子にとって、それは思いもしない出来事でした。

今から思えば、東京へ出張すると言って家を出た夫が、東京ではなく地元のホテルで急死したと知らされた時、既に、確かな “予兆” が、あるにはあったのです。

事は、死んだ夫が浮気していたのではないかという疑いに始まり、果ては、夫の堅太郎に代わり実家を継ぐべき “嫁” となった夏葉子は、これまで以上に舅姑と深く関わることになります。夫と自分とが入る墓の問題。先んじては舅姑の介護の問題。舅姑だけではなく、夫の実家にはひきこもりの義姉がおり、全てが夏葉子一人を頼りにしています。

夫が亡くなった時点で、自分は誰の妻でもなくなり、晴れて自由の身だと思っていた。だが、どうやら違うらしい。今もこれからも 「高瀬家の嫁」 なのだ。それも、夫が生きていた頃より、もっとずっと明確に。(本文より)

果たして彼女は、この状況を如何にして打開していくのでしょうか?

世のご主人方は、とくと考えてお読みください。夫には夫の人生があり、等しく、妻には妻の人生があるということを。自分が死んでまで夫の実家に妻を縛り付けるのは、妻にとってそれが本当に望ましいことかどうかということを。今更ながら、改めてそんなことを考えました。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆垣谷 美雨
1959年兵庫県豊岡市生まれ。
明治大学文学部文学科フランス文学専攻卒業。

作品 「竜巻ガール」「リセット」「夫のカノジョ」「ニュータウンは黄昏れて」「後悔病棟」「農ガール、農ライフ」「老後の資金がありません」他多数

関連記事

『悪果』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『悪果』黒川 博行 角川書店 2007年9月30日初版 大阪府警今里署のマル暴担当刑事・堀内は

記事を読む

『トリニティ』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『トリニティ』窪 美澄 新潮文庫 2021年9月1日発行 織田作之助賞受賞、直木賞

記事を読む

『夜の谷を行く』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『夜の谷を行く』桐野 夏生 文芸春秋 2017年3月30日第一刷 39年前、西田啓子はリンチ殺人の

記事を読む

『歩いても 歩いても』(是枝裕和)_書評という名の読書感想文

『歩いても 歩いても』是枝 裕和 幻冬舎文庫 2016年4月30日初版 今日は15年前に亡くなった

記事を読む

『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

『すべて真夜中の恋人たち』川上 未映子 講談社文庫 2014年10月15日第一刷 わたしは三束

記事を読む

『菊葉荘の幽霊たち』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『菊葉荘の幽霊たち』角田 光代 角川春樹事務所 2003年5月18日第一刷 友人・吉元の家探しを手

記事を読む

『忌中』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文

『忌中』車谷 長吉 文芸春秋 2003年11月15日第一刷 5月17日、妻の父が86歳で息を

記事を読む

『アルテーミスの采配』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『アルテーミスの采配』真梨 幸子 幻冬舎文庫 2018年2月10日初版 出版社で働く派遣社員の倉本

記事を読む

『エヴリシング・フロウズ』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『エヴリシング・フロウズ』津村 記久子 文春文庫 2017年5月10日第一刷 クラス替えは、新しい

記事を読む

『霧/ウラル』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『霧/ウラル』桜木 紫乃 小学館文庫 2018年11月11日初版 北海道最東端・根室は、国境の町で

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『執着者』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『執着者』櫛木 理宇 創元推理文庫 2024年1月12日 初版 

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑