『影踏み』(横山秀夫)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/12 『影踏み』(横山秀夫), 作家別(や行), 書評(か行), 横山秀夫

『影踏み』横山 秀夫 祥伝社 2003年11月20日初版

三月二十五日早朝 - 。三寒四温でいうなら、真壁修一の出所は寒の日にあたった。高塀の外に出迎えの人影はなく、だが、内耳の奥には耳骨をつんつんと突いてくるいつもの感覚があって、晴々とした啓二の声が頭蓋全体に響いた。

真壁は雁谷市役所前でバスを降りた。市庁舎をぐるり回った裏手の県立図書館は、やや明るい色ながら刑務所の高塀によく似た赤煉瓦造りだ。案の定、耳骨がまたつんつんと突かれた。

《ねえねえ、それじゃあ例の件、ホントに調べる気? 》
〈そうだ〉- 真壁は二階のカウンターで地元紙の閲覧を申し出た。過去二年間分のマイクロフィルムを借り受け、窓際の読出機に腰を据えた。

真壁は一度として席を立たず、二年間分の社会面を見終えた。なかった。真壁が頭に思い描いていた事件は - 。
《ほ~ら、やっぱり修兄ィの妄想じゃんか。女は亭主を殺してなんかいません》

〈殺ろうとしたことは確かだ〉- 真壁は最初に読み飛ばした二年前の紙面を画面に呼び出した。三月二十二日付社会面 - 。四コマ漫画の下に大きくスペースを割いた囲み記事が載っている。

“ノビカベ” が捕まった - 深夜、寝静まった民家を狙い現金を盗み出す「ノビ」と呼ばれる忍び込みのプロ、住所不定無職、真壁修一(32)が雁谷署に逮捕された。取り調べに対し決して口を割らない。その高く強固な「壁」を思わすしたたかさに、刑事たちから名前をもじって”ノビカベ” と綽名される。(中略)調べによると、真壁は二十日午前二時ごろ、雁谷市大石町一丁目会社員、稲村道夫さん(41)方西側サッシ窓をドライバーで破り侵入。居間や仏間を物色したが、稲村さんの妻葉子さん(30)が物音で目を覚まし一一〇番通報。駆けつけた雁谷署員に住居侵入の現行犯で逮捕された。

真壁は椅子の背もたれに体を預け目を閉じた。服役した二年間、反芻し続けたあの夜の記憶が甦る。図書館の二階はしんと静まり返っていた。何度考えても結論は動かない。女は最初から起きていた。夫を殺すために・・・・

囲み記事の後段 -

真壁は県立高校教頭の父親と元中学教諭の母親との間に生まれ、厳格に育てられた。高校時代は空手部に在籍。学業の成績も良く、A大法学部に現役合格した。しかし、浪人中だった双子の弟が空き巣を重ねて警察に追われる身となったことから、悲観した母親が発作的に家に火を放って弟を道連れに無理心中。二人を助け出そうとした父親も炎に呑まれ死亡した。これを境に真壁の人生は暗転、傷害事件を起こして大学を退学になり、定職にも就かず -

- 七月。真壁の胸に、十五年前の記憶が甦る。

家を出ていく啓二の後ろ姿・・・・。髪を振り乱して嘆く母・・・・。窃盗罪で裁判にかけられた啓二が、初犯ということで刑の執行が猶予されて家に戻ってくると、真壁の裡に不安が巣食った。啓二はまた久子に近づこうとするのではあるまいか。

双子というものは、互いの影を踏み合うようにして生きているところがある。自分ならそうするだろうと思うということは、啓二もまた同じようにそうする可能性が極めて高いことを意味していた。顔形はおろか、自分と心のあり様まで似通った複製のごとき人間がこの世に存在することを呪った。いっそのこと消えてなくなれ。そう思った。
・・・・・・・・・
そしてその願望は、およそ予期せぬ形で叶うこととなります。
炭化した弟・啓二の亡骸は、いかにもちっぽけなものでした。
望む通りに、双子の片割れでない、たった一人の人間になった。だが。

一人・・・・。兄・修一にとって、それは自分の影を失うということでもあったのです。

※ ほぼ作中の文章を引用して書きました。この物語は、一人の女性をめぐり業火に消えた双子の弟。残された兄。三つの魂が絡み合う哀切のハード・サスペンスです。

数ある横山作品の中では、王道とは言えないかも知れません。しかし、(特に横山ファンの方なら)外せない作品だと思います。なぜなら、あの『64(ロクヨン)』を書いた横山秀夫が、ここにもちゃんといるのですから。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆横山 秀夫
1957年東京生まれ。
国際商科大学(現・東京国際大学)商学部卒業。その後、上毛新聞社に入社。

作品 「ルパンの消息」「陰の季節」「動機」「半落ち」「顔 FACE」「深追い」「第三の時効」「真相」「クライマーズ・ハイ」「64(ロクヨン)」「看守眼」「震度0」他多数

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